誕生日
第2章の始まりです。
※残酷な描写があります。
さやは夢を見ていた。ヨルンが七歳になった日の出来事を。
その日ヨルンは叔父のラナイに呼ばれた。珍しい事だった。いつもは誕生日だろうと誰も顧みなかったから。
叔父はヨルンを王宮の地下牢に連れて行った。重罪人を留め置く場所だ。
幾人もの兵が警備する物々しい雰囲気の中、一番奥の牢にラナイとヨルンは入った。中には男が一人囚われていた。
何重もの鎖に繋がれた男は見るも無残な姿だった。片目は潰され両足と片手は切断されている。
歳は三十代半ばぐらいだろうか。元はかなり端正な顔立ちだったと思われるが、今は見る影もなくやせ衰えていた。
そして入浴どころか排泄の世話をされることも無いのだろう。身体は汚れ切っている。
ただそんな酷い有り様以上に、男には目を引く特徴があった。
男はエルフでは無く人間で、しかもヨルンと同じ黒髪だったのだ。
ヨルン達の気配に気づいたのか、男が残っていた目を開ける。その瞳はヨルンと同じ空の色だった。
男はヨルンを食い入るように見つめ、微笑んだ。
叔父に促されてヨルンは男の側に寄った。男は残った片手を牢の柵越しに伸ばしてヨルンの頬に振れる。
「……フロールに似ている。大きくなったね」
男がそう言った途端にラナイが駆け寄り、持っていた鞘付きの剣で男の顔を殴りつけた。
「その汚らわしい口で王女の名を語るな!」
男が倒れると、叔父は今度はヨルンを滾るような憎しみの籠った目で睨みつけた。
「いいか、この人間がお前という〝汚点〟が出来た原因だ。この人間が我等の清浄な国を土足で荒らし、王女を我が兄から掠め取った。それをよく覚えておけ」
ヨルンを言葉で殴りつけたラナイは、折れた歯を吐き出しながらも顔を上げてヨルンを見ようとする男に向かって言った。
「これで〝約束〟は果たした。もう思い残す事は無いだろう」
「――待ってくれ。この子を一度連れ出してくれ ……見せたくない」
「そんな約束はしていない。己という大罪を生み出した者がどうなったか、この汚点の眼に焼き付けてやる」
そう告げるとラナイは鞘から剣を抜き、一刀で男の首を切り落とした。
そして男の頭が転がるのに目もくれずに牢から出ると、ラナイは警備していた兵に命じた。
「義姉上をお連れしろ」
少しして兵に守られた王女―― ヨルンの母がやって来た。母は牢の凄惨な有様を見ても、眉一つ動かさない。
ラナイはヨルンの母に言った。
「これで〝約束〟は守りました。一ザンだけですよ」
「まだです。もう一つ約束は残っている筈です」
ラナイを見据えて念を押す母に、ラナイはにこやかに言った。
「守りますとも。いつとは言えませんが、必ずこの娘は人間の下へ送り出します。ただその為には義姉上も」
「分かっています。約束は守ります」
母がキッパリ言うと、叔父は兵を連れて出て行った。後には二人と死体だけが残された。
――いや、もう一つあった。男の死体から小さな光の玉が出てきたのだ。光の玉は母の下に行く。
すると仮面の様に無表情だった母が微笑んだ。嘆く間も惜しいというようなその笑みは、いつも母が浮かべている貼り付けた様なそれとはまるで違うものだった。
「やっと会えましたね、カイル。ずっとこの時を待っていました。このような身の上と引き替えにしてでもあなたが望んだ事を叶え、あなたの苦しみをようやく終わらせることが出来た」
光の玉に向って母が話しかけると、ヨルンの頭に男の声が響いた。
〝フロールすまない。僕には君の辛さを終わらせてあげる事が出来ない。しかも君を残して行かなければならない〟
母は首を振った。
「全ては私が選んだ道です。私なら大丈夫、あなたは心置きなく転生なさって下さい」
母がそう言うと光の玉は母から離れ、地下牢をすり抜けて出て行った。それを見送った母は、ヨルンに向って言った。
「こちらに来なさい。お父様のお身体を綺麗にして差し上げましょう。どうせ後でまた汚されるのだろうけど、今だけは」
母はヨルンと共に牢の中に入ると、水で湿らせた布を取り出した。そして一枚をヨルンに渡すとカイルの顔の汚れを拭い取っていく。それが終わると今度は身体。ヨルンは残っていた手を拭いた。
酷い汚れを何とか拭った首と身体を付けると、母はヨルンに向き直った。そして手入れされていないクシャクシャの髪を撫でつける。ヨルンが母にそんな風に優しく触られるのは、それが最初で最後だった。
ヨルンの髪を整えると母は襟元に手を差し入れる。そしてペンダントを引っ張り出した。
「——これは誰にも見せたことが無いものです。これならあなたに渡しても知られることは無いでしょう」
母はペンダントを外してヨルンの首に掛けると言った。
「私があなたにあげられる物は、これだけです。良いですか、決して失くしてはいけません。誰にも見つからないように気を付け、肌身離さず持っていなさい。そして、何としても人間の国に行くのです」
「人間の国?」
訝しがるヨルンに母は頷いた。
「あなたの役目は人間の国にあります」
「——役目? 私に、役目があるのですか? 私は〝忌まわしい汚点〟では無いのですか?」
ヨルンがそう尋ねた途端、母が激しい口調で叫んだ。
「汚点などでは無い!! そなたは、断じて忌まわしい存在などでは無い!」
血を吐くように叫ぶと、母は再び冷静さを取り戻してヨルンに言った。
「ヨルン、あなたにはちゃんと役目があります。あなたはその為に生まれたのです。それを忘れてはなりません」
母が更に言おうとした時、足音が聞こえた。母は小声でヨルンに早くペンダントを仕舞うように促す。ヨルンが急いでペンダントを服の下に隠したところで叔父と兵が戻って来た。そして母を連れて行ってしまった。
母がヨルンに声を掛けたのも、激しい感情を示したのもこの時だけだった。
そしてヨルンは母の言いつけを守った。彼女は死の瞬間までペンダントを肌身離さず持っていたのだ。
――そこでさやは目を覚ました。
次は22時頃に投稿します。




