見解の相違
また生きることが出来るなら、こんな嬉しい事は無い。
怪我が治るのに時間はかかるだろうが、事故はさやが憶えている限りあのトラックが絶対悪いから、治療費と慰謝料はたっぷり貰えるはずだ。だから生活費の問題も解決する。
そうしたら完全に回復するまでの間に体臭専門の病院に通って治療を受けよう。それで体臭が収まったら、正社員登用している清掃会社に応募する。
現在登録しているあの清掃会社はかなりブラックな職場だったから、むしろ縁が切れてラッキーだったのかもしれない。行き詰ってるどころか、バラ色の未来が広がっているではないか!
しかし希望に目を輝かせるさやに、女は顔をしかめて冷や水を浴びせた。
「そうじゃないわ。あなたの身体は潰れてグシャグシャよ。元の人生じゃなく転生してもう一度、生まれた時からやり直すのよ」
「——そういうことですか」
さやはこれ以上無いくらいげんなりした。やっとここまで苦労して自分という人間を作り上げてきたのに、その成果を全部チャラにして一からやり直さなければならないのだ。
とはいえ不平を言っても、死んだものは仕方ない。
「で、あたしはどんな人間に転生するんですか? 出来たら教えて欲しいんですが」
気を取り直してさやが尋ねると、女は待ってましたとばかりに目をキラリン! と光らせた。
「あなた本当にラッキーよ! ロトシックスなんて目じゃない特別中の特別、超超スペシャルVIP待遇に当選したんだから!」
ロトシックスにスペシャルVIP待遇。その言葉を聞いただけでさやはすっかり萎えてしまった。
しかしそんなさやの気持ちは分からないようで、女はそれこそこぼれるような営業スマイルを浮かべてセールストークを始めた。
「転生先は問題だらけで面白みの無い地球じゃなくて、夢と冒険とロマンスに満ちた異世界! しかも経済力、国力ともに花丸のエーデルランドという大国の王女様よ! 両親の国王夫妻は政略結婚には珍しいラブラブなカップルで、結婚十年目にしてようやく授かった子があなたという訳。だから大切に、それこそ真綿にくるむようにして可愛がってくれるのは間違い無いわ。贅沢三昧は勿論、あなたはお姫様なんだから家事どころか身の回りの事だって、全部あなたにかしずく侍女や召使がやってくれる。夢の様な生活でしょう! そしてここが肝心」
女はさやにずずっと顔を寄せた。
「何と、王女様には世界を救うある能力が備わっているの! 成長したあなたはその能力で世界中がそれこそ後世まで語り継ぐような偉業を成し遂げ、皆から大聖女と崇め奉られるのよ。すごくない? あ、そうそう、王女様は絶世の美女よ。顔も心も美しく、才気あふれるあなたは世の女たちが悶え死ぬような超絶ハイスペックイケメン達に熱愛され、最終的にはその中で最も好条件の男と結ばれることに……」
「止めてよ!! そういうの、いいから!!」
遂に耐え切れなくなったさやは激高した。何故なら女の言葉は、死ぬまで絶賛戦争状態にあったさやの宿敵をまざまざと思い出させたからだ。
「さやちゃん、あなたはママの大事な大事なお姫様なのよ。だからくだらないお仕事なんてしなくていいようにいっぱいお勉強して、良い大学に入ってね。そしたら良い会社に入れて、みんなが感心するような立派なお仕事が出来るの。そうするときっと素敵な王子様に巡り合えるわ。ママの言う通りにしていたら絶対間違い無いのよ」
ちなみに宿敵の言う立派なお仕事とは言うまでも無く男受けが良い、結婚相手を見つける際に間違いなく売りになる職種に限定される。
そして素敵な王子様をゲットした暁には当然立派なお仕事は引退、以後は家事一切を代行業者に丸投げ出来る程高収入の素敵な王子様に守られて呑気に贅沢三昧、というのが宿敵が提唱するさやの輝かしい人生ルートだった。
まあ、さやにはこれっぽっちも向いていない生き方だ。
しかし宿敵は自分が理想とする人生にさやを送り込む為に、ありとあらゆる手段を使ってさやの行動を縛り付けた。
その手段はもはや洗脳・調教としか呼べないような教育だったが、それでもさやがその教育に共感していれば、まだ話は別だったのかもしれない。
だがさやが抵抗した事で、宿敵の締め付けは常軌を逸するレベルにまで激化した。全く意に染まぬことを無理矢理させられ続けたその結果、さやはかなりの年齢になるまで自己形成がうまく出来ず、その人生で舐めた辛酸は言葉に出来ない程凄まじいものだったのだ。
何度も挫折と屈辱を経験してボロボロになりながらも、さやは抵抗を止めずに道を模索した。そしてようやく、これなら心からやりたいと思える今の仕事に辿り着いたのだ。
真綿でくるむなんて扱いはさやにとって、真綿で首を絞めるのと同じ事だ。
さやが選んだ清掃業がお気に召さない宿敵は、バイトをするだけでも強硬に反対していた。それに対して遂に「自分はこの仕事をやっていくんだ」と電話で断言したのが昨夜のことだ。宿敵は何やらヒステリックに喚いていたが、最後までさやは自分の意見を押し通した。
だからもしさやが生き返りでもしようものなら、間違いなく宿敵との仁義なき抗争が勃発するだろう。それこそさやが怪我で動けないのをこれ幸いと車椅子に乗せ、そのまま結婚相談所に連行しかねない奴なのだ。
だからそういう面倒事から逃れられたのだけは、死んで良かったと思える事かもしれない。
そんな訳で女が提示した王女様は、さやにとってはゾウリムシに転生するのだと言われる方が余程ましなぐらいの、鳥肌ものの転生先だった。
一方さやに怒鳴られた女はキョトンとした。
「どうしたの? これだけの好待遇でまだ何か不満が? 多少のオプションなら付けるけど―― あ、ひょっとして腹心の友?」
「全てよ!! 王女様なんて反吐が出る! 転生先を変えて!」
「え……」
女は絶句した。
「いや、それはちょっと……」
女は何か言いかけたところで慌てて言葉を止め、再び営業スマイルを作った。
「まあ、そうね。王族なんて責任が重過ぎるって、不安に思う人もいるわよね。最近はネガティブな報道も多いし」
女は少し考える素振りをしてから、それまで以上ににこやかに言った。
「ごめんなさい。私の説明が足らなかったわ。まだ時間はあるし、あなたが不安に思うような事について詳しく話しましょう。多分かなり誤解があると思うの」
女は身振り手振りを交えてさやを説得にかかった。




