答えたくない話題
「つまり、住み込みのメイドになりたいってことかい?」
「出来たら通いがいいです。もし可能なら幾つかの店や家と契約して、定期的に決められた時間だけ掃除をして回るような事が出来たらいいんですけど。もちろんその為にはこのせか…… 他の人が認めてくれるくらいあたしの掃除技術が無いと契約なんかしてくれないとは分かってます。頑張って忘れちゃった掃除のやり方を覚えなおして、更に腕を磨いてからになると思うんですけど。そういう働き方って、可能だと思いますか?」
さやの問いに、ヒルダは料理の手を止めて少し考えていた。それからさやの方を向いて何か言いかけては止めるのを何度か繰り返す。
まさかこれも答えてくれないのか、とさやがげんなりしていると、ヒルダは意を決したようにこう言った。
「出来ないことは無いと思うよ。そりゃあこの村の連中は金を出して掃除を頼む程裕福な奴なんていないけど、村から半日ほど歩いた処にレナ町っていう少し大きな町があるんだよ。あそこなら手が足りないから掃除だけでも頼みたいっていう宿屋や店はあるだろうね。数時間だけなら使用人を雇うよりは安上がりで済むだろうし。まあ、あまり高い賃金は取れないだろうけど、数をこなせば食べていけるぐらいは稼げるんじゃないかな。ただね——」
ヒルダは顔を引き締めて続けた。
「その為にはレナ町へ出向いた時に、あんたはまず問題が無いか調べられることになるんだ」
「——調べるって、あたしの身元をですか?」
さすがにさやは動揺した。
この世界の個人情報が国にどう管理されているのかは全く分からない。だが少なくとも自分がこの世界の何処にも属していないことが知れたら、かなりまずい状況になるだろう。
ヒルダだってそんな得体の知れない奴だと分かれば、今までみたいに気安く接してはくれないだろう。
そう考えるとさやは悲しくなった。
ヒルダはこの世界で今のところただ一人自分を気遣ってくれる存在で、しかもさやは結構ヒルダのことが好きになっていたから。
だがさやの問いにヒルダは首を振った。
「身元を調べるんじゃないよ。ちょっとした、簡単な検査さ」
「検査?」
「ああ。検査自体はすぐに済む。それで大丈夫ってことになったら、あんたはレナ町への出入りを許されるから、町で稼ぐことも出来るよ」
「——それじゃあその検査で駄目だったら、あたしはレナ街へ入れないんですか?」
不安がるさやに、ヒルダは笑顔できっぱり言った。
「あんたなら大丈夫さ。エラい目に遭ったのに腐りもしないで、前向いて生きようとするあんたを見ているだけで、あたしの気持ちも晴れ晴れするもの」
そしてさやを見るヒルダはしみじみとした口調でこう言った。
「あんたを助けて良かったよ。おかげで今じゃ、家にいるのが苦痛じゃないんだ。あんたはそういう、お日様みたいな娘だよ。だからレナ街への出入りぐらい、何の差し障りも無いさ」
その口調に嘘は無かった。
ヒルダはどこの誰とも分からない自分を、さやの人柄を信じてくれている。今何度も言いよどんだのは、さやの計画について真剣に考えたからだろう。
さやは心がじんわり温かくなった。
確かにヒルダはさやに何かを隠している。しかし一方でさやを気遣い、時には勇気づけ背中を押してくれる人でもある。
だからさやは心から思った。自分を助けてくれたのがヒルダで本当に良かったと。
「ただレナ町で掃除屋をするなら、町に泊まり込みが出来ないと無理だろうね。この村に馬は無いから、日帰りじゃあ、とてもじゃないけど稼ぐ時間は無いだろう? 検査であんたがレナ町への泊まり込みを認めて貰えるといいね」
ヒルダの言葉にさやはぼやいた。
「ホント、記憶を失くしていると信じられない話ですよ。馬しか交通手段が無いんでしょう? だってこれだけ他の事については発達した魔道具がある訳じゃないですか。だったらもっと早く、楽に遠くまで旅が出来る魔道具を作り出そうとは、誰も思わないんですか?」
さやがそう言った途端、ヒルダの顔から笑みが消えた。ヒルダは再びさやに背を向ける。
しばらく野菜を切る音だけがした。やがて、ヒルダは低い声で言った。
「そんな道具なんざ、どこの国のお偉方も作らせやしないさ。皆がそんなに簡単に何処へでも行けるようになっちまったら、大騒ぎになるからね」
ヒルダの口調からは、さっきまであった暖かさが消えていた。
さやは悟った。どうやらまた自分はヒルダが答えたくない話題を振ったらしいと。
ヒルダは無言で野菜を切り続ける。さやは少しでも空気を和らげようとおどけた口調で言った。
「ハハハ、ホント、あたしって今自分がいる世界がどうなっているかなんて、何も分かってないんですねえ」
すると、不意にヒルダがけたたましく笑いだした。驚くさやの前で、ヒルダはお腹を抱えて苦しそうになるまで笑う。
笑いが収まると、涙を拭きながらこう言った。
「本当に羨ましいね! 世界がどうなっているかなんて、忘れちまえるものならその方が絶対いいさ! あたしもあやかりたいもんだ!」
そして、再びさやに背を向けると、何事も無かったかのようにまた野菜を切りにかかった。
台所に火花が爆ぜる音と、包丁の音だけが響く。
遂にさやは耐えられなくなった。いや、耐えるべきでは無いと思った。
彼女が露呈したこれ程重い心の闇を、見なかったことにはしたくなかったのだ。人の心を持つなら、少なくとも関わるべきだと。
だって、彼女はあの砂漠で自分を無視せず助けてくれたではないか。
あの時さやはヒルダが来てくれて、どれだけ有難かったか。出来るなら自分もヒルダを助けたい。
だからさやは今までヒルダに聞くのを戒めていた問いを投げかけた。
「——ヒルダさん、世界は今、どうなっているんですか?」
さやがそう言うと、ヒルダは野菜を切るのを止めた。その肩が震えている。
しばらくしてヒルダは振り返らずにこう言った。
「ありがとう、サヤ。でもね、聞かなくても良いんだよ。そんなの、生きていりゃ嫌でも分かるから」
それっきり、その日のヒルダは一言も喋らなかった。




