大増殖
家の近くまで来たさやは、ヒルダの凄まじい悲鳴を聞いて駆け出した。
何かが引っかかっているのか、なかなか開かない玄関のドアを蹴り飛ばして中に入る。するとヒルダが頭を抱えながら悲鳴を上げ続けている姿が目に入った。
「ヒルダ! あたしだよ! 何があったの⁉」
うずくまるヒルダの肩を抱きかかえると、ヒルダが涙でぐしょぐしょになった顔を上げた。
「…………ああ、ああ~」
泣きながらヒルダが指差した壁を見たさやは息を呑んだ。
自分が消した筈の、あの闇が元に戻っている。それどころか、僅かずつだが確実に広がっている。
さやは舌打ちすると納屋に走って行った。そしてオーガの獣毛を使ったモップを持つと、母屋に駆け戻ってヒルダを安心させるために声を掛ける。
「待って! 今祓うから!」
さやはモップを闇に押し当ていつもの様に念を込めて闇を擦った。すると金粉が舞い散り、闇が消えていく。
さやはホッと息を吐いたがすぐに愕然とした。
闇が、祓った端から再び元に戻っていくのだ。さやの額に冷や汗が流れる。
その時つんざくような笛の音が鳴り響いた。笛は何度も何度も鳴り響く。
それを聞いているヒルダの顔から、血の気が引いていった。
さやが再び壁の闇にモップを向けた時、村長が家に駆け込んで来た。
目が血走っている。さやを見ると縋り付いて叫んだ。
「サヤ様‼ 助けて下さい‼ どうか村を……!」
血相を変えている村長の様子を見て、さやは他の家でも同じ現象が起きているのだと察した。
自分まで動揺しては駄目だと強いて心を落ち着かせると、今度は村長を安心させる為に声を張り上げる。
「分かりました! この闇を祓ったらすぐに行きます!」
しかし村長はさやの腕を強く引っ張ると怒鳴った。
「そんな余裕は無いんです‼ 教会が先です‼」
「教会って…… あそこは手を付けちゃいけないんじゃ」
戸惑うさやに答えもせず、村長は年寄りとは思えぬ力でさやを外に引っ張り出した。
笛が鳴り響く中、村長に急かされるまま教会へ向かうさやは目を疑った。
どの家も自分が祓った筈の闇が戻っている。
その横で村人が頭を抱えて呻いていた。家屋内の闇も復活しているのだろう、家の中から悲鳴や呻き声が聞こえる。イザベラもうずくまっていた。
「止めて…… ローラちゃん、止めて……」
そう呟きながら、すすり泣いている。
(何が起こっているんだ……)
教会に来たさやは総毛だった。
ここもきれいに祓った筈の壁が全面、墨を掛けたようにどす黒い闇に染まっていた。そして締め切った扉や窓の隙間から、闇が黒煙の様に噴き出している。
近くに検査官と協会の調査員がいた。アデラは笛を吹き続けている。ベイルは真っ青な顔でガタガタ震えながら、その場に座り込んでいた。
「どうして…… 三年も収まっていた闇が何で突然こんなことに……」
そんなことを呟きながら、闇が噴き出し続ける教会を為す術もなく見やっている。
調査員のシリルも教会を見ていた。その表情からは、一切の感情が抜け落ちている。
村長はそんなシリルに駆け寄ると、必死の形相で哀願した。
「調査員殿、お願いです! どうか、どうか完全封鎖の判断を撤回して下さい! 今ヒーラー様がいらっしゃいました! サヤ様に教会の闇を祓って頂きます! ですから、どうか……!」
村長が泣きながらシリルに哀願すると、シリルの目に幾らか感情の揺らぎが宿った。するとアデラが笛を吹くのを中断して走りより、村長を怒鳴りつけた。
「馬鹿を言うな! ここまで増殖した闇を祓える筈が無いだろう!」
言葉を失った村長を一顧だにせず、アデラはさやに向かって言った。
「サヤ様、私達と共にこの村を出ましょう! もうここは完全封鎖するしかありません! 兵達には既に合図を出しました。三年間収まっていた完全封鎖地域が何故突然増殖を始めたのかは分かりませんが、この増殖のスピードからすると四、五時間もすれば村は闇に吞まれるでしょう。その前に脱出するんです!」
その言葉に村長は蒼白になった。それでも縋る様にシリルを見たが、シリルの返事は無情だった。
「無念だろうが、諦めてくれ。我々はこの闇を他所へ持ち込む事だけは、避けなければならないのだから」
「そんな! 私達を見捨てるんですか⁉」
悲痛な叫び声を上げた村長は、遂にさやの足元に土下座した。そして叫び過ぎてかすれ切った声を振り絞る様にして訴える。
「お願いです! サヤ様! どうか、どうかこの村をお救い下さい……!」
泣きじゃくりながら地面に顔を擦り付けて乞う村長を見て、さやはモップを持ち直すと教会へ向かった。しかしアデラが立ちはだかった。
「お止め下さい。これ程の闇は、高ランクヒーラー様でもなかなか祓えるものではありません。下手に深い闇に挑んで逆に闇に吞まれたヒーラー様もいらっしゃるのはご存知でしょう! その場合、闇がどれだけ増殖するかも!」
(!)
ヒーラーが闇に吞まれれば、闇は更に増殖する。その情報に驚くさやに、アデラは更に言った。
「我々は貴重なヒーラー様をここで失う訳にはいきません。サヤ様、どうか世界全体の事をお考え下さい。闇に吞まれれば、あなたは世界に害為す悪霊になり果てる。しかしここで生き残れば、あなたに救われる者がいるのです!」
サヤは激しく葛藤した。苦しむ村人、泣き叫び縋る村長。救ってやれればどれだけ良いか。
しかしそうしようと思うさやの心をアデラの言葉が縛り付けた。
何故なら、彼女の言っている事は正しいからだ。
自分には確かに強い能力があるのかもしれない。だが今はまだ、この村の些細な闇を祓っただけに過ぎないのだ。それをいきなりこれまでとは桁違いの深さと威力を持つ闇に立ち向って、本当に祓えるのか。
しかも闇には多数の悪霊が存在する。悪霊と対峙した経験などもちろんさやは皆無だ。
どう考えてもアデラの言うように吞まれるだけではないのか。ならばここは諦めた方が、人様の為になるのではないか。
「賢明な御判断です」
力を失ったさやの手から、アデラはモップを取り上げた。
次は22時頃に投稿します。




