表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
48/48

エピローグ 二律背反の新たな一日

 神保町の古い雑居ビルの二階。かつてインクの雨が街を飲み込んだ惨劇など嘘のように、解呪屋・二律背反の店内には平和な珈琲の香りが漂っていた。


「……あ、ちょっと累。ハンバーグを焼く前に、ちゃんと手を洗った?」


律は、キッチンでエプロンを締め、かつての温厚な微笑みを浮かべていた。眼鏡を外した今の彼は、どこにでもいる世話焼きな青年にしか見えない。


「るせぇな。オレ様は神霊だぞ。菌なんて寄り付かねぇよ」


「そういう問題じゃないんだ。……あ、陽菜ちゃん。悪いけど、そっちのレタスを洗っておいてもらえるかな?」


「はい! 了解です、先生!」


カウンターの向こうで元気よく返事をしたのは、新人アルバイトの一ノいちのせ 陽菜ひなだ。

彼女は、少女漫画から飛び出してきたような、一見すると「健気な看板娘」である。だが、その背中には大きなリュックを背負い、中には古今東西の怪異を記録した「自作の図鑑」が詰まっている。


彼女は、重度の「怪異の断末魔フェチ」だった。

「私、律先生の解呪の瞬間が一番好きなんです。特に、怪異が論理的に追い詰められて、最後に『あり得ない!』って絶叫しながら消えるあの瞬間の周波数。……あれ、録音して寝る前に聴きたいくらいです」


「……陽菜ちゃん、また物騒なことを言ってるね」


律は苦笑いしながら、ハンバーグの形を整える。温厚な律と、傲慢な神霊の累。そこに「怪異の死に際」を愛でる陽菜が加わった『二律背反』は、以前よりもずっと賑やかで、そして少しだけ狂っていた。


その時、カランと鈴が鳴った。


「……あの、助けてください」


入ってきたのは、震える手でスマートフォンを握りしめたサラリーマンだった。

彼の背後。スマートフォンの画面から溢れ出した無数の「赤い文字」が、鎖となって男の全身に巻き付いている。


律は、キッチン台に置いてあった眼鏡を、ゆっくりと、しかし迷いのない動作で手にした。

カチリ、とフレームが耳に掛かる。


「ようこそ、解呪屋『二律背反アンチノミー』へ」


「あ……が、あ……っ」


「救いますと言いたいところだが。……さて。あんたがその『呪い』を立派に育てるために、一体どんな質の良い嘘を重ねてきたのか。まずはそこから教えてもらおうか」


 律はペンを握る男の耳元で、死神のように囁く。


「報酬は、あんたの全資産の三割。そして……」


「あ、先生ー! あと今夜のハンバーグの高級合挽き肉代も、経費で落とさせてもらっていいですか?」 


陽菜が、まったく空気を読まずに伝票を差し出す。

一瞬、凍りつくような沈黙。


「……ああ、それも追加しておいてくれ」


律は小さく溜息をつき、再び怪異を射抜いた。

文字の鎖が蛇のように鎌首をもたげ、牙を剥いて男の喉元へ食らいつこうとした。


首を縦に振った男が絶叫しようとした瞬間、文字の鎖が蛇のように鎌首をもたげ、鋭い牙を剥いて男の喉元へ食らいつこうとした。


「――出た。SNSの『炎上(物理)』系怪異。捕食の瞬間、いい波形が出そうです!」


陽菜が、嬉々としてボイスレコーダーを取り出す。

その瞬間、それまで鼻歌を歌っていた律の空気が、一変した。


「陽菜、下がれ」


「……累も、遊びは終わりだ。契約通り、力を貸せ」


「ヘッ。待ってたぜ、その冷たい声」


累が影から飛び出し、律の右腕と一体化する。

律の首筋にある「再契約」の紋章が、虹色のノイズを放ち、周囲の空間を「法典」の縛りから解き放っていく。


「さて。……そのデタラメな怪異、俺が根底から否定してあげようか」



律が右手を掲げる。その先には、どんな正論も届かない「矛盾の刃」が、月光のような鋭さを伴って顕現していた。


「術式・二律背反――解呪、開始オブジェクト


閃光が走り、律の一振りが怪異の喉元へと吸い込まれていく。

不条理な世界の片隅で、彼らの戦いは、これからも続いていく。

(完)


※本作はここで『完結』になります。

最後まで読んでくださり本当にありがとうございました。

憮然野郎の他作品も応援いただけると嬉しいです。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ