十五
頼方が住吉を見据えた。
「住吉、其方は心を寄せる遊女若菜ことお美津の思いを受けて、お美津が恨みを持っていた口入れ屋市松を殺すに至った。つまり、単に惚れた女が恨んでいたという理由で、自分としては全く関わりの無い、無関係の者を殺したことになる」
頼方が一呼吸置いて頷いた。
「会った事が無いどころか、顔さえ知らない者を、他人の意向を受けて殺すなど、正に殺し屋と同然の行為。その罪は限りなく重い」
御白州にヒリヒリとした緊張感が漂う。一同が固唾を飲んで見守る。
「しかし、自ら奉行所に出頭し、素直に罪を認め反省する姿勢は、十分に酌量するに値する。よって、二年間の謹慎として、小間物屋雨見屋の預かりとする」
オオッという、驚きと安堵の入り混じった、低いどよめきが起こった。
住吉が驚きの表情で頼方を見詰めた。
信じられない裁断だ。流石に死罪は無いだろう、いう思いはあったが、島流しは覚悟していた。むしろ、それくらいで済んで欲しいと望んでいた。
それが、何と謹慎である。しかも、二年間という短さ。さらに、雨見屋という気心の知れた店で過ごすことになるとは。
覚悟していたこれからの過酷な生活が、一気に希望に満ちたものに変わった。夢を見ているようなフワフワとした思いで隣を見ると、お美津が目に涙を浮かべて微笑んでいる。心から安心した笑顔だ。遠くない将来に、この女とまた会えるようになる、という希望が胸を熱くした。
何という寛大な裁きなのか。いくら感謝しても仕切れない。住吉は両手をついて、深々と頭を下げた。
「・・ありがとう・・ございます・・」
頼方が頷き、一呼吸置くようにゆっくりと周囲を見まわして、やがて視線をお美津に移した。
「愛宕屋の遊女若菜ことお美津」
頼方がジッとお美津を見据えると、緩んでいた御白州の空気がまた緊張に包まれた。
「其方は、父親と自身の恨みを晴らすため、市松を自ら殺害することを住吉に告げ、結果として、住吉に市松を殺すことを依頼するかたちとなった。一連の行為は、殺しの教唆とも受け取れ、その罪は限りなく重い」
皆が固唾を飲んで頼方を注目する。
「よって、二年間の謹慎とし、小間物屋雨見屋の預かりとする」
どっと歓声が上がった。
住吉とお美津の両名が二年間の謹慎となり、雨見屋の預かりとなる。二人が同じ屋根の下で一緒に暮らすことになるのだ。
何という粋な事をするのだという、驚きと賞賛が入り混じった群衆の叫びが周囲に響き、鳴り止まない。役人が静まるよう制止しようとするが、当然ながら治まらない。
騒然とする中、住吉とお美津は、状況が良く飲み込めないというような表情で、呆然と頼方を見つめている。本当にそれで良いのか、という戸惑いもある。
それでも、二人の心に、頼方が言った「役人は堅気に働き真面目に暮らす者の味方だ」という言葉が、実感として刻まれていた。やがて、感謝と安堵の思いが沸々と湧き上がり感情を揺さぶった。涙を抑えることが出来ず、二人は深々と頭を下げた。
頼方が雨見屋の主人の弥兵衛を見た。
「弥兵衛、今日、わざわざ其方に来てもらったのは、そういう訳だ。二人を頼んだぞ」
弥兵衛が緊張のあまり言葉が出ずに、口をもぐもぐさせながら、体を震わせて頭を下げた。
「それから、愛宕屋の女将お登代」
お登代は、いかにも肝が据わっているというように、姿勢を正し、落ち着いた表情でしっかりと頼方を見た。
「はい」
「お美津を雨見屋に預けるとなると、お美津が店を抜け、店に損失を与えることになる。せめて、身請けされた場合と同様の補償はするべきとの思いはある。だが、奉行所がその金を出す事は出来ない」
頼方がうんと頷いた。
「そこでだ。先日、この度の事で市松が大変な迷惑を掛けたと、奴を使っていた女衒の親分が詫びを入れに来た。そして、詫び料という事で五十両を差し出した。そのような金は受け取れないと断ったのだが、強引に置いて行ってしまった」
頼方が懐から金を取り出すと、お登代の前にポイっと放り投げた。
「これがその金だ。女将、少し足りないかもしれないが、これで勘弁してくれ」
お登代が驚いた表情で首を振った。
「そ、そうだとしても、これは多すぎます・・」
「詫び料込みだ、俺の顔をたてて、黙って受け取ってくれ」
「しかし・・」
「良いってことよ。多い分は、中の為になる事に使いな」
お登代が緊張した面持ちで深々と頭を下げた。
「これにて一件落着」
ドンドンと触れ太鼓の音が響き、皆が頭を下げる。
頼方がすっくと立ち上がった。立ち去ろうとして数歩歩いたが、思い止まるように立ち止まり、正面を向いた。
「一言、言い忘れた」
皆が徐に顔を上げ、場が静まる。
頼方が住吉を見つめた。
「住吉、俺がお前だったら、同じ事をするぞ。良くやった」
ウオーという歓声が上がる。
住吉が顔をくしゃくしゃにして泣き崩れる。その肩をお美津が抱きしめる。
歓喜に沸き立つ群衆から、歌舞伎の大向こうのような掛け声が飛ぶ。
「播磨屋ぁ〜」
「いよッ、名裁断」
「後家殺し」
歓声が周囲を覆い、なかなか鳴り止まない。まるで祭りのような、開放感のある雰囲気を醸し出している。
あるいは、この場面が、予想を遥かに超える最高の結末を目撃した感動を皆が共有し合っている、という意味では、祭りそのものかもしれない。
その日の夜、頼方がお真美の茶屋を訪れていた。
お真美が頼方の持つ猪口に酒を注いだ。
「江戸中が今日の裁断の話で持ちきりよ。見事な落とし所ね。久々に、褒めてあげるわ」
「俺だって、決める時は決めるさ」
頼方が美味そうに猪口を開ける。
「あの二人は、いずれ一緒になって、小間物屋を引き継ぐ訳ねぇ、素敵ぃ」
「主人の弥兵衛も望んでいた事だ。しっかり者同士だ、上手くいくだろう」
「その小間物屋だけでなく、愛宕屋も見受け金が入って、皆が万々歳じゃない」
頼方が胸を張る。
「まあな」
お真美が手酌で酒を注ぎ、一気に飲み干した。
「まあ、何やかんや言っても、結局、世の中は金よねぇ」
頼方がフウと息を吐き、頷く。
「確かに、そういう側面はある。全て、とは言わないが」
「悪どい事をする連中の目的は、ほとんどが金目当てだし」
「金は欲しいが、地道に働かずに、手っ取り早く大金を手に入れたいという連中だ」
「そういう連中を束ねて、自分は手を汚さずに、甘い汁だけ吸う奴も出てくる訳ね」
「久蔵のようになぁ」
「要領の良いずる賢い奴ね。で、あの金は、本当に久蔵が置いて行ったの」
頼方がドキッとしたように姿勢を正した。
「そ、そうだ・・」
お真美が冷ややかな視線を送る。
「ふーん、そう。まあ、いくら気前が良いとはいえ、五十両をまるまる渡すとは思わなかったけれど」
頼方がぎこちない動きでお真美に酒を注ぐ。
「やはり多かったか」
お真美が注がれた酒を一気に飲み干す。
「あの娘くらいなら、誰がどう考えても三十両程度らしいわね」
「・・そうなのか・・」
「何だ、知っていながらやったのかと思った」
頼方がガクッと肩を落とす。
「知っていたら、二十両は俺がもらうんだった・・」
お真美が呆れたとばかりに首を振る。
「あら、あら、役人がそんな事やって良い訳ないでしょうが」
頼方がフウと息を吐き、胸を張ってお真美を見た。
「何事にも例外はあるものさ」
何処かで猫が鳴いている。




