世界の非常事態
出発するまでさやとヒルダはなるべく外に出ない方が良いという事になり、旅に必要な物資は出張所の職員が用意してくれた。着の身着のままで此処に来たさやとヒルダの着替えについても、女性の職員が寸法を確かめた上で最低限必要な衣類は整えてくれた。
とにかく出来るだけ急いで出発しなければならないので、さやとヒルダは職員が物資を持ち帰ったらすぐに荷造り出来るよう少ない所持品をまとめていた。
「——しかし自分の国ながらとんでもない真似をするもんだねえ。協会所属のヒーラー様に手を出したらどんな目に遭うかなんて、普通分かるだろうに」
解いた荷物を再び背負い袋に仕舞いこみながらぼやくヒルダに対して、さやは申し訳なくて仕方なかった。
「ヒルダごめん。酷い揉め事に巻き込んじゃって」
頭を下げて謝るさやにヒルダは笑って首を振った。
「この程度のもめ事なんか、シナ村でのあの酷い暮らしに比べたら何てこと無いさ。むしろ何処へでも逃げ回れるってのは幸せな事だよ。それより――」
ヒルダは荷造りの手を止めると、真面目な顔でさやに向き直った。
「サヤ、さっきの態度はダメだよ」
「さっきの?」
さやははキョトンとした。
誰かに何か失礼な真似をしたっけと首をひねっていると、ヒルダが言った。
「あんな大事な事をあんたのガーディアンを差し置いて、それも良く事情を知っている奴ならともかく、大して分かっていないあたしの意見で心を決めるなんてシリルさんが可哀そうだよ」
思いもよらない説教にさやは困惑した。
「……だって今すぐ出国するのはやっぱり大変だと思うし、そうしたら負担を掛けるヒルダの意見も聞いた方が良いかなあ、と思っただけだよ。それに可哀そうって、何で? シリルは、ただの仕事仲間でしょう? ちゃんと意見は参考にしてるし、それで良いんじゃないの? それに、そもそもヒルダはあたしがどうするか迷った時に意見をくれるんじゃなかったの?」
さやがそう反論すると、ヒルダはハー、と深いため息をついた。そしてさやの両肩を掴むと強い口調でこう諭した。
「いいかい? あたしの意見が欲しいっていうならあたしが言うのは、あたしよりもシリルさんを信頼しろって事だよ。ヒーラーにとってガーディアンは、ただの仕事仲間じゃない。それこそ一心同体なんだよ」
さやは少し考えてからヒルダを見てうなずいた。
「分かったよ。努力する」
さやは納得したわけではなかった。昨日今日あったばかりの者をそこまで信頼は出来る筈がないじゃないかとは思っている。
それでもヒルダがそう言うのならシリルを信じてみようとは思った。さやは、ヒルダの事は信頼していたからだ。
シリルと所長は持参する食料について相談していた。
道中必要な食料については、所長が出張所に備蓄してある食材を提供すると申し出た。内務大臣が馬車屋にまで手を回す以上、街中の店が売る食材にどんな仕掛けをするか知れたものではないからだ。
それこそ強力な睡眠薬などでも盛られでもしたら、たまったものではない。
食材の荷造りを職員に指示しながらも、所長は大臣への怒りを口にした。
「私も今後は出張所専用の馬や兵力も含めた防備の拡充を、より強く協会に求めていくつもりです。まさか出張所レベルでそんなものが必要になるとは、思いもしませんでしたが。勿論今回の一件は全て協会本部に報告し、ドラド王国に対して然るべき制裁措置を取って貰います。発覚しなければ何をしても良いなどという考えがどれだけ見当違いか、大臣に思い知らせてやらねば!」
憤る所長にシリルは言った。
「新たなヒーラー殿が発見された事自体五年振りだ。ましてサヤさんは二か月かかったとは言え、完全封鎖の闇を祓ったヒーラー殿です。内務大臣も目先の利益に目が眩んでしまったのだろう。ヒーラー殿は、そこまで不足しているのだから」
シリルの言葉に所長は沈痛な面持ちでこう尋ねた。
「どなたかお一人だけでもSランクヒーラー殿が特殊任務からお戻りになられる見込みは、まだ無いのですか?」
「——状況に変化があった事が調査員レベルに伝わったとしても、あなたに教える訳にはいかない。申し訳ないが」
「——そうですよね。すみません、無益な事を聞きました」
素っ気ないシリルの答えに所長は力なく笑った。
Sランクヒーラー全員が不在。
それは二十年前からこの世界で続いている、非常事態だった。当時世界を滅ぼしかねない強大な闇が突如発生し、協会に所属しているSランクヒーラー全員が招集されたのだ。
おかげで今のところ闇が世界を吞み込む事態は回避されているものの未だ闇を完全に祓うには至らず、Sランクヒーラー達はその闇に掛かり切りだという話だった。
この事実は一定以上の役職にある者のみにしか知らされておらず、更に詳しい情勢になると情報開示はより限られていく。
調査員だったシリルには開示されても、出張所の所長には知る事が出来ない情報もあった。そして協会関係者以外の者は強大な闇の存在も、Sランクヒーラーの不在も全く知らないのだ。
Aランク以下のヒーラーしか稼働できない現状で、世界は事情も知らぬまま悪化する一方の闇に怯えるしか無かった。ドラド王国がルールを踏み外した行為にまで手を染めるのも、そうした状況が影響しているのだろう。
場の暗い雰囲気を振り切る様に、所長は強いて明るい笑顔を作りこう言った。
「とにかく完全封鎖の闇を祓えるヒーラー殿が新たに発見された事は、喜ばしい限りです。あの方の御力で救われる場所はかなりあるでしょう」
「ええ。サヤさんの能力を必要とする地域は数多くあります。絶対にドラド王国に囚われて良い方ではない。何としても守り通して見せます」
シリルが強い決意を込めて断言した時、男性職員が入って来て言った。
「所長、荷物の用意が出来ました。何時でも運び出し可能です」
所長はSランクヒーラーの話を止めてシリルに言った。
「ではシリル殿、荷の収納が済みましたら早速ここを発って下さい。一刻も早くサンクアロー王国へ向かわれるに越したことはありません」
サンクアロー王国とはドラド王国に隣接している国である。ここから最も近く、ヒーラーへの応対も平穏な為、シリルはサンクアロー王国の協会支部に向かうつもりだった。
「分かりました。では食料及び必要物資は、私とサヤさんの次元収納袋に入れて運ぶことにします。食料ですが、お願いしていた通りに携帯食中心で揃えて頂いていますよね?」
シリルの問いに、所長は済まなそうな顔で言った。
「誠に申し訳ありませんが、この出張所に携帯食の備蓄はあまり無いので、殆どが食材での提供となります。サヤ殿の次元収納袋は時間経過の無いものだと聞いておりますので、持ち運びには問題無いかと。他に携帯用の調理器具と燃料に調味料、それに点火器具に食器もお渡ししますので、どうかそれでご対応下さい」
所長がそう言うと、何故かシリルの顔が引きつった。
明日も20時と22時頃に更新します。
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