第46話 英雄と累との再契約③
激突する「矛盾の刃」と「裁きの剣」。
その均衡を破ったのは、律の肉体から溢れ出した、血よりも濃い「言葉の泥」だった。
「……ぐ、ぅ……あぁぁぁ!!」
律の右腕はすでに感覚を喪失し、白紙化の浸食は肩を越えて胸元にまで達している。存在が削られていく激痛。だが、律はその痛みを笑うかのように、さらに深く堂々の剣を押し返した。
律の背後、ノイズの光に触れた群衆の中から、小さな、しかし確かな変化が起き始めていた。
怪異に変じかけていた人々が、その「醜い欲望」を、再び自分の声として叫び始めたのだ。
「死にたくねぇ……!」
「まだ、あいつに謝ってねぇんだよ!」
「全部壊れちまえ、だけど俺は生きていたい……!」
それは組織が定義する「正しい物語」には決して記述されない、無様で非論理的な生存本能の叫び。その膨大なノイズが、律という「依代」を中継地点として、一つの巨大な奔流となって堂々廻へと叩きつけられる。
「……馬鹿な。このゴミのような情報の羅列が、法の記述を……押し返しているというのか……!?」
堂々の仮面が、律の放つノイズに耐えきれずピシリとひびが入る。
律は血走った瞳を堂々に固定し、一歩、また一歩と、法の剣を押し戻しながら前進する。
「堂々……あんたの法には、一つだけ足りないものがある。……それは『責任』なんかじゃない。……明日への『悪足掻き』だ!!」
「黙れ、不法占拠者……!!」
堂々がさらなる『大剥奪』の力を強制徴収しようとしたその時。
律の影の中から、累がその実体を半分だけ現した。少年の姿をした神霊は、律の心臓の鼓動に合わせるように、黄金の波動を極限まで圧縮する。
「――累! これが、俺たちの『再契約』だ!!」
律が叫ぶ。
これまでの「依代」と「神霊」という、支配と被支配の関係ではない。
「不法な存在」である律が、「正当な神」である累の力を、自分という器を壊しながら現世に引きずり出す。それは組織の回収リストにあるあらゆる項目の上から、真っ赤なインクで「生存」と書き込む暴挙。
「応よ、律!! オマエという泥棒が盗んだ命……オレが最高の価値に変えてやる!!」
律の矛盾の刃が、累の黄金を吸い込み、漆黒から「虹色の極光」へと変化した。
それは世界に存在するあらゆる「正論」を、一瞬で「未確定の可能性」へと分解する、究極の論理崩壊。
「術式・二律背反――『英雄への葬送』!!」
律の刃が、堂々の裁きの剣を真っ二つに叩き割った。
粉砕された法典の影。飛び散る文字の礫。
その中心を、律の拳が突き抜ける。
「……っ、が……っ!?」
堂々の腹部に、律の白紙化した拳がめり込んだ。
衝撃波が新宿の空を覆っていた文字の雲を一掃し、一瞬だけ、灰色の空に月光が差し込む。
堂々廻の仮面が完全に砕け散った。
その下から現れたのは、無機質な執行者の顔ではない。
かつて律が青年の体を盗んだあの日、同じように雨の中で何かを失った、一人の男の「苦悩」の表情だった。
「……堂々。あんたも……組織の法に、縛られているだけなんじゃないのか」
律の声は、もはや怒りに震えてはいなかった。
ただ、同じ「不自由な世界」を生きる者としての、静かな同情さえ混じっていた。
堂々は血を吐きながら、力なく膝をつく。
彼が守っていた「正義」という名の檻が、律という矛盾によって、今まさに解呪されようとしていた。
だが、その代償は非情だった。
堂々を撃退した瞬間、律の身体を支えていた無理な論理が解け、白紙化の浸食が一気に全身へと広がった。
「……あ……、累……」
視界が真っ白に染まる。
累の手を握っている感覚さえ、砂のように崩れていく。
律は崩れ落ちる意識の中で、雨の向こうから近づいてくる、あの男の足音を聞いた。
黒いコート。黒い記号。
全ての始まり、そして全ての終わりの鍵を握る男――「ワニ」が、ついに沈黙を破る。




