それぞれの思い
その場に沈黙が流れた。
サヤは青ざめた顔でしばらく無言でいた。やがて下を向くと吐き出す様に呟いた。
「——そうか。そうなんだ……」
それでも顔を上げたサヤはニッコリ笑って言った。
「それじゃあひょっとすると、あなたはあたしの従妹かもしれないんだね。それはすごい偶然だ!」
その言葉でシリルは悟った。少なくともサヤは今の所自身の〝事情〟をシリルに打ち明けるつもりは無いのだと。
まだそこまで信頼されてはいないのだと思うと少々寂しいが、仕方無いとシリルは自分に言い聞かせた。
ヒーラーが知られたくないと思っているのなら、詮索せずにおくべきだ。
だからシリルは微笑んでこう言っただけだった。
「確かにもしそうだとしたら、私とあなたは親戚という事になりますね」
これでその話は一応終わりになった。それでサヤとシリルは改めて、伯爵に言われた事について話し合った。
「伯爵の申し出なんだけど、あたしとしてはシリルさえ問題無いと思うなら、引き受けても良いと思うんだよね。あ、でも言質は取られないようにしたつもりだよ。伯爵には、とにかくあたしのガーディアンと話をしてくれって言ってあるから。詳しい取り決めはお願いしてもいいかな?」
「分かりました。もちろんお任せください」
顔を引き締めて答えるが、シリルは顔が綻ぶのを抑えるのに苦労した。
嬉しかったのだ。サヤが〝あたしのガーディアン〟と言ってくれた事が。
とはいえ、あまり悠長にはしていられない。シリルはベッドから降りると早速伯爵の下へ行こうとした。
するとサヤが慌てた様子で引き留める。
「どうしましたか? 何か支障が?」
「いや、支障って程でも無いんだけど……」
怪訝に思うシリルに、サヤは実に言いにくそうな顔でこう言った。
「……あの、余計なお世話かもしれないけどさ…… その…… 伯爵と交渉するなら、少し身だしなみを整えてからにした方が良いと思うよ」
サヤに言われてシリルはハッとした。
そういえばここに来るまで、自分の身なりに構う余裕などこれっぽっちも無かった。
あれだけ炎天下を歩き続けたのに、水浴びはおろか身体を拭く事すらしていない。
髪も手入れしていないし、髭だって……。
シリルは恐る恐る顔に手を当てた。するとザリッという感触が……
シリルは総毛だった。頭の中で〝ガーディアンの心得その十〟が鳴り響く。
〝いいか、ヒーラー殿の御傍にいる時は、身だしなみには十分気を遣えよ。だらしないとか不潔だとかで不快感を持たれたら、信頼に関わるからな。特に女性のヒーラー殿はそういう事うるさいから、気を付けろよ~〟
「す、すみません!!」
真っ青になったシリルはサヤの視線から逃れるように、部屋にあるシャワールームに駆け込んだ。
凄い勢いでシリルが目の前から消えると、さやは暗いため息を漏らした。
「——まさかこんなに早く〝あの男〟の素性が分かるとは思わなかったな」
ヨルンの記憶に残る、無残な最期を遂げたヨルンの父親。
あの姿を思い出すと、自分には関わりが無いとはいえやはり心が重苦しくなる。
「いや、関りが無いわけではないか……」
さやはヨルンが負うべき役目を果たす約束をした。そしてヨルンの役目には、恐らくあの父親の意向が関わっている。
ヨルンに人間の世界へ行くよう命じたヨルンの母はあの男が殺された時、男の〝もう一つの願い〟を必ず叶えると言っていたから。
どんな人物で、どんな事を考えていたのか。
何よりも何のためにエルフの国へ行ったのか。
さやはあの男の事を何一つ知らない。
(シリルに頼めば教えてくれるかな。自分の父親かもしれない男の事を知りたいっていったら…… まあでもシリルも知らないか。顔も覚えていないって言ってたし)
さやは首を振った。考えても詮無い事を思い悩んでも仕方ないと思ったのだ。
とにかく今はまずやらねばならない事がある。
さやは自分の腕をクン、と嗅いで顔をしかめた。
「あたしもシリルの事は言えないんだよな。早くシャワー浴びに行こ」
シャワーで身体の石鹸を洗い流しながらシリルは思った。サヤはあの年頃にしては、かなり大人びていると。
気力を失い過ぎてどうすべきか判断できない状態にあった自分に代わって、同行すると決断した判断力と度胸は見事なものだった。
普通なら自分より年長である程度状況も分かるはずの者が迷っていたら、ただ不安がるだけだろうと思うのだが。
伯爵から非常に魅力的だと思われる申し出をされてもすぐに飛びつくことなく、シリルが回復するまで返事を保留するのも大人の配慮を感じさせる。
それにシリルが目を覚ました時、サヤはソファーで毛布にくるまって寝ていて、しかも着替えた様子も無かった。
多分シリルの事が心配で、ずっと付き添ってくれていたのだろう。
それなのに。
(大して心配していないという風に振舞っていた)
サヤは不安な心やシリルを心配している様子は見せず、いかにも呑気そうな態度を通していた。
十七、八歳の少女は優しければ心配で付き添うぐらいはするかもしれないが、付き添う相手が恐縮しないような態度を通すような気遣いまでは、流石に出来ないのではないだろうか。
これまで行動を共にしていても、シリルはサヤの見た目の歳に合わぬ気遣いや判断力をひしひしと感じていた。
それこそ自分より年上の者を相手にしているような気になる時さえある。
しかしシリルは首を振って疑念を払いのけた。
(馬鹿げた考えだ。そんな筈は無いのに)
ヒーラーは、特に高い能力を持つヒーラーは普通の人に比べて寿命が長く、またその外見も長く若さを保つものだ。
ただそれにしても老いが止まるのは二十歳を越えたぐらいで、サヤのようにまだ十七、八歳の少女の姿で老いが止まる例は無い。つまりサヤは見た目相応の年齢の筈なのだ。
それにシリルが考えているように彼女が叔父の娘なら、間違いなくサヤは十七歳より上ではない。
大人びているのは単にそういう気性なのだと考える方が、道理に合う。
サヤはまだ年が若い。つまり自分がしっかり支えてやらねばならない存在だ。
あんな少女の、しかも自分のヒーラーに年長の自分をそこまで気遣わせてしまうのは、ガーディアンとしてあまりにも申し訳なく情けない事だ。
シリルは自分を強く戒めた。
だってつい思ってしまうのだ。サヤが笑っていると、安心出来ると。
この世界に関する知識が殆ど無い故なのかも知れないが、今シリルが嫌というほど感じている世界を覆う暗い澱みも、呑気で明るいサヤを見ているとその時だけ晴れるような気になれるのだ。
サヤの笑顔を見ているとシリルは思う事が出来る。
世界は大丈夫だと。
しかしそんな感情に甘んじてはいけない、とシリルは己をいましめた。
自分がすべきは歳より大人びたサヤが度を越えた無理をしないよう、見守る事だ。
そう言い聞かせるシリルこそが今回とんでもない無理をした挙句にブチ切れてしまったのだが、その点は見事に頭から抜け落ちていた。
明日も20時頃更新の予定です。
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