手を引く
ドラド王国内務大臣モルセール侯爵の三男であるレイナード子爵は、鏡とにらめっこして身なりを確かめた。
本当は王子様の様に着飾った方が女の子受けも良いのだろうが、一応休暇中という設定なので平服に抑えている。その範囲で出来る限り洒落て見えるよう、着こなしには念入りに気を遣った。
何しろ派手に出来ない分、ちょっとした着崩れで台無しになってしまうのだ。タイの緩め具合は丁度良いか、髪は適度に乱れているか。レイナードは細かく点検する。
そして何よりもう一つ。
乙女にとっての理想の貴公子なら、やはり悪漢の成敗を家来に任せっきりにするのではなく、自分も剣を取って戦うべきだろう。その際の着衣や髪の乱れも計算に入れるべきだ。
他に注意する点は無かったか、レイナードは良く考えた。
どれだけ気を配っても足らないぐらいだ。何しろレイナードの使命は一人のヒーラーを、ドラド王国から離れる気にならなくなる程己に夢中にさせる事なのだから。
レイナードは身なりのチェックを済ませると、自分がやるべき事をおさらいした。
まずヒーラー一行を見張っている実行役がヒーラー奪取に成功すれば、合図が来る。
そうしたら自分は打ち合わせで決められた街に向かい、そこで実行役と一戦交えた上で〝ならず者達〟からヒーラーである少女を〝救出〟するのだ。
その後は確保した少女を優しく労わり、それこそお姫様の様に大事に扱いながら自分が少女に恋をした体を装う。そして思いつく限りの手管を用いて、少女の心を手中に収めるのだ。
恋したふりは恐らく容易く出来るだろうと思う。その少女に会った汚染度検査官の話では、絶世と言って良い程の美少女だそうだから。
その検査官はこうも言っていたそうだ。
その少女はこの世界の記憶を失っており、一応ヒーラー協会に登録する事を選んだものの、かなり迷っている様子が見受けられたという。しかも彼女のガーディアンは、その場にいた調査員が臨時で務める事になったとか。
つまり協会だけではなく自分のガーディアンに対してすら、少女の信頼はあまり強くはない事が推察されるのだ。
それでも協会への仮登録が済んだ時点で、検査官は手を引くべきだとレイナードの父に進言したらしい。
しかし父は諦めなかった。それで今回の計画を目論んだのだ。
ヒーラー一行から馬という交通手段を取り上げ極限状況に追い込み、更に元調査員の不慣れな補佐で少女に協会への不信感が芽生えただろう段階でならず者に襲わせる。
辛い旅で疲弊している上に攫われた恐怖と不安で動揺している所を優しくしてやれば簡単に落ちるだろう、というのが父の考えだった。
それで社交界でいつも浮名を流している自分が指名されたのだ。
大丈夫、令嬢や夫人相手にやってる事をいつも通りやれば良いだけだとレイナードは自分に言い聞かせた。しかも今回の色仕掛けには祖国の命運がかかっている。
そう、これは崇高な使命なのだ。
そうは思うのだが。
レイナードは今日もこみ上げてくる不安や恐れの対処に悩まされていた。どれだけ正しい事をやっているのだと言い聞かせても、考えてしまうのだ。
こんなとんでもない真似をして、本当に大丈夫なのかと。
仮とはいえヒーラー協会に登録しているヒーラーのガーディアンを暴力で排除した上で、ヒーラーを拐かす。どこの国が効いても血の気が引く様な暴挙だ。
自国内でヒーラーに危害が加えられた場合、協会はその国に対しては厳格な制裁を科す。
だからどの国もヒーラーの身の安全が保たれるよう、徹底的に気を配るのだ。もちろんヒーラーやそのガーディアンに危害を加えた者は、厳罰に処せられる。
なのにそんな所業を国が率先して行うのだ。
例え内務大臣の差し金だと露見しなくとも、そうした事態を引き起こしたドラド王国は厳しい制裁を受けるだろう。
恐らく協会はヒーラー全てが王国から引き上げるよう、ドラド王国を国外退避勧告対象に指定する。もし露見しようものなら、世界の物流も一手に握る協会はドラド王国に対して、必要物資の供給も止めるに違いない。
レイナードは激しく首を振って不安を払いのけた。そして必死で自分に言い聞かせた。
大丈夫、決して露見はしないと父は太鼓判を押してくれた。そしてヒーラーは出来るだけ穏便なやり方で手に入れる予定だ。
もちろんガーディアンを傷つけるつもりも無い。だからこそヒーラー一行がトレントを出るギリギリの所まで待って、ガーディアンの体力を消耗させて容易く排除できるようにしたのだから。
それに父は言っていた。
ヒーラーに危害が加えられた国に対する協会の制裁は、恐らく全ヒーラーに向けた数年間の国外退避勧告。しかし目当てのヒーラーを手に入れれば、その程度の制裁などどうとでもなると。
だから自分は父に言われた事をやれば良いのだ。
レイナードが何とか不安を封じ込めた時、従者がやって来てレイナードに耳打ちした。その内容にレイナードは顔色を変えすぐに客間に向かった。
客間には出入り商人のなりをした、大柄な男がいた。父がヒーラー略取を命じた者だ。
「何故来た⁉ お前と私は絶対に接触してはならないと、あれ程父上に念を押されていたであろう!」
ドラ息子の剣幕に男は馬鹿にした様に鼻を鳴らした。そして伊達メガネに隠された、どう見ても商人のものではない胡乱な目でレイナードを睨むと言った。
「人づてに手を引くなんて申し上げたらマズいと思いましてね。こうして直接仕事をお断りしたく、参上したという訳ですよ」
「——手を引くって、おい!! 何を言う⁉」
レイナードは焦った。
ヒーラー略取の実行役は、父が苦労して選出したのだ。
本当のならず者など頼めるはずが無い。その場の勢いで、粗暴な振る舞いでもされたら事だからだ。ヒーラーやガーディアンが負傷しようものなら、国外退避勧告対象どころでは済まなくなるだろう。
こちらが完全にコントロール出来る上に、計画を実行できるだけの行動の自由を許されている者。
こんな土壇場でそういう条件の者を一から集めるなど、不可能だ。
「待て! 何か支障があるのか? ならこちらで出来るだけの援助はする。報酬も父上に申し上げて倍、いや、三倍出そう! だから——」
血相を変えて引き止めようとするレイナードに、男は吐き捨てるように言った。
「何が〝その場にいた調査員が間に合わせで就任した俄かガーディアン〟だよ。生え抜きのガーディアンじゃねえか。自分のヒーラー様を守る為なら己を切り刻むぐらい、平気で出来る奴だ」
「…………」
「しかも体力を消耗させたせいで、却って奴を手負いの獣にしちまった。今のあいつは完全にタガが外れてる。そんな奴が大事に抱えている雛を奪い取るような物騒な真似、どれだけ金を積まれたって俺は絶対に嫌だ! それこそこっちを皆殺しにしてでも取返しに来るだろうぜ」
「し、しかし——」
協会に所属するヒーラーを拐かそうとした挙句に失敗したなど、目も当てられない。父が聞いたらどれだけ怒り狂うか。
何とか考え直させる術は無いかと必死で考えを巡らすレイナードを、男はじろりと睨んでこう言った。
「あんたのお父上には色々義理もある。だから最後にこの忠告をあんたからお父上に伝えて下さい。もう手を引いた方がいい。自分の領地を〝レアンの二の舞〟にしたくは無いでしょうってね」
「————」
〝レアン〟という言葉を聞いた途端口を閉じたレイナードに、男はしみじみとした口調で言った。
「噂だとレアンがああなったのは、自分のヒーラー様を殺されたガーディアンが発端だそうじゃないですか。あのガーディアンが付いているヒーラー様に危害を加えようものなら、そうなる恐れは十分ありますよ。それじゃ、俺は故郷に帰ります。もう二度と連絡して来ないで下さい」
そう言うと男は客間を出て行ったが、レイナードはもう何も言わなかった。〝レアンのようになる〟という言葉ほど、この世界に恐ろしいものは無かったから。
明日も20時頃更新の予定です。
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