五
同心の神宮燕吾郎が元岡引の久蔵を尋ねた。
庭で植木を手入れしていた久蔵が手を止めて顔を上げた。
「これは、確か神宮の旦那、でしたね」
「久しぶりだな、久蔵」
お互いに面識はあるものの、親しいという訳ではない。神宮が役人になった時には、久蔵は古参の岡引として既に名が知れていた。神宮は凄腕の岡引を遠くから眺めて参考にし、久蔵は新米役人に間接的に手解きをする、という程度の関係だった。
久蔵が縁側に座るように神宮に促した。自分も隣に座り、腰の煙草入りを取ると煙管に草を詰めた。
「見事な庭だな」
「庭を見に来た訳ではありませんでしょう」
神宮が苦笑いした。
「折り入って聞きたいことがある」
「市松のことですね」
また神宮が苦笑いをしながら頷いた。久蔵は火鉢を引き寄せ煙草に火を付けた。
「中(吉原)で殺しがあったら、そりゃあ大騒ぎですよ。私のような者にも、わざわざ知らせに来る者もいるくらいでして」
久蔵が鼻から煙を吐きながら神宮を見て笑みを浮かべた。頬が張り出した細面で艶がある顔は穏やかだが、目は笑っていない。
「市松とはどういう男だった」
久蔵は視線を庭に移した。
「私も、十手を預かっていた頃から知っていますが、確かに評判の悪い男でした」
普段は口入れ屋で通しており、勿論、普通に店からの要請を受けて、奉公人らの斡旋は行なっていた。だが、裏では、凶作時の農村などから娘を買い、それを遊郭などに売る女衒もやっていた。
女衒の表向きの顔は年季奉公の斡旋である。前借金の前渡しと称して証文を作り、その金額を親に払い、娘を預かる。そして、その倍近くの額で遊郭に売る。手数料、旅費、諸経費などの名目で、遊郭側から払われる金の半額ほどを女衒は手にする。娘の容姿によっては、金額が大きく跳ね上がることもあった。当然ながら、売られる娘の意思が考慮されることなどは無い。
これは、どういう理屈を付けても実質は人身売買であり、裏社会の悪人らの資金源となっている上に、弱みにつけ込まれる弱者も多く、悲劇も後を断たなかった。寛政四年(一七九二年)に、幕府は女衒禁止令を出す。
とはいえ、遊郭などへの口入れ自体は禁止されていない。他の業種と同様に、働く娘を斡旋して店側から手数料をもらう行為は合法である。この場合には、店が娘の親などに払う代金の一割程度が相場だ。
年季といわれる一定期間、店で働く条件で金が支払われる、という構図は一緒だが、仲介する者が手にする金額は大きく違う。しかも、値段は店が決める。容姿端麗な値の張る極上の娘を世話出来る事など、そうある訳では無い。
余談ながら、娘の評価は、極上、上玉、並玉、そして下玉に分けられていた。
極上や上玉は、店としては目玉にするために芸を仕込むなど、投資として相応の金をかける。将来、花魁という最高級の稼ぎ頭になり、あるいは金持ちに身請けされ、店に高額な利益をもたらすことが予想されるからだ。
従って、これは、と思う娘には、思い切った金額を払う場合も出てくる。
逆に、並玉や下玉は、ほとんどの娘がこの類ではあるが、悲惨なほどに値切られることもある。この世界だけは見た目が全てである。
いつの世にも厳しい現実はある。
「口入れ屋としては、程々稼ぎはあった方でしょう。口は上手いし、顔も広かったようです。ですが、遊び人でね。金遣いも荒くて、すぐに借金するという話もあるくらいです」
「それで御禁制の行為もやっていたのか」
「そんなところでしょうね。ですが・・」
久蔵が首を傾げた。
「奴の評判が悪かったのは、そういう意味ではありませんよ」
「というと」
「いくら金に困った親でも、娘を遊郭に売るとなれば躊躇します。そりゃあ、断腸の思いです。ですが、江戸の大店とか有名な老舗の奉公人になるのであれば、さほど迷いもなく送り出すでしょう。当人の娘も抵抗はありません」
「つまり、そういう嘘を言って、娘を連れ出していたのか」
久蔵が頷いた。
「だからこそ、騙しの市松とか、人攫いの市松という評判になったのでしょう」
神宮は腕を組んだ。
「であるならば、騙された者の恨みを買ってもおかしくないな。これは、相当悪質だ。何か、具体的な話は聞いているか」
久蔵が首を振った。
「いえ、昔からある話で、最近、どのような事があったかは知りません。ですが、ここのところ中で遊ぶ姿も見られたと聞きますので、金には不自由していなかったのでしょう」
「やはり、悪どい稼ぎ方をしていたということか」
「でしょうね」
神宮が腕組みを解いた。
市松のこうした行為が殺しに結びついたのであれば、女衒の裏社会の揉め事とは、やや異なった展開になる。神宮は落胆した。この事件を取っ掛かりに久蔵を追求出来るのでは、との思惑が外れた。
久蔵が神宮に顔を向け、覗き込むように注視した。
「何か、期待外れのような顔にも見えますが」
神宮が視線を逸らした。
「ああ・・、いや、少し違う理由を予想したものでな」
「ほう、どういう理由ですか」
「つまり、裏社会の掟を破ったとか、その筋の揉め事では無いかと思っていた」
久蔵が煙管をポンと火鉢の淵に当てて灰を落とした。
「なるほど。まあ、あるいは、そうかも知れませんがね。いずれにしても、目処が立つまでは、予断を持って決めてかからないことですな。何事も」
何処か他人行儀で、冷たく突き放すような言い方だ。
「さあて、そろそろ仕事に戻りたいのですが」
神宮が頷いた。
「手間を取らせたな」
久蔵が腰を上げて、おもむろに顔を向けた。
「しかし、何故私などに聞きに来たのですか」
「この界隈は、お前が一番詳しいだろう」
久蔵は鼻で笑うように余裕の笑みを浮かべた。
「頼りにされるのは有り難いことですが、もう、昔の話ですからね」




