十二
頼方が、酢天狗こと蘭方医の藤村隆庵と飲んでいる。表向きは検死の報告である。
場所は、いつものお真美の茶屋だ。
頼方が贔屓にしている店で、料理を売りにしており、客の相手をする女の一人がお真美だ。頼方のお気に入りで、時々泊まっている。
上方出身の、見た目は清楚で若作りの女だが、酒が強く、酔うほどに激しい性格が表に出てくる。それでも、感性が豊かな上に発想も斬新で感心させられることが多く、遠慮無く意見してくれる真っ直ぐさにも、頼方としては心惹かれるものがあった。
藤村が勿体ぶったように、手に持った猪口にゆっくりと口をつける。
「背中の傷が最初だろうな。振り向いたところを、腹に三箇所刺して、倒れたところに、止めのもう一突き、というところだな。まあ、ほとんど抵抗した様子はない。というか、かなり酒が入っていたようで、死んでからも結構臭っていた」
頼方が酒を口にしながら頷いた。
「で、刺したのはやはり男か」
「男だ。しかも、職人肌の奴だろう」
「ほう、と言うと」
「背中の傷はともかく、腹の三箇所と止めの心の臓は、見事に狙って刺したと思われるほどに、狂いは無いと見た。あそこまでやるのは、緻密で手先が器用な奴。つまり、何らかの職人だ」
お真美が藤村に酒を注いだ。
「やはり、名乗り出た仕立て職人で間違いないのね」
藤村が頷いた。
「しかも、迷いのない刺し方だ。強い殺意が感じられる。相当な思いがあるのだろう」
「一途な堅気の職人が、心から想う女のために、万感の思いで憎たらしい仇を刺したのね。素敵だわぁ」
お真美がうっとりとした表情で目を瞑る。
頼方が「ごほん」と咳払いをする。
「いや、まあ、そういう側面も勿論ある。確かに、それは、そうなのだが・・」
藤村が頼方に顔を向ける。
「おい、奉行、何か。お前は、この仇討ちが面白くないというのか」
頼方が短く首を振る。
「そういう訳では無い。ただ、ほら、俺は、その住吉に、これから沙汰を下さなければならないから・・」
藤村がグイッと酒をあおる。
「んなもん、無罪放免で良いだろう」
お真美も一気に猪口を空ける。
「そうよ。世のため人のために、ろくでもない奴を殺してくれたんだから、むしろ褒美をあげなさいよ、良くやったって」
頼方が酒を口にしながら、フーと息を吐く。
「気楽に言ってくれるなぁ・・。いいか、これは人殺しだぞ。流石に、そういう訳にはいかないだろう。まあ、しかし、いつも思うのだが、そういう気持ちだけで沙汰を下せたら、楽だろうなぁ」
藤村が真顔でジッと頼方を見詰める。
「そうか、なるほど。確かに、お主の立場としては難しいだろうな」
藤村が猪口を置きながら頷いた。
「だがな、あんたが奉行なんだ。自分の思う通りにやれば良い。成瀬みたいな頭の硬い木端役人の言うことなど気にするな。江戸の民は、「そう来たか」という、町奉行播磨守の心意気を期待しているのだ」
お真美が頼方に酒を注ぐ。
「そうよぅ。あんたが、何でも決められるのよ。あんな、堅物の与力は無視しなさい。なんか、子作りしか能がないっていう評判よ。そっちの方しか考えていないのよ」
成瀬は五人の子があり、更に、奥方は六人目を身ごもっている。
頼方が首を傾げる。
「それは、又、違う話だから・・」
藤村が酒を口にした。
「かの赤穂浪士の討ち入りを考えろ。主君への理不尽な幕府の沙汰に怒り、それならば、と自分たちで仇討ちを成し遂げ、江戸の民から喝采を浴びたではないか」
「そうそう、仮名手本忠臣蔵ね。これは歌舞伎の名作よ」
藤村が怪訝そうにお真美を見る。
「ちょっと待て、あれは、南北朝時代の話だろう」
お真美が冷ややかな目つきで藤村を見る。
「西洋の芝居しか知らない奴は黙っていなさい。あれは、歴とした赤穂義士の討ち入りの話よ」
藤村は黙るしかない。それほどお真美は歌舞伎に精通している。
江戸に出てくる前は上方歌舞伎に魅せられていた。上方の和事と言われるように色男が優美で柔らかな動きで感情を表現する演目に夢中になっていたが、江戸に出てくると、江戸の荒事と言われる形式美を重視した勇壮な動きがお気に入りとなって、暇を見つけては歌舞伎に出かけている。
余談ながら、歌舞伎の名作となっている仮名手本忠臣蔵は、元々が人形浄瑠璃の人気演目であった。確かに、時代設定や登場人物は室町時代になっている。
征夷大将軍である足利尊氏の参代として弟の直義が、新田義貞の兜を鶴岡八幡宮に奉納しに来る所から話が始まる。
この饗応に当たった塩冶判官は、執事職の好色で傲慢な高師直による理不尽な言動に激昂し、殿中で刀を抜き師直に斬りつける。周囲に止められ討ち漏らしてしまうが、この行為により幕府から切腹を命ぜられる。そして、塩冶家はお家断絶となる。
塩冶家家老の大星由良之助は、主君の無念を晴らす事を決意し、多くの苦難と辛抱の末に、遂に、浪士四十七士と共に師直を討ち取るのである。
明らかに赤穂事件を題材としていると解るが、こうした設定になった大きな理由は、文芸や芝居において、実際の事件やお家騒動を題材にすることは、幕府により禁じられていたためである。幕府批判への警戒や関係者への配慮からだ。
俯いていた藤村がハッとしたように顔を上げた。
「ちょっと待て。その職人を無罪放免にするのは良いが、それだけでは、二人は添い遂げられないぞ。訳ありになって、勤めていた呉服問屋も他の店も、すんなりと雇ってくれるかどうか。どうやって食って行く・・」
お真美が首を振る。
「いえ、その前に、その遊女が中を抜け出せない事には何も出来ないわよ。まだ年季が残っているでしょ」
「そうか、職人ごときが、女を身請けするような金を持っている訳は無いなぁ」
「結構人気の女だったそうだから、身請け金も高いんじゃないの」
藤村とお真美が顔を見合わせていたが、その視線を、ゆっくりと頼方に向けた。
頼方が警戒するように身構える。
「ここは奉行の腕の見せ所だぞ」
「そうよ、何とかしなさい」
頼方が肩を落としながら酒を口にする。
「勝手なことばかり言うなよ・・」
何処かで猫が鳴いている。




