妨害
所長の指示で、さやは呼び出しベルを鳴らす紐を三回引いた。緊急事態の合図だそうだ。
すると五分も経たないうちにシリルが部屋に入って来た。
しかしその様子を見ると、今まで寝ていたのは明白だった。服は身に着けているがボタンのかけ間違いがある上に、服の所々には皺が寄っている。
おまけにまとめていない髪はあちこちがハネていた。
さやはシリルを呼び出したことにかなり気がとがめた。
自分は馬車で多少の仮眠は取れたが、シリルは眠っていない。そして協会への仮登録が済んだ後さやはすぐに寝室で休むことが出来たが、恐らくシリルはその後所長と今後について、ある程度打ち合わせはした筈だ。
そんな状態のシリルを叩き起こすなど、一体何があったというのか。
シリルはすぐさやに駆け寄った。身なりはともかくその表情に眠気は一切感じられない。
「どうしました?」
尋ねるシリルに所長は深刻な面持ちで、あ然とするような事情を話した。
聞いているシリルの顔も険しくなっていく。
「……貸馬車が用意出来ない?」
「ええ。職員がどれだけ掛け合っても、頑として撥ねつけられたそうです。馬車は勿論、馬だけでもです」
「…………」
「ヒーラー協会の用だと伝えたにも関わらず、空きは無いと言われたそうです。カナンには三件馬車屋がありますが、どこにも断られたと職員が申しておりました。恐らく内務大臣の差し金でしょう。カナンは大臣の領地ですから」
行動制限が厳しいこの世界では、貴重な移動手段である馬の所持も規制が設けられている。高ランクヒーラーや一定の身分以上の者以外で馬を持てるのは免許制の馬車屋だけで、一般の人々が馬を使う場合はこの馬車屋から借りるしかない。
そしてこの出張所には専用の馬は無かった。状況が厳しくなっている為出張所も馬車を所有できるよう申請中だが、まだ許可されていないそうだ。
「何でですか⁉ 何でそんな意味の無い嫌がらせをするんですか⁉ もうあたしの協会への登録は済んだのだから、そんな邪魔したって……」
愕然としたさやが叫ぶと、険しい顔でシリルが言った。
「あなたはまだ仮登録の状態なのですよ」
「——仮登録?」
怪訝な顔をするさやに所長が説明してくれた。
協会の出先機関であるこの出張所で出来るのは仮登録までであり、本登録をする為には各国の王都にあるヒーラー協会支部に行かなければならないのだそうだ。
「仮登録でもヒーラー殿が得られる保護は、本登録の場合と変わりません。しかし仮登録には三週間という期限があります。失効すればまた登録し直さねばなりませんが、その場合はペナルティとして一カ月は仮登録が出来なくなります。大臣はそれを狙っているのでしょう。仮登録が失効した段階で、何か仕掛けてくると思われます」
そこまで説明した所長は怒りに目を光らせた。
「——去就を決めておられないヒーラー殿を巡って争いがあったとしても、本来ヒーラー殿が仮登録を済ませた時点で各国は手を引くものなんです。それを馬車屋にまで手を回すとは、大臣は常軌を逸しています。こんな真似をしてどうなるか分かっているのか……!」
吐き捨てるようにそう言うと、所長は大きなため息をついた。
「五年前にドラド王国専属のヒーラー殿を確保しようと主張する一派が実権を握った時から、この国は悪循環に陥っているのです。無茶な勧誘を仕掛けるからヒーラー殿もこの国を避けるようになる。だから余計に焦って必死にヒーラー殿を専属にしようと図るのです。今回動いている内務大臣は一派の中でも特に急進的ですが、それにしても今回は引き返せない所にまで踏み込んだとしか思えません」
沈痛な面持ちでそう言った所長は、しかしすぐに決然とした顔になってさやとシリルに言った。
「とにかくこんな暴挙を許す訳にはいきません。すぐに協会本部に連絡して事情を伝え、サヤ殿の仮登録有効期限を延長するか、ペナルティ免除ですぐに再登録して貰えるよう要請します。仮登録延長の前例はありませんが、今回の事態そのものが今までならあり得ない事ですから。その上でドラド王国の王都ザイルにある協会支部とも諮り、何とかして馬車を手配します。ですからサヤ殿、シリル殿、それまではこの出張所に御留まり下さい。大臣もさすがにここに手出しはしないでしょう」
所長がそう言うと、シリルは顎に手を当て少し考えてからキッパリ言った。
「いや、すぐに出立した方が良い」
「は⁈ しかしこんな状況では!」
シリルは驚き止めようとする所長にこう言った。
「向こうは今までならあり得ない事を、既に散々やっているのです。このままでは発覚しなければ良いのだと考え、どんな暴挙をしでかすか分かりません。むしろ仮登録の期限が終わるまでに歩いてでもこの国を出て、別の国の協会支部で本登録を目指す方が得策です。相手がサヤさんの仮登録失効を狙っているのであれば、仮登録が有効であるうちは表立った手出しはしないでしょうから」
「徒歩で出国するのですか⁈ 無茶です‼」
所長は顔色を変えて反対したが、シリルはさやに言った。
「この国の現状はこうした有様です。サヤさんが何処に滞在なさるかはサヤさんの意思によりますが、私は仮登録の期限が終わるまでにこの国を脱出するべきだと思います」
決断を迫られたさやは考えた。
所長とシリル、どちらの意見を選ぶべきだと問われれば、さやは出来れば所長の言う通りにこの出張所で事態が改善するのを待ちたいと思う。
シリルの意見に従って今出国するなら徒歩で行くしか無く、やはり負担は大き過ぎる。途中で誰かが体調を崩しでもしたら、それこそ仮登録が失効した状態で大臣の前に放り出される恐れもあるのだ。
さやは所長に尋ねた。
「所長さん、所長さんが仰る仮登録機関の再延長や執行の際のペナルティ期間の免除は、間違いなくして頂けるんですか? それから馬車の手配ですが、ここまで妨害を受けている状況で本当に可能なんですか?」
さやの質問に、所長は難しい顔をして答えた。
「出来る限りの努力はします」
所長の返事にさやは悩んだ。確約が出来ないのなら、出張所に残る事も今出国すると同様に賭けだ。
さやはしばらく考えてから助けを求める様にヒルダに言った。
「ヒルダ、どう思う?」
すると所長が驚いた顔でさやとシリルを見比べた。ヒルダも酷く慌てた様子でさやに言う。
「サヤ、どっちにするか判断出来ないなら、ガーディアンの意見に従うべきだよ」
ヒルダの言葉でさやもやっと心を決めた。
「分かった。出国しよう」
さやがそう言った時、シリルはまた寂しげな表情になった。とはいえそれは一瞬で、すぐ平静に戻ったシリルは旅の支度に取り掛かる為に部屋を出て行った。
次は22時頃に投稿します。




