三
奉行所の詮議の間では、戻った間部瀬が報告を行っている。
「・・というような状況です。ええと・・したがって、その住吉が何らなの事情があって逃げ出したとは思われます。あるは、単に関わり合いになることを避けたのかも知れません。いずれにしても、下手人と決めつけるのは・・、そのぅ、ま、まだ早いかと・・」
町奉行池田播磨守頼方を筆頭に、筆頭与力の成瀬子多郎、同心神宮燕吾郎が話を聞いている。
頼方が感心するように大きく頷いた。
「おい間部瀬、お前も大分成長したな。その状況からすると、誰もが住吉が殺したと思いがちだが、そこまで考えが及ぶとはなぁ。場数を踏まえないことには、なかなか出来ることではない。のう、成瀬さん」
成瀬が微笑む。
「もう、すっかり一人前だな。頼りにしているぞ」
間部瀬が興奮したように顔を赤くして頭を下げた。
「あ、有り難きお言葉・・、か、感謝致します・・」
頼方が煙草盆に手を伸ばした。
「とりあえずは市松と住吉を知る者に話を聞くことだな。繋がりが掴めれば、そこが決め手になるだろう。当日の二人の行動も当たってくれ。あとは、死人の検分も必要だな。酢天狗には連絡したか、あるる」
「あるる」とは神宮のことである。相槌を打つ時の口癖が「あるある」で、早口なため「あるる」と聞こえることからそう呼ばれて居る。中堅格の同心で、頭がやや薄い人の良さそうな木訥とした風貌から、見るからに押しが弱く頼りなげではあるが、強面のヤクザ者にもひょいひょい近づくような、無神経とも取れる度胸はある。
更に、酢天狗とは奉行所お抱えの藤村隆庵という蘭方医だ。名医ではあるが変わり者との評判で、診察する患者の選り好みが激しく、結果として患者が少ない。故に貧乏である。西洋の芝居に目がなく、酢天狗とはその芝居の名前から来ているらしいが、定かではない。
神宮が頷いた。
「先刻藤村先生に依頼し、とりあえず了解をもらいました。ですが、長崎へ芝居を観に行く予定があったらしく、それが遅くなってしまうと、散々小言を言われました」
頼方が軽く頷いた。
「どうせ謝礼を高くする為のいつもの難癖だ。金が無いくせに、長崎などに行きやしないよ。とはいえ、こちらはお願いする立場だ。仕方がない、少し色を付けてくれ」
頼方が煙管に煙草を詰めて、火鉢に顔を近付けて火を付けた。煙草の香りが部屋中に漂った。頼方が満足そうに鼻から煙を吐きながら成瀬を見た。
「そんなところかな、成瀬さん」
成瀬が頷く。
「では、手分けして調べるか。住吉については私が担当しよう。とりあえずは勤めている店と知人を当たる。あるるは、市松の件を調べてくれ。関係しているのは、どうせあくどい稼ぎをしているような連中だろう。十分心して無理をせずに当たれ。そして、間部瀬」
「は、はいッ」
間部瀬が緊張した顔で背筋を伸ばした。
「再度吉原に行き、住吉と市松のことを色々と聞き出せ。中で二人の間に何かがあったはずだ。それを探るのだ。何なら、しばらく通って良いぞ」
「か、通う・・」
そう呟き、間部瀬の体が固まったように動かなくなった。
何処かで猫が鳴いている。
神宮はある男を呼び出していた。房吉という、昔お縄にして、娑婆に出てからも何かと面倒を見ている男だ。堅気になったとはいえ、昔の仲間との付き合いは断ち難いのだろう。陰で密かに繋がりを持っている為、裏社会の実情に詳しかった。その点で、神宮は頼りにしている。
遠くに鳥の鳴くのが聞こえるだけのひっそりとした寺の境内に痩せた猫背の男が現れた。
「旦那、お久しぶりです」
神宮が懐から小銭を取り出して男に渡した。
「呼び出して悪いな、教えてもらいたいことが出来てね」
房吉は金額を確かめて懐に入れた。
「市松のことですね」
「勘がいいな」
「そりゃあ、ここのところ、仲間内ではその噂で持ち切りでさぁ」
「話が早い。奴のことをよく知るのは誰だ」
房吉が首を傾けた。
「さぁてねぇ、あっしは、付き合いが無かったもので・・」
神宮が更に小銭を渡す。房吉が受け取る。
「お前と市松との付き合いを聞きたい訳では無い。奴が最近何をしていたかを知りたい。誰かに殺されるには、相応の訳があるだろう」
「そりゃあ、そうでしょうが・・」
房吉がはぐらかすように横を向いた。その横顔を神宮が見据えてやや語気を強めた。
「では、端的に聞こう。市松を使っていたのは誰だ」
房吉の顔色が変わった。
「どういう意味ですか」
神宮が顔を近づけて声を潜めた。
「奴が女衒まがいの事をしていたことはわかっている。御上が禁じている事を密かに行うには、手助けする者と、束ねる者が必ずいる。その、束ねている首謀者が誰かを聞いている」
房吉が強張った顔で身を引いた。
「しかし・・」
「心配するな、お前が言ったとは言わない」
房吉が思案するように小刻みに目を動かしたが、それが徐々に涙目になった。
「旦那、勘弁してください・・」
神宮が微笑んだ。
「お前も女衒をしていたからな。仲間を売るような事は出来ないか。良いだろう。では、その代わり、俺が言う名前が違っていたら、首をふれ」
房吉がゴクリと唾を飲み込んで頷くと、神宮が更に声を潜めた。
「元岡引の、久蔵、ではないか」
房吉がハッと驚いた顔をしたが、やがて力なく下を向いた。
「安心しな、お前は何も言っていない」
神宮が房吉の肩に手を掛けて、又小銭を手渡した。
房吉が去って行く姿を見送りながら、神宮の心を、陰鬱とした重苦しさが支配した。
「やはり、そうか・・」
久蔵は岡引をしていた頃は吉原周辺を縄張りにしていた。三十年ほどの勤めの中で、大捕物も何度も経験しており、鋭い嗅覚と冷静沈着な振舞いから、奉行所にとって頼りになる存在だけでなく、近辺の悪党らからも一目置かれるほどだった。この周辺では吉原という歓楽街を抱えている事で人身売買に関わる事件が多く、久蔵はその多くの処理を行なった。
還暦を迎えた時に、歳を理由に十手を返上している。三年ほど前だ。その後は、浅草に居を構えて庭師をしながら静かに暮らしている。
奉行所が久蔵に違和感を覚えたのは半年ほど前だ。取締りの動きが漏れているのでは、と窺わせる案件が続いた事だった。いずれも、事前に、経験と知見を持つ久蔵に対応を相談している案件だった。全て、女衒に関わるものである。
確たる証拠は無かったが、昨今の人身売買はより巧妙になっており、少なくとも、この界隈の実情を深く知る者が取り仕切っているのは確実と思われた。
そう考えると、取り締る側としてこの界隈の裏の裏まで知り尽くし、しかも悪党らにも顔の聞く男が、そこを仕切るようになる事は、ごく自然なことでもあった。




