十四
裁断の日が来た。
朝早くから、奉行所の御白洲の周辺には、幾重にも人集りが出来ている。外部から裁断の現場を目にすることが出来る場所は限られている。その僅かな好位置となる場所には人がびっしりと張り付き、そこに入り切れない者が周囲を取り囲むように屯している。
この事件への江戸の民の注目の高さを表している。
貧困に苦しむ者の弱みに付け込んで、暴利を貪る者への反感は、誰もが持っている。その悪人に追い詰められて、止むに止まれずに、必死の思いで抵抗する者へは皆が同情し、その想いを遂げられれば、喝采を贈る。
市松の死に溜飲を下げて、ざまぁみろと思った者は多いだろうが、住吉を非難する者など居ないのだ。
それが人情というものだ。
そこを、御公儀がどう裁くのかが、最大の関心になっている。
「流石に殺しだからなぁ、甘い沙汰は難しいか」
「だろうなぁ。まあ、どう甘くしても、島流しは避けられまい」
「そうした上で、四、五年で戻す、という落とし所か」
「せめて、それぐらいで収めて欲しいな」
最前列に陣取った男たちが、頻りに御白州の様子を伺いながら話をしている。
江戸の民の関心が高いのは、この事件の内容が興味をそそられるものであることが大きいのだが、前提として、庶民が楽しめる娯楽が少ないことも影響している。
事件が起こり、その後の展開を含めて一つの物語として捉えられ、裁断を持って最高の盛り上がりを見せる。庶民は、その成り行きに一喜一憂し、感情を揺さぶられ、大団円を期待する。
言い方は不謹慎かも知れないが、正に娯楽そのものだ。
その結末を見るために、何としても御白州に行かねばなるまい、と思うのだ。
「女はどうなる」
「訳ありになって、客は付かないだろう。話題にはなるけどよぅ」
「市松の殺しを頼んだとか言われている。そうなれば、お咎めを受けるかも知れないぞ」
「そりゃあ無いだろう。あまりに可哀想だ」
「まあ、いずれにしろ、殺しに関わったキズ者にはなるからなぁ」
ようやく、御白州に動きがあった。
住吉が役人に連れられて姿を現した。その後ろからお美津が続く。更に、愛宕屋の女将お登代と、雨見屋の主人の弥兵衛が入って来た。
オオっという低いざわめきが起こった。
「職人が出てきた。いかにも真面目そうな奴だな」
「おっと、やはり女も連れられて来たぞ」
「うわぁ、という事はお咎めがあるのか。厳しいなぁ」
「で、その後ろの二人は何だ」
「知らん」
ざわめきが大きくなり周囲を覆う。役人が群衆に向かって静かにするように指示を出すが、従う者はいない。役人を挑発するようにわざと大声で話す者もいる。
そして、待ちに待った触れ太鼓が響く。
遂に町奉行の登場だ。
一同が頭を下げて、この時だけは、流石に場が静まる。
「池田播磨守頼方様、御成・・」
裃に身を包んだ頼方が入って来た。座につき、周囲を見渡した。
「皆の者、おもてを上げよ」
お白洲に頼方の低く張りのある声が響く。ゆっくりと一同が顔を上げた。
「大磯屋の仕立て職人住吉による口入れ屋市松殺しの件について吟味いたす」
頼方が、住吉が市松を殺すに至った経緯を語った。
「住吉、この事に間違いはないか」
「はい、間違いございません」
住吉が深々と頭を下げると、頼方が頷いて、視線をお美津に移した。
「愛宕屋の遊女若菜ことお美津、そなたはどうだ」
若菜も深々と頭を下げた。
「間違いございません」
頼方が間を取るように、ゆっくりと頷いた。
「では、住吉に聞く」
住吉が緊張の面持ちで姿勢を正した。
「お美津から、市松への恨みがあり、奴を刺すという話を聞いた時に、奉行所に訴える事を勧めなかったのは、何故だ」
住吉がハッとしたように身を引いた。
「そ、その・・、訴えたところで、市松は口が上手く、私たちの訴えをお役人様が聞き入れてくれることが難しいのでは、と思ったもので・・」
頼方が住吉を見据えた。
「役人は、市松のような口八丁の悪人に丸め込まれるので、信用ならないと思ったのか」
住吉がワナワナと震えながら頭を下げた。
「そ・・そういう訳では・・」
頼方が厳しい視線をお美津に向けた。
「お美津、其方はどうだ。自ら市松を刺すと言いながら、結局、住吉に依頼する形となった。そもそも、奉行所に訴え出ることは、考えなかったのか」
お美津が体を硬直させ、青白い顔で力無く頼方を見詰めた。
「お父つぁんが・・市松に騙され、お役人様に訴えてくれと庄屋様にお願いしたそうですが、証文があるからには聞き入れてもらえないだろうと言われ、そうであれば、あたいが訴えたところで、同じだろうと思ったもので・・・」
お美津が涙を浮かべながら頭を下げた。
場が水を打ったように静まった。
頼方がゆっくりと上体を起こして、肩の力を抜くように座り直した。
「二人とも、おもてを上げな」
住吉とお美津が恐る恐る顔をあげる。
「なるほど、其方たちの思いも分かる。揉め事は、常に相手があるもの。奉行所に訴えたところで、役人が相手の言い分を聞いてしまうかも知れない。ましてや、相手は人を騙す事に長けていると評判の奴だ。そういう不安を持つのも、もっともだ」
不安な表情で視線を向ける二人に、頼方が穏やかな笑みを向ける。
「だがな、だからといって、自分で相手を殺すことなど、それは、やってはいけないことだ。どういう理由を付けても、正道に反する行いなのだ。それは、其方たちも解るな」
二人が神妙に頷く。
「この度のように、騙されたとか、酷い目に遭わされたとか、理不尽な事が起こったら、まずは奉行所に訴えろ。役人は、お前たちのように堅気に働き、真面目に暮らす者の味方だ。市松のようなクソ野郎の味方をすることなどは、決して無い」
頼方が睨みを効かすように周囲をゆっくりと見回した。
「我らは江戸の民を必ず守る。役人を信じろ」
頼方が姿勢を正した。
「裁断を申し渡す」
どよめきが起こった。御白州が緊張に包まれる。




