居住区の闇祓い
令嬢は肘掛椅子に腰かけていた。
王室発表の際に見かけた美貌は相変わらずだが、腰まで伸びた銀の髪は結わずに垂らしたままだ。しかも着ている服はどうやら寝間着らしい。
「あなたがここの闇祓いをして下さるヒーラー殿なのね。こんな格好でごめんなさいね。でもこれならベッドで寝ていても苦しくないから」
清々しい声でそう言いながら、ヴァランティーヌは首を傾げて微笑む。その様はくだけた格好と相まって、妖精じみた雰囲気を醸し出していた。
そんな彼女の周りの闇は特に酷かった。肘掛椅子を囲むように闇は迫り、椅子の足まで闇で黒く染まっているのだ。
シリルが話した〝通常の〟基準と照らし合わせるなら、どう考えてもヴァランティーヌがこの居住区の闇の元凶であるのは間違いないように思われた。
とはいえそう思った事はおくびにも出さず、さやは地味なワンピースのすそをつまんでカーテシーをしながら頭を下げる。
「こちらこそお寛ぎ中に失礼致します。お騒がせすることになるかと存じますが、どうかご容赦下さい」
丁重にそう挨拶すると、さやは勉強室を出た。そしていよいよ闇祓いの準備に取り掛かる。
侍女の控室でいつもの作業着に着替えながら、さやは侍女にヴァランティーヌが普段はどう過ごしているのかを尋ねた。
「お嬢様はこのところいつも、お勉強部屋か寝室にいらっしゃいます。お食事もどちらかの部屋でお取りになります。それぞれの部屋には通り抜けられる出入口がございますので、他の部屋にお行きになる事はほとんどございません」
どうやらヴァランティーヌはこの居住区内でも行動を制限されているようだった。侍女の差し金なのか、本人の意思なのかはまだ分からないが。
やはり通常の基準通り、彼女の周りの闇は残すべきか。
とはいえ闇を残す事は、ヴァランティーヌが核になりかかっていると決める事を意味する。そうなれば彼女は一生この部屋から出られない恐れがあるのだ。
シリルも言っていたが、人一人をそんな状況に追い込むかもしれないのだから、慎重の上にも慎重であることが必要だろう。
さやはひとまず判断を保留し、手始めに侍女の控室から闇祓いをすることにした。侍女の部屋なら闇をどれだけ祓っても、影響はまず無いだろうと思ったからだ。
闇を祓う間は侍女二人には控室から出て貰おうとしたが、二人とも控室から出て行きたがらない。
仕方ないのでさやは二人の前で闇をモップで祓っていった。
控室もかなり濃い闇が目立っていたが、さやが強い念を込めながら使い慣れたモップで擦ると闇は金粉に変わって消えていく。
それを見た侍女が驚きの声を上げた。
「信じられない! こんな濃い闇、聖女様しか祓えないと思っていたのに!」
三十分ほどで部屋の闇がキレイに祓われると、二人の侍女は目を輝かせて歓声を上げた。
「ああ、すっかりキレイになった! ありがとうございます、これで、これで助かった!」
手を取り合って喜ぶ二人を残し、さやは他の部屋の闇祓いに向かった。
すると喜んでいた侍女達も控室を出てさやについて回る。どうやらヒーラーの傍にいると安心出来るようだ。
衣裳部屋に洗面所。こちらも現在ヴァランティーヌは必要な時以外は足を踏み入れないだろうから、さやはためらわず全ての闇を祓っていく。
さやが応接室に入った時、侍女が驚いた様子で叫んだ。
「お嬢様! いらしたのですか⁉」
悲鳴のような声に、ヴァランティーヌは寂しそうに微笑む。
「ごめんなさい。綺麗な金の光がこちらにも入ってきたから見たくなって。お邪魔だったかしら」
「いえ、大丈夫です。ご覧になりたければどうぞ」
さやがそう答えると侍女達はそそくさと控室に戻り、バタンとドアを閉めてしまった。その態度には気付かぬ風を装い、さやは応接室の闇祓いに取り掛かった。
普段この部屋にヴァランティーヌがいないのは本当のようだった。闇は濃いが、特に何処かに集中している様子は無い。
勉強部屋のように、ヴァランティーヌがいるだろう場所を取り囲むように付着してはいないかった。だからここも全ての闇を祓って構わないだろうとさやは判断した。
ところがそうと決めるとさやは少し困った。何しろ応接室はかなり埃っぽかったからだ。
侍女は掃除まで手が回らないから小間使いを招いたと兵に誤魔化していたが、あれはひょっとすると本音が滲んでいた言葉だったのかもしれない。
さやの闇祓い方法はほぼ掃除と同じだ。このままモップで無造作に闇を祓えば、応接室にホコリが飛び散る恐れがあった。
しかもヴァランティーヌが傍にいるのだ。それはかなり具合が悪い。
だからさやはヴァランティーヌに言った。
「ご覧になって構わないと口にしておきながら誠に申し訳ありませんが、一旦お部屋にお戻り頂けますか? 部屋の埃を軽くキレイに掃除してから闇祓いに取り掛かりますので」
「——ヒーラー殿がお掃除をするの?」
目を見張るヴァランティーヌにさやは肩をすくめて答えた。
「元々、侍女殿の手が回らない掃除をする為に呼ばれましたから」
すると、ヴァランティーヌの口元に笑みが浮かんだ。さやの冗談が面白かったようだ。
笑顔のまま侯爵令嬢はこう言った。
「でも、今はあの者達も暇なようよ。ならお掃除はあの者達に任せて、ヒーラー殿は休まれたらどう? あなたは休息が必要なのでしょう?」
「——確かに、休息は私の〝役目〟の一つではありますね」
さやも笑いながら答えた。
実際ヴァランティーヌ側には、さやには闇祓いの合間に休息する必要があると伝えている。休息するさやをヴァランティーヌがもてなすという体裁で、さやがヴァランティーヌの話し相手を務める予定だったのだ。
だから休息は立派な役目だった。
そういう訳で侍女達が応接間の掃除をしている間、さやは急遽ヴァランティーヌと共に勉強部屋に避難、お茶を飲むことになった。
明日も20時頃更新の予定です。
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