苦渋の選択
シリルがしてくれる懇切丁寧な説明はいつもなら有難いのだが、今回はさやの抵抗を一つ一つ打ち砕いていった。
「サヤさん、ヒーラー殿が闇祓いのついでに話し相手を頼まれることは珍しくありません。世界を自由に移動出来るヒーラー殿が各地で見聞された事を、お金に余裕があるなら追加料金を払ってでも詳しく聞きたがる依頼人は結構多いんですよ。高額な依頼をこなせないランクのヒーラー殿には、そうした依頼を積極的に引き受ける方もそれなりにいらっしゃいます」
「だったら余計に無理じゃん! あたしがこの世界の事をほとんど知らないのは知ってるでしょう⁉ シナ村からアリアまで逃げ回った記憶しか無いあたしが話せる事なんて……」
「私もその点は確認しました。全く問題無いそうです。居住区の闇を任せられるヒーラー殿であれば贅沢は言わない、謹慎処分で引きこもっておられる侯爵令嬢が何の確執も無い部外者と接することで、少しでも慰められればそれで良いのだと」
最大のウイークポイントまでスルーされたさやは言葉に詰まったが、それでもまだ断れる理由を絞り出そうとした。
「でも…… そうだ、言葉を交わすには身分の差があり過ぎるよ! いくら何でも侯爵令嬢と素性の知れない平民じゃ……」
「あなたは平民ではありません。ヒーラー殿はヒーラー殿であるというだけで、どこの国でも男爵以上の格式があります。もちろんそれはこのサンクアロー王国でも同じ事。しかもあなたはもう協会への本登録がほぼ認められた方ですから格式は更に上。侯爵令嬢の話し相手は充分務まりますとも」
「ハハ、そうなんだ……」
今のさやにとっては全然有難くない格式だ。
「しかもあなたと侯爵令嬢は恐らく同じお年頃ですから、話も合うのではないでしょうか。いやあ、協会支部で紹介出来る依頼はこれ一件しか無いと言われた時はどうなることかと思いましたが、依頼内容を見て女神様に感謝しましたよ。これはまさにサヤさんの為にあるような依頼です。本当にホッとしました…… どうしましたサヤさん?」
嬉しそうに話していたシリルは、ようやくさやの引きつった顔に気づいた。
「どうしました? この依頼、ご不満ですか?」
「…………」
さやは喉まで出かかっていた。この依頼は絶対に断りたいと。
しかしシリルはさやのせいで陥った財政危機を切り抜けられるとすっかり安堵している。
そんな彼を再び窮地に陥れるようなことは、かなり言いづらい。
「……サヤさん、この依頼は気が進みませんか?」
シリルが再び尋ねる。その優しい口調にさやは思い切ってうなずいた。
「そうですか…………」
シリルはそうつぶやいたまましばらく無言でいたが、やがてこう言った。
「分かりました。ならば仕方ありません、この依頼は断りましょう」
「え⁉ いいの⁉」
パッと顔を輝かせるさやにシリルは微笑んだ。
「サヤさんがお嫌なら致し方ありませんから」
ああ良かったとさやは胸を撫でおろした。
しかし気にはなる。それなら今のひっ迫した懐事情をどうやって乗り切るのだろうか。
さやはシリルに恐る恐る尋ねた。
「それじゃあひょっとして、一週間後にこの貸家を出たら後は野宿…… かな?」
「いえ、大丈夫ですよ。当面の費用については私の方で何とか工面しますから」
そう言ったシリルの顔にさやはハッとした。シリルは明らかに思いつめた顔をしている。まるで何か大きな犠牲を払う覚悟を決めたように。
一体どんな犠牲を払うというのか。
(まさか……)
さやの頭にとんでもない考えがよぎった。アリアはかなり華やかな都だ。ということは当然夜のお仕事もそれなりに需要があるだろう。そしてシリルは結構見目好い青年なのだ。
以前シリルはさやを守る為に人を殺す覚悟までしたのだ。今回も別のやり方で守ろうと決意したのなら。
さやは血相を変えて叫んだ。
「シリル! ダメだよそれは! 」
「は?」
けげんな顔をするシリルをさやは必死で止めにかかった。
「いや、この世界の性道徳ってどうなのか知らないけどさ、やっぱり身体売るのは駄目! シリル、もっと自分を大切にしようよ!」
シリルはキョトンとした顔になったが、さやが何を言わんとしているのか気づいたようで、慌てた顔で言った。
「サヤさん、誤解しないで下さい。私は自分の所持品を換金しようと思っただけです」
「――所持品?」
「ええ」
そう言ってシリルはポケットから懐中時計を取り出した。
「これを古物商に持ち込めばそれなりの値で売れるでしょう。少なくともアリアに滞在している間の費用と、他の街へ行く貸馬車の運賃は賄えると思います。アリア以外なら恐らく闇祓いの依頼も潤沢にあるでしょうから、資金問題はそれで解決出来ますよ。まあ時間を確かめられなくなるのは少々困りますが、サヤさんも懐中時計をお持ちですからそれ程不自由は無いでしょうし」
「ああ、そうだったんだ……」
自分の懸念が誤解だったことにとりあえずさやは胸を撫でおろした。
とはいうものの、やはり自分のせいでシリルの持ち物を売り払うのは気がとがめる。
「それならあたしの懐中時計を売ろうよ。あたしはまた新しいのを買えるお金が貯まるまでシリルの懐中時計を借りるから…… あ」
懐から懐中時計を引っ張り出そうとしてさやは気づいた。
この懐中時計はイザベラが父の形見だったものをさやにくれた大事な品だ。こんな事で手放すのはあまりに申し訳ない。
さやが懐中時計から手を離した時、ヒルダが帰って来た。
「ただいま! 結構お得な食材がありましたよ…… って、まだ仕事の話が終わってなかったのかい? あたしはまた外に出てようか」
「大丈夫ですよ、もう依頼の話は終わりましたから」
「そうですか。ならいいですけど…… おやそれは」
足を止めたヒルダはシリルが持っている懐中時計に目を留めて言った。
「その懐中時計って、確かシリルさんの親父さんの形見ですよね。実家が火事になっちゃって、形見はそれしか残ってないって話でしたよね」
「ヒルダさん! 今はその話は!」
シリルが慌ててヒルダを止めようとしたが遅かった。さやはしっかり聞いてしまった。
シリルは完全に固まったさやに、聖者の様に慈愛のこもった笑みを浮かべて言った。
「大丈夫ですよサヤさん。父も私が自分のヒーラー殿の為に使ったのだと知れば、きっと納得してくれるでしょう」
シリルの父親は納得するかも知れないが、さやはとてもじゃないが納得出来なかった。
ダメだ、自分のアホな過ちの為にこんな重い献身を捧げられるなんて、さやには負えない。負いたくない。
それくらいならいっそ。
さやは自分が出来得る限りの笑顔を作って言った。
「懐中時計は売らなくてもいいよシリル。気が変わった。その依頼受けるよ。いや、受けたい。受けさせて!」
「では私はもう一度協会に行って契約を交わしてきます。それからヒルダさん、今日も含めて今後の夕食は私の帰りを待たずに済ませて下さい。ガーディアン研修もありますし、この依頼の最後の現場について、闇祓いの方針を考えねばなりませんから」
さやの意志が固い事を認めたシリルは再び協会へ出向いて行った。その足取りが嬉々としているように見えるのは、さやの気のせいではないだろう。
こうしてさやは無関係だったはずの王宮で繰り広げられる泥沼三角関係の一角に、否応なく関わる羽目になったのである。
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