ドラゴン
ヒルダと待合所で落ち合った時、魔道具作成依頼の手続き完了を待っているさやの前にはお茶とケーキが置かれていた。ヒルダが向かい側の椅子に座ると、ヒルダにまでケーキとお茶が出される。
「こりゃ上質のお茶だね。このケーキも美味しいよ。間違いなくサヤを上客だと思ってるね」
お茶とケーキを賞味したヒルダが感心したように言う。さやは「どうなんだろうねえ」とだけ答えた。
獣毛売り場の老店員の話しを聞けば、むしろヒーラーに対する特別扱いではないかという気がするのだが。
ケビン親子の消息にヒルダは喜んだ。
「目出度い事だよ。ディックさんはドラド王国の王都ザイルでも腕利きの職人だったのに、お袋さんの面倒を見る為に王都から戻って来てそのままシナ村に閉じ込められちまったってお人だからね。ディックさんは検査官に自分達はこの村の者じゃないって抗議したそうだけど、身内が闇に呑まれたからって村を出ることを許して貰えなかったんだよ。それがちゃんと腕を振るえる場所にまた戻れて何よりだ」
「ホント、ケビンも無事にハンターの夢が叶いそうで良かったよ。アリアにいる間に一度会っておきたいな」
「そうだね。ディックさんとケビンの元気な様子をイザベラに教えてやらないと」
二人は明るい話題で盛り上がった。
さやは店員が教えたもう一つの情報についてはもちろん黙っていた。とてもじゃないが言える話じゃない。
その代わりヒルダに所持金を使い果たした事を謝った。
「——ごめん、食材買うお金まで使っちゃって」
「大事な商売道具の為なんだろう? 仕方ないよ。その道具でまた稼げばいいだけじゃないか。まあとりあえずどんな食材を買うかは、シリルさんにどれだけ支度金が残っているかを確かめてから決めるよ。せっかく二週間の休暇なんだからね。最後の方は水だけってことになるのはご免こうむりたいよ、ハハ」
「ホントにすみません! 苦労をかけます……」
「いやいや」
平身低頭のさやにヒルダは笑いながら話題を変えた。
「しかし驚いたよ。高ランク魔獣の素材ってのは、高いんだねえ。毛だけで金貨百枚もするなら、そのオーガキングを狩ったハンターは十年は遊んで暮らせるんだろうなあ。あたしなんかそれだけ稼ぐにはどれだけかかるんだか」
「ホントだよ! おかげであたしはスッカラカンだもん。ドラゴンとか討伐したら、それこそ一生遊んで暮らせるんだろうねえ。まあ、さすがに神聖な生き物だから手が出せないか」
さやがぼやき交じりにそう言うと、急にヒルダがさやの肩を掴んで軽く揺さぶった。
「ちょっと! また変な事考えてるよ!」
久しぶりに強く注意されてさやは驚いた。
さやは自分が記憶喪失である事を本当らしく装うために、自分に残された記憶には奇妙なでたらめ情報が入り混じっているという設定を通している。その為ヒルダはさやが〝間違った知識〟を披露する度に、少々強い勢いで間違いを正すのだ。
さやが正しい知識を持つようにという気遣いだったが、今回さやはどうして自分が注意されたのかまるで分からなかった。
だって間違った事は何も言っていない筈なのだ。
「……ヒルダ、あたし、何か変な事言った?」
恐る恐る尋ねるさやに、ヒルダは嚙んで含めるように言った。
「いいかい、ドラゴンがおとぎ話にしか出て来ない伝説の神獣だって事は幼子だって知ってる事だよ! いない生き物が討伐されるはず無いだろう?」
「——ドラゴンは、いないの?」
「当たり前だよ! そんな妙な考えは、さっさと追っ払っちまいな!」
強い口調でさやに〝教える〟ヒルダの剣幕に、さやはそれが人間社会の常識なのだと悟った。
だがさやはヒルダに間違いを指摘された時はいつもそうしているように、そうか、分かったよと笑うことが出来なかった。
何故ならさやにとって、その〝常識〟はかなり驚くべき事なのだ。
だってエルフの国にはドラゴンがいた上に、ヨルンはドラゴンとかなり深く関わっていたからだ。
エルフの国がある大森林は、大まかに分けると五つの層から成る。
一番外側は主に草食動物や小動物が住みかとしており、次が肉食獣や比較的小型の魔獣。三層目がかなり凶暴な大型魔獣の生息地で、四層目がエルフの里だ。
そして最深部がドラゴンの生息地だった。言うまでも無く中心に近ければ近い程強者だ。
もっとも強者とはいえドラゴンの数は少なく、成獣が二十頭いるかいないかだった。
そのドラゴンをエルフは神獣として大切に守っていたのだ。
ドラゴンは基本的に森の精気を糧としているが、年に一度だけ大森林で狩りをする。
長年の経験と勘によりエルフはドラゴンの狩り日を見極め、その日はドラゴンの獲物とされないよう、エルフの民は全て家に籠るのだ。
ただし王族、特に王だけはこの日の早朝、護衛の王族と共にドラゴンの森へ出向く。そしてあらかじめ狩っておいたオーガをドラゴンに捧げるのが慣わしだった。
ヨルンが追放される三年前は、ヨルンの母である王女が宰相とヨルンの叔父に守られながらドラゴンの森に詣でた。
そして狩り日の翌日、ヨルンは翼を折って仲間から見捨てられた子供のドラゴンに出くわしたのだ。
子供とはいえ大人のエルフの倍ほどもある獣だ。しかも狩りをしたばかりのドラゴンに近寄る者はいなかった。
そんな子ドラゴンにヨルンだけが近寄り、不器用ながら傷の手当てまでした。誰からも顧みられないそのドラゴンに自分を重ね合わせたのかもしれない。
怪我をした子ドラゴンもヨルンの介抱を大人しく受け容れ、ヨルンを害することは無かった。
そして驚いたことに普段はヨルンに何もさせまいとする宰相が、子ドラゴンの世話をヨルンがするのを認めたばかりか、ヨルンが世話をするのに必要とする物資まで与えるよう家臣に命じたのだ。
エルフにとってドラゴンはそれだけ神聖な獣であり、そのドラゴンがヨルンを世話係に選んだのだから尊重されるべきだというのが理由だった。
だからヨルンは親身になって子ドラゴンの世話をし、子ドラゴンはヨルンに懐いた。
ヨルンは子ドラゴンをルーシュと名付けて可愛がっていた。さやが見ても辛く苦しいだけのヨルンの生涯にあった、唯一の暖かい記憶だ。
ただ宰相がそんな恩恵をヨルンに施した本当の理由は、慈悲からでもドラゴンがそれだけ神聖な生き物だからでもなかったのはすぐに明らかになった。
ヨルンがドラゴンの世話をしなければならなくなったのを口実に、宰相はヨルンを人間の世界へ送るのを延ばしたのだ。
それでもルーシュはヨルンにとって、大事な存在であることに変わりは無い。
(久しぶりに思い出したな。ルーシュ、あたしがいなくなってからどうしただろう。元気でいてくれるといいけど……)
何気なく思いを巡らせたさやはギョッとした。今自分は何を考えた? あたしがいなくなってから?
さやは自分がヨルンの経験を当たり前のように自分のものとして考えている事にゾッとした。
そして更に気付いた。
シリルと行ったガーディアン就任式の時、自分はシリルにラーダの枝を、求愛を受け容れる証を渡すのをひどくためらった。
まるでエルフであるかのように。
それは、エルフであるヨルンの記憶を自分のものとみなしていたからではないのか。
ひょっとして自分の心は、ヨルンになりつつあるのではないか?
(しっかりしろ! お前はさやだろう!)
「サヤ⁉ 何やってるんだい⁉」
激しく頭を拳で叩き始めたさやにヒルダが驚きの声を上げた。
構わずさやは〝ヨルンの感情〟が弾き出されるまで頭を叩き続ける。それから自分を心配そうに見つめるヒルダに笑って見せた。
「変な考えを追い出したんだよ。そうだよね、ドラゴンなんて…… いないよね!」
さやは動揺する自分に必死になって言い聞かせた。
大丈夫、少し混乱しているだけだ。
ヨルンの記憶を持つだけでヨルンになるはずが無いじゃないかと。
だってそれは考えただけでも恐ろしい可能性だったから。
身体も能力も元はヨルンのものを受け継いだ今のさやににとって、胸を張って自分自身と言えるものは自分の心しか無いのだ。
明日も20時頃更新の予定です。
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