二
日も高くなった頃、ようやく奉行所の役人が来た。
周り方同心の間部瀬勘太郎と「やましん」こと岡引の慎吉だ。
二人はしばらく入り口に佇んで大門を見上げていた。
口を真一文字に結び明らかに緊張した硬い表情の間部瀬と、口を半開きにして嬉そうに目を輝かせる慎吉。
間部瀬が青ざめた顔をしながらブルッと身震いした。
「おい、やましん。此処で殺しがあったという事は、俺たちは、これから毎日此処に来ることになるかもしれないぞ」
慎吉の笑顔が弾けた。
「あ、そうか。こりゃあ楽しみですね、旦那」
間部瀬が慎吉を睨んだ。
「馬鹿、考えてもみろ。俺たちが毎日吉原に通っているなどと噂されたらどうする」
「仕事なのだから、堂々と通えば良いでしょう」
「しかし、世間はそうは見ないぞ。仕事にかこつけて遊びに来ているとか、もう下手人も解ったのにまだ通っている、などと言われるに違いない」
「言いたい奴らには言わせておけば良いでしょう。そんな事は気にすることは無いですって。旦那、さあ、入りましょう」
慎吉がスタスタと門をくぐって中に入った。あわてて間部瀬があとを追う。
「おい、待て、やましん。ま、まだ私の心構えが出来ていない・・」
間部瀬がドタドタと門をくぐると、入り口で、緊張したように慎吉が固まっている。見ると、目の前で、明らかに用心棒と思われる強面の屈強な三人の男たちが立ち塞がっているではないか。
慎吉が泣きそうな顔で振り返り、間部瀬の姿を確認すると、サッと間部瀬の後ろに隠れた。
考える間もなく、間部瀬が前面に出てしまう。その背中を、慎吉がグイッと押す。間部瀬がつんのめりながら更に前に出て、男たちと至近距離で対面するはめに。
真ん中の男が一歩前に出た。
「あ、いや、そうじゃない、ち、違う。わ、私たちは・・」
間部瀬が両手を広げて、引きつった顔で首を振ると、男が腰を低くして、仁義を切るように右手を差し出した。
「お役人さんですね、お役目ご苦労さんです。早速、世話役のところへご案内します」
間部瀬が安堵の表情で肩の力を抜いた。
「そ、そうですか・・、よろしく・・」
フーと息を吐いて前を見ると、いつの間にか前に出て来た慎吉が、男たちの肩に手を掛けながら話をしている。
「お前たちもご苦労さん。何しろ、殺しだからねぇ。こりゃあ、毎日来ることになるかな、うん。いやあ、別に俺たちも来たくて来る訳じゃない。何しろ、仕事だからね。辛いところよ」
用心棒の男たちが低姿勢で頷くと、上方出身の遠慮を知らない男が調子に乗る。
「実は、俺もここは不案内でね。少し、案内してもらっても良いかな」
「へい。旦那は、どんな女が好みですか」
「そうだなぁ、俺は、やはり、まるぽちゃかな・・」
堪らずに間部瀬が叫ぶ。
「おいッ、やましん、いい加減にしろ」
何処かで猫が鳴いている。
中で店を構える店主たちは定期的に集まって会合を持っている。主に情報交換ではあるが、決まりごとに関する調整や問題ごとが起こった時の解決策なども話し合われる。その代表ともいうべき世話役は持ち回りとなっている。
この時、世話役は「万俗屋」の主人の正吉という男だ。遊び終わり帰る客への声かけ時の「ご満足いただけましたか」が口癖で、店の名前が「満足屋」だと思っている者も少なくない。
中肉中背で恰幅が良いとまではいかないものの、物腰が柔らかく常に笑顔を絶やさない態度からは、店の主人らしい貫禄は、辛うじて醸し出してはいる。ただ、顔は面長でいわゆる馬面な上に、やや大きめの鼻が上を向いていることで、完全に馬を連想させる顔になっており、見る者の笑いを誘うこともある。本人はさほど気にしていないのと、比較的色白なのが救いだ。
「殺されていたのは市松という男です。ここにも顔を出していました。口入れ屋をやっていましてね、つまり、その、ここで働く娘たちを店に世話していましたから」
「な、なるほど。そうすると、ゴホン・・」
「はい・・」
「つ、つまり、市松は・・、昨日も娘を連れて来ていた訳ですか」
正吉が間部瀬に事情を語っている。役人に調べられているとの意識からか、最初は緊張していたが、真っ赤な顔をしてオドオドする間部瀬を見ていると、やや拍子抜けしていた。
「いえ、昨日は娘を売りに・・、あ、いや、その・・世話をしに来ていた訳ではありません。遊びです。年増屋さんに来たようです。遊びで来ている姿も、これまでも、何度も見られています」
「そうですか、フー」
落ち着こうとするように、何度も深呼吸をしている間部瀬の姿を見て、慣れない環境に必死に耐えている新米役人そのままで、いじらしく思う気が起こっていたが、徐々に、何か頼りない不安な気持ちになっていた。
「それで、市松の評判はどうですか。何か揉め事があったとか、あるいは誰かに恨まれていたとか」
お決まりの通り一遍の問いに、うんざりした気持ちになり、思わず手を出して遮った。
「お待ちください、お役人さん。聞きたい事は色々とあるのでしょうが、まずは、こちらで分かっている事柄を話します。その上で、お聞きください」
「それはありがたい」
間部瀬がやや落ち着きを取り戻したように肩の力を抜いた。
正吉は、市松の噂や評判と、門の前で死んだ市松を見ていた男が、最近よく愛宕屋に来ていた客で、呉服屋の仕立て職人をしている住吉であると思われる事を語った。
間部瀬がポンと膝を叩いた。
「そうか、その住吉が市松を殺したのだな」
「まあ、それは十分考えられる事ですが、今の時点で、そこまで決めつけるのは、いかがなものかと・・」
「では何故に逃げ出したのだ。おかしいでは無いか」
「それを私に言われましても・・」
「あ、そうか・・」
間部瀬が赤い顔をしてうつむいた。正吉が笑みを浮かべながら軽く首を振った。
「確かに、何か訳はあったのでしょうねぇ。あるいは、関わりあいになるのを避けたかったのか・・」
その時、キャッキャという甲高い女たちの笑い声が聞こえた。
間部瀬が外を見ると、慎吉が、顔見せで通りを向いて座っている遊女たちと、格子戸越しに何やら話し込んでいる。慎吉が何か言うたびに女たちの笑い声が周囲に響いた。
間部瀬が忌々しそうに顔を顰めながら視線を送る。慎吉が大きな身振りで愛想を振り撒くように話す。途端に、一際大きい笑い声が起こる。慎吉がどうだというように得意げに胸を張る。
もう堪らん、とばかりに間部瀬が通りに出て怒鳴る。
「こらッ、何をしているのだ、やましん」
何処かで猫が鳴いている




