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04-嘘

 私は泥と血と汚物に塗れたまま、しっかりと立ち上がった。



 地下1階の空気は3階よりも幾分ましだが、それでも肌にまとわりつくような嫌な湿度だった。



 壁に触れるとその先からわずかな振動が伝わってくる。

 感じる人の気配は音より先にこの感覚でわかるのだ。



 それは幼いころからの感覚で、家庭教師は将来が楽しみだと言っていたらしい。

 だけど、どれだけ魔法を学んでも壁の向こうに何があるかがはっきり見えるわけではない。



 ただ、空洞か、土か、動くものか、その違いが分かる程度の……なんの役に立つのか立たないのか曖昧な魔法だった。



 私が落ちこぼれと呼ばれ、屋敷から出してもらえなくなった理由でもある。



(でも今は……これが役に立ってる)



 貴族用の脱出通路は牢屋が並ぶ区画のさらに奥だと記憶している。

 その扉の鍵は、看守の詰め所にもあったはずだ。


 私は壁に手を当て向こうの気配を探ると、冷たい石の向こう側に3つほどの塊のような気配がした。

 規則的にゆっくり膨らんだり萎んだりしているようだ。



(人が……寝ている)



 詰め所だ。


 おそらく巡回が外に出て、交代の人間が寝ているのだろう。

 中にいるのは3人……深く眠っているようだ。


 鍵のような……金属の塊の感覚は何も感じないので巡回がもって外に出ている可能性があった。


 ――――――――――――――――――――――


 私は一歩ずつ気配を殺したまま、牢が並ぶ方へと向かった。


 足裏に石の冷たさが伝わる。


 いまだに裸足のままで、足裏の泥が乾き始めて皮膚が引きつり始める。


 1つ目の牢の手前に立ち、牢の中の気配を探る。

 中は空だ……生き物の気配はない。


 2つ目の牢は奥に人の気配がする。

 横たわっているが呼吸は浅く、鎖の微かな震えが伝わってくる。


 3つ目……空、4つ目も……誰もいない。


 ――――――――――――――――――――――


 なるべく息を殺すが、こぼれ落ちる呼吸が自分でもうるさく感じてしまう。


 胸に巻いた布が水を吸って重くずり落ちそうになる。


 そのとき……じゃらり、と、遠くから金属が触れ合う音がして足音が聞こえた。

 石床を打つ硬い靴底の音が一定の間隔で聞こえてきた。



(巡回の兵士だ……)



 鼓動が強くなり、私は思わず壁に手をついた。


 向こうから近づいてくる足音は1人のようで、歩くたびに鍵の束が揺れる音が響いている。

 詰め所の3人はまだ眠っている……巡回は1人……。


(どうする……)


 近くに隠れられる場所はほぼ無く、目の前の牢は空だ。

 ジャラジャラとした鍵の音と共に足音が近づいてくる。


 灯りの揺れが廊下の角を曲がるのがわかり、冷たい汗が背を伝う。


(息を止めて……考えて……!)


 巡回は一定の歩幅で止まる様子はなく、牢を1つずつ覗いて、次へ進んでいる様子がわかる。


 牢の中へ入れれば、見つからずにやり過ごせるかもしれないが、誰もいない方にも鍵がしまっている。



 格子の隙間は身体が通るほど広くない……。



 足音が近づくたびに心臓がドクンと反応し、鼓動と金属音が重なり、胸の奥で鈍く反響する……。



(ひとり……か)



 ふと足音が止まり深いため息が聞こえてきた。


「……はぁ……ったく、ついてねえな……」


 ぶつぶつと独り言をこぼし始めた。


「ちょっと殴って突っ込んだだけだろうが……あのガキ、せっかく俺の順番だったってのに、すぐ死ぬとか聞いてねえ……」



 視界が白くなり耳鳴りがしはじめる。


「俺は悪くねえ……」


 喉の奥に腹から胃酸が上がり、頭が痺れ膝が震え始めた。


(あの子を……あいつがあの子を)


 鍵の音がして再び男が歩き始めた。

 その瞬間、私の身体は勝手に動いていた。


 人気のない牢の扉を、わずかに軋ませた。


 ほんの小さな音……それでも、静まり返った地下では十分過ぎるほどはっきり耳に届いた。

 足音がこちらへ向きを変える。


「……誰だっ!?」


 その瞬間――私はしゃがんで身体を背後間へと滑り込ませ、首に腕を回して口を塞いだ。



 右手に握っていた釘を喉元へ押し当て、刺さらないギリギリの力を加えた。

 皮膚の下で男の温かな脈が跳ねた。



「ひっ……っ!」

「声を出したら、突き刺します」


 自分の声ではないような冷酷な声が出た。


「ひっ……だっ、だれ!」


 男が話したので釘先を、ほんのわずか押し込んだ。

 皮膚が裂ける感触が指に伝わり、ぬるりとした温度を感じ血の匂いが鼻を刺した。


「鍵を渡しなさい」


 耳元で囁く。


「お、俺は……」


 釘をさらに押しこもうと力を入れると、男の喉仏の動きが掌に伝わってくる。


「鍵を」


 観念したのか、男が腰の鍵束が震える手で外し床へと落とされた。


「あなたは、私のことを誰にも言わない。鍵をなくしたことにも気づかないふりをする。わかったわね?」


「い、言わねえ……!」

「もし言ったら」


 喉から釘を離す代わりに、自分の肩口から滲み出ていた自分の血を指先にすくい、看守の額へ塗りつけた。


 赤い線が眉間から鼻筋へと流れ、民族化粧のようになる。


「これで私はあなたをいつでも殺せます」


 そのセリフに目が見開かれ、呼吸が荒くなる。


「知らないのですか? なぜ私が屋敷から出されず、幽閉されていたのか」

「もっ、もしやお嬢……さま……地下に……閉じ込められているんじゃ」


 男が口を開いたので、釘に力を入れ首の皮膚をさらに裂き広けた。


「ぐっ……」

「私の魔法……私は自分の血に触れた相手をいつでも殺すことができます。だから屋敷から出してもらえなかった……危険な魔法を持っているからです」



 全て嘘だ……だがこの屋敷で噂されていた半分は事実でもある。



「何処にいるかという位置も把握できます。もし信じられないなら、この場で命も奪いましょうか?」



 看守は必死に首を振ろうと小刻みに動かしている。

 どこまで信じているのか分からないが、こぼれ落ちる言葉が止まらない。



「あなたは私の命令に逆らうと死にます」



 そういうと看守の膝が崩れ、涙と鼻水で顔が歪みはじめた。


「約束する……わかった誓う、誓うから命だけは」


 同じように命乞いをしたであろう、少女の死に顔が脳裏に浮かぶ。


「なら証を書きなさい」



 詰め所から小さな帳面と炭筆を持ってこさせ、震える手で私のいう通りのことを書かせた。

 文字が歪んで線が何度も引き直されるが気にしない。



 “地下2階にある辺境伯の人体実験場は変わらず。牢の少女は同僚が乱暴したことで死亡”



「血判を」



 指先を噛ませ、滲んだ血を紙に押させた。


「こっ、これで俺の命は助けて……いただけますか!」



 はっきり言って殺したい。

 あの子を殺し、お父様が何をやっているかも知っている、何より私が脱獄した姿を見られた。



 ――殺した方が安全だ。



 だけどそれじゃあ私がお父様と同じことになってしまう。

 恨む相手と手段は……間違うのはだめだ。



「私のことを言わない限り殺さないわ」



 ずり落ちてくるボロ布を腕で抑え、床に座り込んでいる看守に視線を向けた。



「……い、いま、交代前の時間だ。あと半刻で替わる……外は土砂降りだ……犬も出てねえ……」


 安心したのか、看守の口から言葉が堰を切ったように溢れはじめた。


「逃げるなら今だ……今日は北側の外壁は警備が少ねえ……だから、だから……命だけは」


 喉の傷を押さえて懇願してくる。


「何も話さず詰所へ戻り、交代を起こさず眠りなさい」


 その声に何度も頷いた。

 私は看守に背を向けると、牢の並ぶ通路へ戻った。


 ――――――――――――――――――――――


 足は震えているが……止まりそうにない。


(やっと……ここからだ)


 胸元の布がずり落ちるが綺麗に直す余裕はない。

 雑に結び直して通路の奥へ進んだ。

 細いボロボロの小さな手には、鍵束とブレスレットの重みが深く感じられた。


次話→この後すぐ投稿予定です

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