酔っぱらいのたわ言
玄関のドアを開けると料理の良い香りがさやを出迎えた。御馳走を並べたテーブルの横で、ヒルダが笑っている。
「村長さんから午後は休みだって聞いたからさ。闇祓いが一段落した、早めのお祝いだよ。明日の朝はまた早いだろうからね ——サヤ、ご苦労様」
いつもより数段豪華な料理の数々に、さやは目を見張り喜んだ。
「すごいね! 肉の塊や干し魚もある! 甘いお菓子まで! こんなに用意するの、材料費が大変だったんじゃないの?」
所狭しと並べられた御馳走に目を輝かせながらも、さやがヒルダのかなり乏しいはずの懐具合を心配すると、ヒルダは全部村人達が持ち寄った物だと笑った。
「みんなあんたに礼がしたくてたまらないのさ。あんな安い礼金でこれだけきちんと闇を祓ってくれたんだ。この村はどれだけ闇が広がろうが、二度目の闇祓いは絶対無いだろうと諦めていたからね」
ヒルダはワインの瓶を持ち上げるとニヤリと笑った。
「今時分なら、飲んでも明日には響かないだろう? あんた、お酒が飲めるかどうかは憶えているかい?」
さやも笑って答えた。
「大好き!」
実に気持ちの良い飲み会だった。
タップリあるお酒に美味い料理、気の合う友人。そしてその友人は笑っている。
サヤはその笑顔が何より嬉しい。このままヒルダが笑い続けてくれたら、尚嬉しい。
しかし更に酔いが回るとヒルダの口は重くなる。
やがて居間の闇があった場所を見て、ふっと顔を曇らせた。笑顔も消えている。
「——ヒルダ、そこにもう闇は無いよ」
さやが声を掛けるとヒルダは笑った。だがその笑顔は暗い。
ヒルダは壁を見ながら呟いた。
「——またあいつが戻ってるんじゃないかって、つい思っちまうんだよ。こうやって人を安心させといて、こっちの気が緩んだ途端にまた舞い戻って来て、そしてまた恨み言や呪いの文句を浴びせてくるんじゃないかって」
「あいつ? 恨み言?」
不穏な言葉にさやは眉をひそめた。
(あの闇はそんな真似もするのか)
さやが闇祓い能力を発現する前、ヒルダはさやが寝に就く時には割と元気なのに、朝顔を合わせるとまた鬱屈しているのを繰り返していた。
夜中に恨み言を聞かされ続けていたなら、気が滅入るのも無理はない。
ヒルダはそれだけ言うとまた黙り込み、壁を淀んだ目で見続ける。
さやはためらったが声を掛けた。やっと消えた暗さがまたぶり返しているヒルダを、放ってはおけなかったから。
「ヒルダ、それは辛かっただろうね。でも大丈夫だよ。ヒルダにそんな酷い事をした闇は、あたしが全部祓ったから。それにもしまたヒルダに変な事を言ってきても大丈夫だよ。そんな闇はあたしが片っ端から祓ってやるから、安心して」
「――ありがとうサヤ」
強いて元気な口調で励ましながら腕を曲げて力こぶを作って見せるさやに、ヒルダは少しだけ笑った。
しかしすぐにその顔は悲痛に歪む。
いつものヒルダは己の鬱屈をどうにかして抑えようとするのだが、今日のヒルダは酔いが回って心のタガが外れてしまったようだ。
「でもね…… 多分ダメなんだよ。あの闇をいくら祓ってもダメなんだよ。だってあいつは…… まだいるんだから」
そう言って両手で顔を覆ってしまったヒルダの傍にさやは駆け寄ると、丸めたその背をあやすように撫でた。
「ヒルダ、誰がヒルダにそんな酷い真似をするの? あいつって誰? 教えて。あたしに出来る事なら何でもするから!」
さやが背中をさすりながら語りかけるが、ヒルダは激しく首をふって泣きそうな声でこう言った。
「ダメだよ…… あたしの真っ黒いとこを見せちまったら、あんたまで暗闇に引きずり込んじまうよ」
さやは悟った。今ヒルダが必死に言うまいとしている事こそ、ヒルダを鬱屈させている元凶なのだと。
そしてこれ以上その元凶をヒルダ一人に抱えさせてはならないと。
さやはヒルダの背中を優しくさすりながら、一生懸命ヒルダに向かって言葉を紡いだ。
「ねえヒルダ、ヒルダは前に、何も知らないお日様みたいなあたしと過ごしたいって言ってたよね。でもね、今のヒルダをただ見ているだけだったら、それこそあたしは笑えなくなるよ」
「…………」
「あたしはヒルダが隠していることに何一つ関われないよりも、ヒルダが抱え込んでいるものを知って辛い思いをする方がよっぽどいいよ。だって知ったなら、ヒルダを少しでも助けてあげられるかもしれないじゃない。その方がずっと嬉しいよ! だからヒルダ、ヒルダが抱えているものをあたしに見せて。そうでないと、あたしは明日から笑えないよ」
さやがそう言うとヒルダの震えが止まった。さやはヒルダの背中をさすり続ける。
やがてヒルダが呟いた。
「……あたしの亭主だよ」
「亭主?」
「あの闇を通してね、あたしの亭主があたしに恨み言を言うんだよ」
「!!」
ヒルダに夫がいたなど初めて聞いた。
そもそもヒルダは自分の過去について、今まで決してさやに話そうとはしなかった。さやも話したくないものを無理に聞き出そうとは思わなかったから、ヒルダの過去は知らないままだった。
ヒルダが初めて明かした夫の存在。しかもその夫は闇を通してヒルダに悪意を向ける。
それが今までヒルダを鬱屈させてきた原因なら。
さやは覚悟を決めてヒルダの事情に踏み込んだ。だってヒルダは大事な友人なのだから。
「ヒルダ、ヒルダの旦那さんは何処にいるの? どうして闇を使ってそんな酷い真似が出来るの? 教えて! そいつが闇を使うのなら、あたしだったら何とか出来るかもしれないでしょう? あたしにやれるならその旦那さん…… 元夫って野郎をぶっ飛ばしてやるよ!」
さやが必死になって出来る限り元気で明るくそう言うと、笑い声が上がった。ヒルダは口に手の甲を当てクックッと笑っとぃる。
笑い止むとヒルダは顔を上げた。その目は赤くなっているが、少しだけ光が戻っていた。
「ありがとうサヤ。あんたはやっぱりお日様だ」
ヒルダはコップに残っていたワインをグッとあおってこう言った。
「どうもすっかり酔っぱらっちまったみたいだ。おかげで何でも洗いざらい喋りたくなったよ。サヤ、酔っぱらいのたわ言を聞いてくれるかい?」
さやはゴクリと唾をのんだ。ヒルダが遂に今までさやに隠していた〝闇〟を話そうとしている。
さやが真剣な顔で頷くと、ヒルダは笑ってありがとうと言った。
「あたしは、本当は誰かに言いたかったんだよ。どうにかしてくれなくてもいい、聞いてくれるだけで心が軽くなると思うからさ。あんたに話したら本当にスッキリ出来そうだ」
言外に例え問題を解決出来なくとも気に病む必要は無いのだとヒルダは前置きすると、酔いなど欠片も残っていない目でじっとさやを見つめて話を始めた。
「あたしの亭主は…… あいつは教会にいるんだよ。三年前からずっと」
ヒルダはさやに打ち明けた。三年前の自分に、村に何が起こったのかを。




