お礼
想いも掛けない申し出にさやは目を見張った。ヒルダとはここでお別れだと覚悟していたからだ。
驚くさやにヒルダは言った。
「あんた、さっきこの方をガーディアンにするのを承知したのは、あたしがそうするよう促したからだろう?」
「……うん」
ヒルダの言う通りだった。シリルに協会への登録を希望したのも、シリルをガーディアンにする事を了承したのも、ヒルダが身振りや言葉でそうしろと勧めたからだ。
あの時、いや、今でもさやはヒーラーを取り巻く情勢を殆ど知らない。当然ヒーラー協会が信頼に値する組織かどうかも。
勿論、アデラの言う事だって、鵜吞みには出来なかった。何しろアデラとは今日会ったばかりなのだ。しかも獲物を見るような目で自分を見た彼女に対する印象はあまり良くは無かった。
とはいうものの、理由も話さずに協会への登録を強く勧める村長を信じ切るのも難しかった。村長は村が一番大事なのだろう事はよく分かっていたから。
そしてシリルに対する印象は、言うまでも無く最悪だ。
それでも皆の様子―― 特にアデラの話を聞いていると、今この場でどうするべきか決断しなければならないのは分かった。
そして悩んださやは、最終的にヒルダを信じることにしたのだ。
三か月近く一緒に暮らしているうちに、ヒルダはさやにとってそれだけの存在になっていたから。アデラのあらゆる甘言よりも、ヒルダが発したたった一言の方がさやは信じられた。
そんなさやにヒルダは言った。
「あんたはこの世界については忘れている事だらけだ。だからこれからもあんたは急いで決めなけりゃならない事を、ただ事情を知らないってだけで迷うことがあるだろうよ。だからあたしがあんたに付いて行って、そういう時は意見してやるよ。だってあんたは、あたしの事なら少しは信じてくれるんだろう?」
「ヒルダ……」
さやの心にヒルダ―― この世界で初めて出来た親しい者と別れずに済むことへの喜びと安堵が広がった。しかしさやはその気持ちを必死に打ち消す。
「——駄目だよ、ヒルダ。やっとこの村で安心して暮らせるようになったんじゃない。それをあたしの揉め事に巻き込む訳にはいかないよ。それにヒルダだって、これから夢の為に頑張るんでしょう?」
自身の願望と戦うさやの肩に、ヒルダは優しく手を置いた。
「あたしはあんたにそれだけの恩があるんだよ。それにゆくゆくはどこの街で店を出すか、物色しようとは思ってたんだ。それが早くなるだけの事さ。大丈夫、あんたがもう心配要らないと思ったら、あたしはあたしの好きなように生きるよ」
そしてヒルダはシリルに向かって尋ねた。
「ガーディアンさん、それで良いですね?」
「構いません。国内を自由に行き来出来る者ならヒーラー殿に同行させることに全く問題は無い。ヒーラー特権で越境も可能だ」
ヒルダはさやを見て笑った。
「そういう事だ。これからもよろしく頼むよ」
それを聞いた村長も、渡りに船とばかりに賛成した。
「ヒルダ、そうして貰えると助かるよ。是非サヤ様の御力になって、村の恩を少しでも返しておくれ」
村長は懐から小さな腰下げ袋を出すと、さやに差し出した。
「サヤ様、次元収納袋です。良かった、これだけはお約束していた通りにお渡し出来ます」
村長から次元収納袋を受け取ったさやは、ある事を思い出した。
「忘れてた! 村長さん、この懐中時計をイザベラさんに返して貰えますか?」
そう言ってさやが首から懐中時計を外そうとすると、村長は押し止めた。
「イザベラからの伝言です。その懐中時計はあなたに差し上げるそうです」
「え⁉ だって、お父さんの形見なんじゃ……」
戸惑うさやに村長は微笑んだ。
「娘を返してくれたせめてものお礼だと、これからあなたが闇祓いでその時計を使ってくれるならこんな嬉しい事は無いと申しておりましたよ。サヤ様、三年前も今もシナ村が闇に吞まれかけた時、この国は私達を閉じ込める以外何もしてくれなかった。その村を救って下さったのがあなたです。村人一同あなたにはどれだけ感謝しても足りません。本来なら村人全員ひれ伏してあなたにお礼を申し上げるべきなのに、こんな見送り方をすることになってしまい、申し訳ない限りです。どうか無事登録が叶うことを祈っております。もし機会がありましたら、また村にお越しください。今度こそ村を挙げておもてなしさせて頂きますから」
「サヤ、村長さんの言う通りだよ。頼むからあたしにあんたの手助けをさせておくれ。あんたはそうされて当然の事を、あたし達にしてくれたんだよ」
「ヒルダ…… 村長さん……」
さやは胸が熱くなった。自分がこれと定めた仕事でそれだけ人を喜ばせたのだ。こんな嬉しく光栄な事は無い。この礼は受けるべきだろう。さやは笑ってヒルダに言った。
「分かった。じゃあしばらくの間、有難く御世話になるよ。よろしくねヒルダ」
「ああ、頼むよ」
二人が笑いあったところでシリルが言った。
「では行きましょう。大臣が来る前に、出来る限りここから離れる必要があります」
シリルはさやとヒルダを促して、最低限必要な物だけをまとめさせた。さやは納屋に走って行くと、オーガのモップを取り上げて次元収納袋に入れた。袋にモップの柄を差し込んだ途端にスルスルと入ってしまう。しかも持ってみても重さが変わらない。確かに便利な袋だ。
支度が済むと、シリルは二人を連れて玄関に向かった。そして外に出た所でアデラに言った。
「当然だが私達の後をつけるのは許さない。私はそういう気配には敏感でね。君達一行の誰かが私達を尾行するようなことがあれば、私はすぐ協会に報告する。それが何を意味するのか検査官はよくお分かりの筈だ。協会を敵に回したくなければ、私達の捜索は大臣が到着するまで待つことだ」
アデラは怒りにわなわな震えていたが、不意にニヤリと笑うとこう言い放った。
「分かりました、従いましょう。ところでガーディアン殿、我々はヒーラー様に関するあなたの命令にはほぼ逆らえませんが、物品の供出に関してはこちらの同意が必要な筈です。この村に来る為にあなたが利用された馬は、勿論当方が用立てたものです。つきましては申し訳ありませんが、これ以上のご使用は拒否させて頂きますので、悪しからず」
そしてアデラはさやに向かっても言った。
「サヤ様、後で必ずお救い申し上げます。今はお分かりでは無いでしょうが、あなたは我々と行動を共にする事こそ最善なのです」
シリルは目を細めたが、何も言わずにドアを閉めた。
そしてさやとヒルダに言った。
「お二人とも足腰はしっかりしていますか?」
明日は18時、22時頃に投稿します。
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