03-血と泥と涙にまみれて
部屋に近づいてきた足音が、この部屋へと入ってきた。
「しかし、昨日のは持たなかったな」
低い声がして、すぐ隣から別の声が聞こえる。
「次はあの若い女を使うらしい……やっぱ男は持たないな。あー、しっかしまた在庫を仕入れなきゃ……」
私は歯を噛みしめて気配を殺し続けた。
(動かない……バレたら汚されて殺される)
やがて足音は遠ざかると、肺が空気を求め大きく広がる。
肺が焼けるように痛むがようやく息を吸った。
(父は……何を……)
何をしていたのかわからない。わからないがそんな問いは後だ。
さっきの男たちが消えていった奥に通路があるはずだ。
私は震える足を押さえて立ち上がる。
ずぶ濡れになったままの胸と腰のボロ布を巻き直し、足音が消えた方向へ進んだ。
――――――――――――――――――――――
通路の先……そこにあったのは石の扉だった。
そっと近づいて人の気配がないかを探り、押してみるがびくともしなかった。
石扉は内側から閉じられているようだ。
(開かない……そんな)
取っ手を引く指が血と泥で上手く握れず滑る。
強く握り、押してみても引いてみても動く気配がない。
背後で……遠くで雨音と水の流れる音が響く。
時間はない。
上への通路は塞がれている。
闇の中で呼吸が荒くなっていく。
(どうすれば……)
――――――――――――――――――――――
私は通路を引き返しながら考えた。
開かない扉にいつまでも縋っている時間はなく、結局近くの部屋へ足を踏み入れ脱出のための手掛かりを探すことにした。
その部屋は同じような石の壁に囲まれており、天井は低かった。
湿った空気がまとわりつき、鼻を刺す匂いは鉄の臭いより濃く、生ぬるかった。
暗闇に目が慣れた瞬間、私にはそれが何か分かった……わかってしまった。
人だ……壁際に積まれている人の遺体。
布のように無造作に重ねられているが、形は紛れもなく人間のものだった。
腕や足が見える……半分だけの顔や、開いたまま乾いている目。
苦悶の表情のまま固まってしまった顔。
(違う……)
視線を逸らそうとしても逸らせない。
焼けた肌。
農民の腕だと貴族の娘だった記憶が勝手に判断してしまった。
喉の奥がひくりと動き、胃の中身が逆流する。
膝をつき吐いた……しかし水しか入っていない胃からは苦い液体だけが出るだけだった。
――――――――――――――――――――――
隣の部屋はさらに酷かった。
長机が並んでおり、上には布が敷かれていた。
その上に置かれているのは、もう『人』ではないモノ。
内臓……切り分けられた肉や目玉に番号のような木札。
血は乾ききらず、まだ黒く光っている部分もある。
(父が……これを?)
父の顔が浮かんだ。
私には厳しかったが、優雅に笑い、客を迎え、領地を語る男。
その背後で……こんなことを。
再び吐き気が襲ってくるが、だがもう出るものは無く、喉だけが痙攣する。
私は足を引きずるように進み、最後の部屋へと足を踏み入れた。
――――――――――――――――――――――
そこは牢だった。
鉄格子にその向こうの石床に横たわる小さな身体。
裸の女の子だった。
あちこちが泥と血で汚れていた。
肩は細く、小さな胸は肋骨が浮いていた。
(――っ!?)
もう、息はしていないようだった。
身体のあちこちに傷痕がある。
打撲。裂傷。乱暴に扱われた痕跡だった。
格子の隙間から伸ばされた細い手が床に落ちていおり、指先は石を掴もうとしているような形で固まっていた。
その手首には細いブレスレットが見え、小さな石が一粒だけ光っていた。
この年頃の娘が身につけるには少しだけ背伸びした装飾だ。
(……助けを求めたんだ)
牢、腑分けされた臓物……実験。
死体の山――。
罪悪感が胃を掴む。
自分は知らなかった……それでも辺境伯の……父の娘だ。
(ここも紛れもなく私の家だ)
格子に近づきそっと女の子へ手を伸ばした。
細い手首からブレスレットを外し、硬直した手からそっと抜き取った。
――軽い。
こんなに軽いものがこんなに重い……。
(生きて出られたら……必ず届ける)
誰に届けるのか分からない。
父が、母か、兄弟姉妹か、恋人か……。
それでも届けよう。
せめて名前を調べよう。
そうしなければこの子は何もなかったことになる。
私はそのブレスレットを自分の手首に嵌めた。
冷たい金属が傷だらけの皮膚に触れ、決意がみなぎった。
私は確固たる逃げる理由が欲しかったのかもしれない……そんなことを頭の隅で考えながらブレスレットに指先を這わせた。
(絶対に、見つけるから)
そして通路の床に目をやると、石床の一部がわずかに色が違うのに気づいた。
近づくと床に埋め込まれた排水用の鉄格子があった。
雨で水位が上がっているが黒い水が流れているのがわかった。
(行くしかない)
格子を押すと僅かに軋んだので釘でこじる。
指先の皮膚が裂けるが、ようやく格子蓋が外れた。
一瞬だけ躊躇した私は意を決して、身体を滑り込ませた。
さっきより酷く濁流に近い汚水が胸まで迫る。
息ができない強烈な臭い。
目が痛く、口を閉じ歯を食いしばった。
私は流れに逆らい、手探りで腕で前へ進む。
何度も足が滑り石に膝を打つたびに皮膚が剥け血が流れるのがわかる。
何度も汚水が顔を覆い、意識が遠のく。
(死にたくない……!)
その度に必死に腕を前へ前へと伸ばし進む。
やがて流れが分岐し、上へ続く細い傾斜に変わった。
最後の力を振り絞り、身体を押し上げ続け、ぽっかり空いた部分から石の床へ転がり出た。
激しく咳き込み、水を吐く。
全身が震える……寒い。
そして、落ち着いたところでまた顔を上げると、見覚えのある石の積み方の通路が広がっていた。
(ここは地下1階……!?)
やっと見知った区画にたどり着き、貴族用の脱出路へ続く廊下の位置を思い出した。
屋敷が襲われたときのための秘密の経路で、幼いころ一度だけ父に見せられた場所だ。
私は泥と血と汚物に塗れたまま、しっかりと立ち上がった。
脱出通路は牢区画のさらに向こうだったと記憶している。
看守の詰め所にも入り口の鍵があったはずだ。
(今、何時かしら……深夜ならきっと見回りは少ないはず)
自分の姿を見下ろし、汚水に濡れたボロ布を胸元と腰に巻いただけの姿。
流石にこれだけ汚れていると、見つかっても大丈夫じゃないかなんて気楽な考えが頭をよぎった。
次話→明日22時頃投稿予定です
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