初めての仕事依頼
さやの心臓が後悔と自責でギュッと縮んだ。確かに異世界特有ではないかと思えるような妙な汚れで、さやはこの汚れが何なのかヒルダに聞こうと思っていたのだ。
ヒルダが落とせるならそれに越したことは無いとまで言っていたから、ヒルダを喜ばせたいと思うあまりつい先走って手を付けてしまったが、もしかしたら然るべき掃除方法があったのかもしれない。
見ただけでは分からない傷や痛みが出てしまった可能性はある。
さやは自分を責めた。プロ失格だ。ヒルダに掃除方法まで相談してから手を付けるべきだった。
あれだけ〝仕事〟として取り組むのだと意気込んでいたのに、最後に余計な感情に駆り立てられて作業してしまったのだ。
しかし後悔しても仕方ない。今やるべき事は、報告だ。
「……あの、灰を雑巾に付けて、汚れを擦ったよ。その後で、お酢と水で拭いたんだけど」
ヒルダの目が大きく見開かれた。
「……そんな事で、これをここまで〝祓えた〟ってのかい」
(…………え?)
厳しい叱責を覚悟していたさやは拍子抜けした。ヒルダの口ぶりだと、どうやら怒ってはいないようだ。
「もう一回やってみて」
「え?」
どうやらミスをしたのではないらしいと胸を撫でおろしたさやにヒルダは詰め寄り、真剣な口調で言った。
「サヤ、あんたがやった方法で〝これ〟をあたし達の前で消しておくれ」
ただ事ではないヒルダの剣幕にさやは戸惑ったが、気を取り直して自分に言い聞かせた。
これは客の希望だ。なら従うべきだ。今自分は〝仕事をしている最中〟なのだから。
「分かった。今道具を持って来るから待ってて」
さやは納屋に引き返して雑巾と灰が入った木桶を取って来ると居間へ戻り、息を呑んで見守るヒルダとイザベラの前で雑巾に灰を付けた。そして先刻やったように落ちろと強く念じながら汚れを擦る。
すると擦った先から金粉が飛び散り、同時に汚れは消えていった。これはさやが先程掃除した時と、全く同じ現象だった。
さやも妙な汚れだとは思っていたのだ。消える時に金粉が飛び散る汚れなんて、前に生きていた世界では当然見たことが無い。
そしてこの汚れは擦る力を強めても効果は無いのに、落ちろと強く念じた方が落ちるのだ。
ただここは魔獣が出る世界なのだ。だからそうした類によって汚された場合はそんな現象もあり得るのだろう、とさやは考える事にしたのだが。
「ヒルダ、この汚れって何なの? いやあ、あたしってひょっとしたら記憶失くす前は掃除屋でもやってたんじゃないかって思ってたけど、擦ったら光が出る汚れってのは憶えてないんだよね。これ、魔獣か何かに付けられた汚れなの?」
さやがそう聞くと、ヒルダがヘナヘナと座り込んだ。その横でやはり呆然としているイザベラが、さやを見つめて呟いた。
「——あんた、ヒーラー様だったのかい」
「〝ヒーラー〟?」
この世界で初めて聞く言葉にさやはキョトンとした。どういう意味かヒルダに聞こうとして、さやは驚いた。小さくなった汚れを見つめるヒルダの目に涙が浮かんでいる。
それも悲しみや絶望の涙ではない。その顔にあるのは、かすかだが喜びと希望だ。
自分の仕事がヒルダを、誰よりも助けてやりたい人を喜ばせたのだ。それをようやく理解したサヤの心を喜びと達成感が浸していった。
その時イザベラが駆け寄りさやの手を両手で握りしめると、必死の形相で訴えた。
「お願いだ! あたしンちのも祓っておくれよ! 頼む! ……目立つものだけで良いんだ …… お金は出来るだけ用意するから…… 頼むよ、後生だから……!」
イザベラは泣きださんばかりに頼み込んでくる。どうやらさやが一部を消した汚れは、落とすのがかなり難しいらしい。
さやは俄然興奮した。この汚れを掃除出来るという〝スキル〟は、自分が今後掃除屋をやっていく上で十分ウリになると気づいたのだ。しかもイザベラの申し出は、間違いなくこの世界における初の仕事依頼だ。
さやは極上の営業スマイルを浮かべるとイザベラに確認した。
「イザベラさん、つまりあたしに、掃除を依頼されるということでよろしいですね?」
イザベラは一瞬躊躇する様子を見せたが、すぐに何度も頷きながら叫んだ。
「そう! そうなんだ! あんたに掃除を頼みたいんだよ!」
(やった! 初仕事だ!)
さやは心の中で小躍りする。
「分かりました、その仕事お受け……」
さやが二つ返事で掃除依頼を受けようとした時、ヒルダがさやの言葉を遮った。
「ちょっと待って!」
さやが黙るとヒルダはイザベラを睨みつけた。
「イザベラ、それは無いだろう」
イザベラは気まずそうにうつむくと呟く。
「だって本当に頼もうとしたら絶対無理だろう……」
言いよどむイザベラにヒルダはキッパリ言った。
「何の事情も話さないのは、サヤに対してずるいよ。とりあえず今日は帰りな。今のあんたじゃ冷静になれないだろう。心配しないで。あんたの家については、あたしがサヤに事情を説明した上でちゃんと頼むから」
イザベラはしばらくためらっていたが、それでもヒルダの言う通りに出て行った。イザベラがいなくなると、ヒルダはサヤに言った。
「サヤ、あんたには話す事がある。イザベラの家の〝掃除〟については、あんたがそれを聞いた後で相談することにしよう」
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