ヨルンの役目
ひと月もするとさやの身体はほぼ回復した。
(やっぱり若い子の回復力ってスゲーな)
記憶のヨルンは酷い無茶をしていたのだ。前の自分ならまだ筋肉痛や身体の不調に悩まされていただろうと思うと、そこは素直に若返りが嬉しいさや前世二十八歳である。
回復に伴い、さやはリハビリも兼ねて行動範囲をどんどん広げていった。
さやがいる所はシナ村という小さな村で、住人はおよそ百五十人。どの家もヒルダの所と大差ない造りだった。
誰もがヒルダと同様に畑で作った作物を売るか、何等かの細工仕事を営むことで暮らしているようだ。
何度か村を歩いて少し気になったのは、少なくとも見かける限り夫婦子供が全ては揃っていない家が多いことだった。
夫か妻がいなかったり、子供のいない夫婦も目立つ。ヒルダのように、独り暮らしをしている者も少なくなかった。
それがこの世界の普通なのか、それともシナ村の特徴なのかは分からない。さやもそこまで立ち入った事をヒルダに聞くのはまだ憚られた。
何となく、そこにヒルダが沈黙を通す理由があるのではないかという気がしたから。
他に目立つ特徴は民家が密集しており、更に居住区域の周りが防壁で囲まれていることだ。
村の出入りには村の表口や、壁の何カ所かに設けられている通用口を使っていた。
こんな小さな村には不似合いではないかと思うほどその防壁は頑丈で高く、しかも壁を乗り越えられないようにするためか、ご丁寧に上部は鋭い刃の様に尖っていた。どうあっても村に侵入して欲しくないものがいるようだ。
魔獣がいる世界だから、その類が外をうろついているのかもしれない。
ただ村の主だった畑と薪や野草などを採取する林も壁の外にあるので、常に脅かされているのではないのだろう。
ヒルダが外敵を気にする必要など無いと言っていたのもこの防壁があるから安心しているのだろう、とさやは納得した。
さらにさやの目を引いたのは、村の何処もかしこもかなり汚れているという事だった。どの家もヒルダの家と同様、あの黒い汚れがこびりついている。
ヒルダの家は内部も黒い汚れがそのまま放置されているが、他の家はどうなのか。
今のところヒルダ以外の家に入った事の無いさやには分からない。まあヒルダは掃除片づけが苦手らしいから、他の家はちゃんとキレイなのかもしれないが。
黒い汚れが特に酷いのが、村の中央に位置している教会だった。壁の汚れ具合もどの家よりも夥しいが、内部はそれ以上のようだ。
何重にも板を打ち付けて封鎖された大きな扉の隙間から、どす黒い汚れが滲み出ている。あまりに汚れているので打ち捨てられているようだ。
そして、村は静かだった。
お喋りをする者も無く、子供達がはしゃぎ回る様子も無い。
見知らぬ人間の筈のさやが歩いていても、誰一人気に留める素振りも無かった。ヒルダの話では、
村に外部から人が来ることは滅多に無いそうなのに。
普通に生きていればあるだろう活気が、生気が無いのだ。
さやは思った。ヨルンの記憶にあるエルフの国とは随分違うと。
エルフの国は何処もかしこも清浄な世界だった。隅々まで清潔に保たれた国では、こんな汚れなど見たことも無い。暮らす者達だって活気に満ち溢れていた。
清浄なのは場所だけではない、心もだ。
ヨルンに対する仕打ちを除けばエルフ達は皆が互いを思いやり、仲良く暮していた。生涯一夫一妻が原則の夫婦は誰もが深く愛し合い、暖かな家庭を築いていた。
隣人とは親しく、更に互いに気遣いと敬意をもって接し——。
淀みなど欠片も無い世界。唯一の澱みがヨルンだったのかもしれない。
そんなエルフの国を知るさやから見れば、この村の状況は酷過ぎた。
さやにはまだ分からない。汚なく活気が無いのはこの村だけなのか、それとも世界全体の雰囲気なのか。
(もしそうならかなりヤバいってことだよな、この世界。女神はあたしの好きにしていいって言ってたけど、そんな悠長なことでいいのかな)
女神はさやに〝歴史に残る偉業〟とやらをさせるつもりのはずだ。文句を言いながらもさやの転生先を変えたのも、そうしても目的達成が可能だからだ。
これから一生を過ごす世界だ。さやだって住み心地が良いに越したことはない。そして自分が生きる世界を他者にとっても住み心地良くする為に自分が役立てるなら、それは勿論嬉しいと思う。
ただ〝偉業〟などというのだから、間違いなくとんでもない面倒事と責任は待ち受けているだろう。
さやとしては、そんな面倒ごとをやっていて本当に自分のやりたい仕事が出来るのだろうか、という懸念があった。
さやだって自分の人生にこだわりはあるのだ。人の役に立つなら自分の仕事、つまり清掃で役に立ちたい。それこそ途方もない責任と苦労を負うなら、余計にだ。
それにさやは楽しい事もしたいし、美味しいものも食べたい。怠けたい時だってある。
そういう様々な願望や欲求を抱えている自分が女神の言うようにやりたいようにやって、本当に大丈夫なのか。
などといった事を村を歩きながらしばらく考えて。
さやは呟いた。
「ま、いいか。大体何かしてくれとはっきり言われた訳でも無いんだし。あいつが好きにやれって言ったんだから、好きにしていいよな」
女神はさやの望みを全て叶えると約束した。それなら自分は約束通り、掃除の仕事をやるまでだとさやは結論付けた。
そのうちどうすればいいか……いや、どうしたいかが分かるだろう。今考えても仕方ない事は考えない、それがさやの主義だ。
「あいつとの約束はいいとして…… 後はあの子か」
ヨルンとした約束の方が難題だった。
何がまずいといって、ヨルンの記憶を幾ら確かめても、ヨルンが人間の世界で果たすべき役目が何なのかがさやにはさっぱり分からないのだ。
何しろヨルンは何も出来ない、いや、させて貰えない子だったから。
前にも述べたように、ヨルンは日常で必要な作業は殆ど教えられなかった。それ以外でもヨルンはエルフ達がやる事に、一切関わらせては貰えなかったのだ。
それどころか自分達がやる事にヨルンが近寄らないよう、閉じ込められることさえあった。
例えば年に一度、エルフの国では国を挙げて清めの儀式をする習わしがある。要は大掃除みたいなものらしいが、何をするのかは分からなかった。何しろその日ヨルンは監視付きで、粗末な自室にずっと閉じ込められていたからだ。
その儀式はエルフにとって大事な行事で、そんな神聖な儀式を〝忌まわしい子〟は見ることすら汚れるというのが閉じ込められる理由だった。
こんな状況に置かれていたヨルンに一体何が出来るのか。さやには見当もつかない。
(あ、でも一つだけあったか。ヨルンがやってた事)
ヨルンはかつて傷ついた竜の子供の世話をしていたことがある。記憶によればヨルンがその竜を見つけて助け、そのことを理由に世話を命じられたのだ。
(でも特に目を引くような世話はしてなかったよな…… 実は竜の世話が出来るってだけで凄かったのかもしれないけど。でもあの竜はまだ子供だったからどちらかというと大人しい草食恐竜みたいな感じで、それ程扱いが難しい獣って訳でも無さそうだったし。それともあたしが気づかないだけで、実はすごい事をしてたのかな」
今のさやは何とかヨルンの記憶のあらましを把握するまではこぎつけたが、当然記憶の全てを精査出来た訳ではない。
とりあえずヨルンが竜の世話をしていた記憶を色々探りながら歩いているうちに、いつしかさやは村の裏手にある通用口に来ていた。
出入り口と言ってもただの木戸だ。鍵も掛かっていない。




