疑心暗鬼
シリルがさやにエルフの話をしてから二日が経った。
夏は盛りを過ぎていたが、それでもまだかなり暑い。
強い日差しを遮ってくれていた森を抜けた今はひたすら原野が広がっており、太陽はなるべく急いで歩き続ける三人を容赦なく照りつけた。
ヒルダとさやもいつもの様にお喋りで互いを励ます気力すら無く、額の汗を拭いながら終始無言で歩いている。
遠くの方に見えていた大木が近づいてきたところでシリルが言った。
「あの木の所で休みましょう」
「そりゃ有難い! やっとこのお天道様から逃れられるよ」
息を切らしながらヒルダが叫んでさやに言った。
「サヤ、あともう少しで楽になれるよ。頑張ろう」
さやは少し笑って頷いただけだった。
深緑の葉が生い茂る木に辿り着くと、さやとヒルダはよろめくように大木の根元に座り込んだ。
ぜいぜい喘いでいる二人からシリルは離れた所まで歩き、影一つ無い草原に腰を下ろした。
そんなシリルを気遣うように見やったヒルダはさやに小声で、しかし責めるような口調で言った。
「サヤ、どんな喧嘩したのか知らないけど、早くシリルさんと仲直りしなよ。気まずいじゃないか」
さやはムスッとした顔で次元収納袋を開けると、ヒルダと自分の水筒を取り出しながら弁解した。
「……別に喧嘩なんかしてないよ。あの人の指示にはちゃんと従っているし、言葉だって交わしているじゃない」
「何言ってるんだい! どうしても必要な会話しかしてないじゃないか! あたしが幾らシリルさんと過ごす時間を作ろうとしても嫌がるし、それどころかあたしに引っ付いてばかりで。だから見なよ。シリルさんの方が遠慮してあんたに近づかなくなってるじゃないか。大体〝あの人〟って言い方が……」
さやはぶっきらぼうな口調でヒルダの非難を遮った。
「それのどこが悪いの? だって、あの人は出会ってから八日しか経っていない、ただの仕事仲間だよ? そんなもんなんじゃないの? あたしにしてみたらヒルダといる方が気が楽だし、話も合うし……」
するとヒルダがとんでもない、というように目を吊り上げた。
「ヒーラーとガーディアンは、ただの仕事仲間じゃないよ。あんたはとんでもない考え違いをしているんだよ」
「…………」
「いいかい? ガーディアンにとって自分のヒーラーは、それこそ自分の命より大切な存在なんだよ。ヒーラーにとってもガーディアンは一番信頼出来るパートナーなんだ。契約したばかりだからって、他人行儀にしていい相手じゃ無いんだよ」
さやは水を一口飲むと、ニコリともせずに言った。
「そんなにガーディアンや協会は、信頼して良いものなの?」
「——え?」
絶句するヒルダにさやは更に言った。
「だってドラド王国があたしにここまでちょっかい出してくるのだって、本来ならあり得ないんでしょう? なら協会の状況だって、前とは変わっているんじゃないの? もっと警戒した方が良いかもしれないじゃない?」
「サヤ……」
ヒルダはさやの言葉に絶句したが、すぐに。決然とした顔で言った。
「サヤ、ヒーラーが自分のガーディアンを信じられなくなったら、おしまいだよ」
ヒルダの言葉にもさやは心を動かされなかった。
あんな事を言われてどうして信じられるというのかと思うばかりだ。むしろこれからどうすべきなのかと思うと気が滅入る。
さやがヒーラー協会に所属する事を選んだのはヒルダを信じたからだが、もう一つの理由は自分の素性を一切詮索される事無くヒーラーとして暮らせると思ったからだ。
しかしガーディアンはどうやら自分がエルフである事を知りたがっているようだ。それには何らかの目的があるのだろう。
それは何か? 自分は、このまま協会に登録して大丈夫なのだろうか。
さやは深いため息をついた。
カンカン照りの陽に焼かれながらシリルはどん底にいた。どん底でドツボにはまって、これっぽっちも身動きできない状況だった。心に浮かぶのは後悔ばかり。
小川での皿洗い以降明らかに警戒心の塊になっているサヤを見ては「何であんな事を言ってしまったんだろう」という言葉を、さっきから心の中で何度も繰り返している。
昔から周囲の雰囲気や気配に対する感覚は鋭かった。他人の感情や身振りでその心を推し量るのも得意だった。
その特長はヒーラー協会で調査員を務め、更にガーディアン候補として訓練を受ける事でより研ぎ澄まされていったのだ。
協会では〝一km先の人間に気付き、更にその心まで読める男〟として恐れられている。
そんなシリルはサヤと何日か行動を共にしてみて、感じた。サヤが吹聴する記憶喪失は嘘だと。
この世界の事を殆ど知らないのは本当だと思う。だが記憶喪失という頼りない心理状態にしては、肝が据わり過ぎているのだ。
彼女がこの世界に向かう様子は失った記憶を求めるというよりも、未知の世界に挑んでいる、違う世界から来た人間のように見える。
そしてシリルは彼個人のある事情から、初めてサヤと顔を合わせた時に〝思う事〟があったのだ。そうした事情と自分の印象を考えあわせてシリルは推測したのである。
サヤの素性を。
だがそのカードの切り方を、シリルは完全に間違ってしまった。
おかげで〝目的〟を達成するどころか完全に逆効果、サヤは極力二人きりにならないようにする程自分を避けている。それこそ不審者扱いだ。
目下のところ、弁解する機会すら与えられない状況だった。
そして無理にその機会を作り出す気力は、今のシリルに残ってはいない。連日連夜の強行軍に加え、ロクに眠れていないシリルは、とっくに限界を越えてしまっているのだ。
だからこそ判断が狂って、サヤにあんな言動をしてしまったのだが。
シリルは目を細めて遠くに見える黒い小さな影を見やった。
あれが、この強行軍で、シリルが殆ど休みを取る事が出来ない原因だ。カナン街を出た時からずっと、付かず離れずついて来る連中。
今までは距離を保っていたのが、昨日から少しずつ近づいている。こっちの体力をギリギリまで削った上で、ドアーナ地方に入る前に〝決行〟するつもりなのだろう。
これまでならあり得ないヒーラー一行への暴挙がどうやら現実になろうとしている。
何としても食い止めねば。残る気力を、最低限はガーディアンの務めを果たす事に使うのだ。
シリルは水筒の水を疲労と暑さでボンヤリしそうな頭にかけて、気合を入れた。
明日も20時頃に投稿します。
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