土足
さやは伯爵に対して申し訳ないと思っていた。
さやは闇祓いをさや達に依頼した際に伯爵が闇に憑いて語った時、とりわけ闇の核と自分には関わりがあると語った時の伯爵の表情を見て思ったのだ。
この顔はシナ村で教会の闇について自分が尋ねた時に、カーク村長が見せた顔によく似ていると。
全ての感情を圧し殺し、隠した仮面のような顔。そうしなければ耐えられなかったのだ。
それでもシナ村の闇は生じて三年。村長もまだ完全に心を封じ込めるには至っていなかったのだろう、核について語る時は一瞬だが本心が露呈していた。
それに対して闇に憑かれて十年経つ伯爵が被る仮面からは、全く感情が伝わってこない。核を除去してくれと依頼した時すら、詐欺師的な顔は崩れなかった。
仮面はそれ程強固なものになり、核に抱いていた本来の想いは心の奥底に封じ込めているのだ。
誰にも、自分にすら見られないように。
さやは申し訳なかった。
自分には昨日会ったばかりの男と深く心を通わせ、そういう隠された本心も教えて貰えるような、高いコミュニケーションスキルなど無い。一方で伯爵の本心に触れずに核を解放出来る程の強い闇祓いの能力も、まだ備わっていない。
だから伯爵の〝本心〟を見る為にはヒーラーとしての能力を振りかざして、人のもっとも繊細な部分に土足で踏み入るような不躾な質問でその仮面を壊すしか無いのだ。
他人にはひた隠しにしていた感情を全く気心の知れない奴に暴き立てられるのは、惨い事だ。
しかもそんな真似をしたからといって、さやが魂を必ず解放出来るとは限らない。伯爵の心をかき乱すだけで終わるかもしれないのだ。
それでもさやは選んだ。伯爵の心を踏み荒らし、せっかく伯爵が封じ込めた核となった者への想いを突き付けた挙句に更に深い悲嘆の淵に叩き落とす事を恐れるよりも、今暗い牢獄に囚われている者達を救う可能性を少しでも高める事を。
伯爵と核の関係、そして伯爵の核への想いを肌身で感じなければ、ペンダントの力は引き出せないという感覚は確かにあるのだから。
さやは自分に睦言を囁く伯爵から身を離すとその目を真っ直ぐ見つめ、静かな口調で言った。
「伯爵、依頼された闇ですが、核を解放したいとは思われませんか?」
そう言った途端、それまで艶っぽくさやを口説いていた伯爵の顔が強張った。
「——何だと」
仮面は一瞬で壊れた。割れ目から滲み出るのは、強烈な怒りだ。
〝救いの手〟を差し伸べられてまず示す反応が怒り。
伯爵がこの十年間で抑え込んできた葛藤の凄まじさが伺えた。その伯爵にこれから要求することがどれだけその葛藤や怒りをかき立てるか、想像するに余りある。
それでも怯まずさやは言葉を続けた。
尽力して憎まれるのは覚悟の上だ。
「私なら核を解放出来るかもしれないと、申し上げているのです。ですがその為にはあなたと核の関係、そしてあなたが核をどう想われているのかについて、私が知る必要があります。だから私は希望したのです。あなたの、お人柄を知りたいと」
「…………」
「いかがされますか、伯爵? 私があなたと核の関わりを深く知れば知る程、解放出来る可能性は高くなります。伯爵が核を解放させたいとお望みでしたら—— どうか私にご協力下さい」
「…………」
「教えて下さい。今回祓う闇に潜む核は、あなたにとってどういう存在なのか」
「…………今更」
不意に伯爵が呟いた。詐欺師の仮面は砕け散り、怒りと悲痛さに歪んだ男の顔がさらけ出される。
「今更、私がそれこそ血眼になって救い出してくれと乞い願った時には無慈悲に見捨てたくせに、こちらがようやく諦め血を吐く思いで、あれはただの化け物だと言い聞かせ、自分に思い込ませ…… やっと切り捨てる覚悟を固めた時に、救うだと? それも、核をどう思っているか…… 言え? おまけにそれだけやっても救える可能性があるだけか! 人を…… 何だと思っている!」
伯爵は今にもさやを食い殺しそうな剣幕だ。溺れる者が救いの手を差し伸べた者をその深みに引きずり込むように、伯爵はさやを己が十年溺れてきた怒りと絶望の淵に引きずり込もうとしている。
本来なら伯爵だって十七、八歳の娘にこんな黒い感情をぶつけはしないだろう。
だが今の伯爵はさやをヒーラーとして見ていた。この十年間自分に救いの手を差し伸べなかった存在そのものに、伯爵は積もり積もった恨みつらみを向けているのだ。
クルーガー伯爵は更に何かを言いかけたが口を閉じ、しばらく耐えているようだった。
やがて伯爵は荒んだ笑みを浮かべた。その顔を見てさやは理解した。これがこの男の〝素顔〟なのだ。
伯爵は笑いながら言った。
「……分かった。ならあなたが気のすむまで本心とやらを見せてやろう。もううんざりなんだ。あいつらの堕ちる所まで堕ちた言葉を聞かされるのはな!」
そうして伯爵は語った。伯爵にとって核がどういう存在で、どう想っていたのか。
明日も2010分更新の予定です。
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