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第33話 言語の墓場②

 新宿。そこはかつて、欲望と喧騒が「言葉」という形をとって渦巻く巨大な情報の坩堝るつぼだった。だが今、その街は物理的な意味で「墓場」へと変貌を遂げていた。

 アスファルトの裂け目からは、死者の未練のような黒い文字列が蔦のように這い出し、ビルの壁面を覆い尽くしている。空から降り注ぐのは、もはや雨ではない。誰かがネットに放流した無責任な「死ね」という二文字、あるいは根拠のない誹謗中傷が、すすのような黒い塵となって人々の肺に溜まっていく。


「……律、おい、律! 目を覚ませ!」

 累の叫びが、新宿駅ビルの残骸に虚しく響いた。

 瓦礫の山の中で、律は累の腕に抱かれたまま、ピクリとも動かない。その顔面は土気色を通り越し、石像のような死相を浮かべていた。首筋から左頬にかけて広がった「痣」は、もはや単なる変色ではない。肉を内側から食い破るようにして、黒い活字の断片が、皮膚を縫い合わせる針のように律の顔を侵食していた。


「……う、ぐ……」

 律の喉から、掠れた喘ぎが漏れる。薄く開けられた瞳には、光がない。眼鏡というフィルターを失ったその瞳には、正常な「現実」の光など届くはずもなかった。脳内に流れ込んでくるのは、先ほど打ち倒した「言語の獣」の残滓――数万人分の「匿名という名の悪意」だ。


「……累、逃げろ……。俺の中に……ゴミが、入り込みすぎた……」

 律の手が、震えながら累の腕を押し返そうとする。

「解呪師が……呪いに呑まれて、どうする……。このままじゃ……俺が、次の『獣』になる……」


「馬鹿野郎! そんなことさせるかよ!」

 累は律の胸ぐらを掴み、自分の黄金の熱量を無理やり叩き込む。累の咆哮とともに、黄金の輝きが律の痣を一時的に抑え込む。だが、それは同時に累の「器」をさらに透明にしていった。


 その時だった。

 霧の向こうから、カツン、カツンと乾いた靴音が近づいてきた。

 この地獄の中で、あまりに場違いなほど軽やかな足取り。

 そこに立っていたのは、一人の若い女性だった。


 身体のラインを強調するタイトなリクルートスーツに身を包んでいるが、その肌は磁器のように白く、血が通っている気配がない。彼女の両目は、精巧なカメラのレンズのように幾重にも絞りが重なり、時折、絞り羽根が動く機械的な「チッ」という音を立てていた。

 

「……あらあら、見苦しいわね。不法占拠者(律)と、消えかけの神霊(累)。……君たちは、まだその『壊れかけた家』にしがみつくつもり?」


 女性は、肩から下げた一眼レフのようなデバイスに手を添え、低く艶のある、しかし一切の感情を欠いた声で笑った。彼女は、この世界の「事実ログ」を管理し、不都合な矛盾を切り捨てて編集する、組織の記録官――編集者エディター・ミズキだった。


「……堂々 廻の、刺客か……」

 律は累に支えられながら、死に損ないの執念で立ち上がった。


「堂々? あんなお喋りな男と一緒にしないで。私はただ、無秩序に溢れ出した『ノイズ』を整理しに来ただけ。……君たちが抱えているその『矛盾』、この世界の清浄な記録にとって、最大の汚点シミなのよ。……ただちに削除デリートしなきゃ」


 ミズキがデバイスのシャッターを切った。閃光が走ると同時に、彼女の背後から、全身を「新聞紙」で包んだような異形の集団が現れた。彼らはかつてのメディア関係者が、言葉の暴力に屈して怪異へと成り果てた姿だ。


「さあ、取材を始めましょう。――黒田律(仮)。一年前に脳死。家族との連絡は断絶。孤独死寸前だった肉体を、名もなき怪異が横領。……これ、動かしがたい事実よね?」

 彼女が放った言葉が、物理的な質量を持って律の胸を貫いた。「事実」を突きつけられるたびに、不法な占拠を続けている律の「器」の整合性が崩壊していく。


「――累。南米の神霊。数千年の歴史を、日本のしがない怪異に売り渡した売国奴。……君が彼を救うたびに、君の神格プライドは汚されていく。……これも、事実だわ」

「……っざけんな!」

 累が飛びかかるが、ミズキは煙のように攻撃をかわす。


「事実は曲げられないわ。……君たちは、互いを救っているつもりで、実は互いの『首』を絞め合っている。……共生? 違うわね。それはただの、共食いよ」


 律は、崩壊していく身体を必死に繋ぎ止めながら、赤く染まった瞳でミズキを睨みつけた。

「……事実、だと? 笑わせるな……」

 律は血を吐きながら、冷たく笑った。「お前たちが並べているのは、ただの『情報の断片』に過ぎない。……その行間あいだにある、俺たちの『合意』を……お前たちは一文字も読めていない……!」


 律は、あえて自分を侵食していた「文字の泥」を、己の指先に集束させた。敵が事実ログを武器にするなら、自分は「解釈エラー」で対抗する。


「……累。お前の寿命を、十秒分だけ……俺に寄越せ」

「十秒? 全部やるよ、律!」


 累の黄金の光が、律の指先に宿る黒い泥と混ざり合い、世界で最も「不純」な毒となった。律の指先が、ミズキのレンズのような瞳へと突き出される。

「……お前たちの『記録ログ』という名の檻を、……俺たちの『矛盾』で塗りつぶしてやる……!」


 ドォォォォン!


 新宿の夜空に、黄金と黒の衝撃波が広がった。ミズキのレンズがひび割れ、彼女の身体から大量の「事実」という名の印字が吹き出す。

「……バカな。……論理的に、ありえない……。……不法な存在が、……どうして確定された『記録』を……書き換えられるの……?」


「……俺たちが、……生きているからだ。……記録されるだけの過去じゃない。……俺は今、お前を殺すために……ここで呼吸している……」


 ミズキの身体は砂のように崩れ落ち、新宿の喧騒の中に消えた。

 だが、律はそのまま地面に倒れ伏し、累もまた、膝をついて激しく咳き込んだ。累の手は、もう背景と区別がつかないほど透けていた。


「……律、おい、律……。また無茶しやがって……」

 律は、意識の混濁の中で、自分を呼ぶ累の声を聞いていた。

「……ああ。……帰ろう、累。……今度こそ、……あの店へ……」



【記録官】編集者 ミズキ(エディター)

能力:世界編集クリッピング

事象のログを管理。不都合な事実を「不要なシーン」として切り捨て、歴史そのものを改ざん・編集します。

強制力:A


律 × 累:【二律背反の共鳴シンギュラリティ

強制力:A+α

解説: 定義する者(律)と、矛盾そのもの(累)が一つになることで、世界のシステムそのものを再構築する、測定不能の力を発揮します。


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