悪くなかった
支部から帰るとヒルダは外出していて、貸家には誰もいなかった。
それでさやは思いつく限りの妄想を繰り広げて、明日という現実から逃げまくることにした。
何しろ今日聞いた代理人の話がかなり気が滅入る代物だったのだ。
「……やっぱりこの状況を逆転させる為には、イケメンSランクヒーラーの登場だよな。それで虐げられている侯爵令嬢に恋をして、二人は結ばれるんだ。そんでもってポンコツ王太子とAランクビッチに天罰を下すんだよ ……いや、むしろ侯爵令嬢がSランクヒーラーだったという展開の方が……」
「何をブツブツ言ってるんですか、サヤさん?」
「ヒャッ!」
いきなり話しかけられてさやは飛び上がった。振り返れば、やはりシリルだ。
「……今日は早いね」
「ええ、今日の研修は終わりです。明日の闇祓いについてはあなたと打ち合わせする必要があるかと判断し、早めに帰らせて頂きました ——ヒルダさんは留守のようですね。サヤさんは何をしていたんです?」
シリルに聞かれたさやはテーブルに突っ伏した。シリルの言葉で、妄想で逃れていた現実が思い切り圧し掛かってきたのだ。
「……明日なんか永久に来なければいいのに」
「——そんなに明日の闇祓いがお嫌ですか?」
「大丈夫! いやあ、なんせ侯爵令嬢に会うなんて初めてだから緊張しちゃって!」
つい本音を漏らしてしまったさやは慌ててシリルの言葉を否定した。この上実はすごく嫌だという本音を漏らそうものなら、シリルは今度こそ父親の形見を売り払うだろう。
シリルはテーブルに顎を載せてため息をつくさやを見ていたが、しばらくしてこう言った。
「サヤさん、やはりこの依頼、断りましょう」
「え⁉」
びっくりしてさやは顔を上げた。シリルは至極真面目な顔だ。
「いや、無理でしょう! だって明日だよ? 断われるはず無いでしょうが!」
「ヒーラー殿の具合が悪くなったとでも言えば、何とかなります。その場合礼金は貰えないでしょうが、致し方ありません」
「ダメだよそんなの! あたしのせいでシリルがお父さんの形見を売るなんて絶対嫌だよ! シリルにそんな真似させるぐらいなら、明日王宮に行く方が百倍もマシだよ!」
さやが断固として反対すると、シリルは何故か申し訳なさそうな顔をした。
「サヤさんのせいではありません。元はと言えば私のせいなのです」
「は? シリルが何をしたっていうの? だってお金を全部使っちゃったのはあたしだよ? シリルは何も悪くないじゃない。あなたはガーディアンの伝統にしたがっただけなんだから」
さやがそう反論すると、シリルは更にがっくり肩を落として、消え入るような声で言った。
「…………そのガーディアンの伝統が間違っていました」
「間違ってた?」
けげんな顔をするさやに、シリルはうなだれたまま説明した。
「本当は〝全額を渡す〟という文言の前に〝当面の必要経費を除いた〟という言葉が入っていたのです。私がちゃんと正しい伝統に従えば、あんな依頼を受ける必要は無かった。そうすればあなたをそこまで煩悶させる事は無かったのに。本当に申し訳ありませんでした。あなたにとってはせっかくの貴重な休息を、台無しにしてしまった」
そこまで言って深々と頭を下げるシリルをさやはしばし見つめていたが、やがてフッと笑って首を振った。
「台無しになんかなっていないよ。この六日間は結構楽しかったよ」
「楽しかった?」
顔を上げたシリルにさやはうなずいた。
「ささやかだけど人の役に立つ仕事をして、喜んで貰えながら暮らしていく。前世…… いや、シナ村で闇の事とか、あたしに闇祓いの能力がある事とかまだ知らなかった頃はさ、あたしはこの世界でそんな風に生きていくんだろうなって思っていたんだよ」
さやはこの世界に転生する前に持っていた自分の考えを、シナ村に来たばかりの頃と言い換えてシリルに語った。
「あの頃あたしは生きているうちに自分の力で、出来るだけの何かを成し遂げたいって思ってた。でもそれはみんなの称賛を浴びるような派手な功績じゃなくて、本当に目立たない、その辺の道端に置かれている石程度の何かのつもりだったんだよ。そしてその何かは確かに人の役には立ったけど、ほとんど誰にも気付かれずに埋もれていくんだろうって」
「…………」
「その時のあたしはそういう〝何か〟を築いて一生を終えるのって、悪くないなって思ってた。人の役に立って、やっぱりささやかな楽しみを持ちながら暮らしてさ。この六日間はそんな、あたしが送るんだろうと思ってたちっぽけで目立たない人生を過ごさせて貰ったよ。うん、懐かし…… いや、悪くなかった」
どこか遠くを見つめながらさやがそんな想いを語ると、シリルが複雑な表情を浮かべてこう尋ねてきた。
「あなたは今でもそんな人生を送りたいと思っているのですか?」
「それは違う」
さやは即座に否定した。
「言ったでしょう? 自分が出来るだけの事を成し遂げたいって。だからあたしは、今のあたしの能力でやれる限りの事は絶対にやりたいと思ってるよ ——まあ、あんまり目立つのは好きじゃないけどね」
そこまで言ったさやは笑顔を消し、シリルを真っ直ぐ見つめて言った。
「でも聖女が守っているアリアを出たら、そんな事を言っていられないくらいあたしの能力が必要とされるんだよね。だって人がほとんど入らない森の中まで闇が浸食しているんでしょう?」
「…………」
「シリル、教えて。世界の闇は今、どうなっているの?」
そう問うさやを見るシリルの目が少し陰った。だがやがて意を決した面持ちになるとシリルは言った。
「分かりました。その件についてはアリアでの休息が終わってからお伝えしようと思っていたのですが、私が知っている限りの事を今お話ししましょう」
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