20-偽名の身分証明書
扉の外で足音が止まり、控えめなノックが静かに響いた。
戻ってきたハルトヴィン副監督官の手には、小さな木板と封蝋の押された紙束があった。
「待たせたな」
机の上に置かれた木板には、焼き印の紋が押され、裏面には登録番号が刻まれていた。
「見習いの仮登録証だ」
私はそれを両手で受け取る。
刻まれている名は“エレン”。
その偽名がいまの私に与えられた唯一の立場だった。
ルナリアが続けて口を開く。
「あと、下に掲示されていた伯爵令嬢の捜索依頼、私たちも受ける」
突然の言葉にハルトヴィンは表情を変えない。
「あれは誰でも受けられる。受託処理は窓口で済ませろ」
その申出を止めもせず、ただ事務的に告げるだけだった。それは個人的な関与ではなく、あくまでギルドとしての手続きとして扱っているようだ。
「一応聞くが、理由は?」
「領内を調べる」
ルナリアは淡々と答え、シルヴィアが続ける。
「捜索ということならヴァルディアの……ライゼンベルグ辺境伯の領内をうろついてても兵に止められない」
副監督官は机上のオーブを一瞥した。
「……『遺物の影響』を疑っているのか?」
短い確認のような一言。
何がとも言わず、誰がとも言わないが、その一言で確信した。
この人は全部気づいている。
気づいた上で、ルナリアたちの動きに乗ってくれているのだと。
そしてルナリアが何事もなく応じる。
「まずは領内の行方不明者の数を調べる。もしそうなら周囲に危険な遺物が存在する可能性がある」
これは方便だ。
遺物を調査する過程で、行方不明になった人がいないかを調べているだけだと。
「説明はいらんだろうが、遺物はどこにでもある。灯りになるだけの便利なものも多い……が、問題は精神に作用する類だ」
ハルトヴィンもそれ以上は語らない。
「令嬢捜索の依頼は、行動の細目までは報告を求められん」
ハルトヴィンは地図を引き寄せ、辺境伯領を指でなぞった。
「だが、辺境伯側には受託の事実は伝わる」
「問題ない」
ルナリアの声に迷いはなかった。
副監督官の視線が私へ向く。
「お前は同行するのか」
胸がわずかに強張るが、ルナリアが即座に答えた。
「初期調査は私たちだけで行う」
「外堀から始める。街道と村、あとは噂とか、魔力濃度かな」
「ある程度状況が判明するまで、エレンはこの街に置いておく」
「賢明だ」
「エレンには、冒険者として別の依頼を受けてもらう」
「宿に閉じこもるのも不自然」
「教会か……?」
「いつも手伝いの募集を出してるでしょ?」
「あぁ」
副監督官は短く考え込む。
「ギルド依頼なら余計な詮索はされん。教会なら衛兵も滅多なことでは踏み込まない……だが油断するな」
「ありがとうございます」
ハルトヴィンは手にしていた書類をまとめ、扉へ向かいながら付け足した。
「受託処理は窓口で済ませろ」
それだけ言って、出ていった。
扉が閉まると部屋には3人だけが残りシルヴィアが小さく笑った。
「忙しくなるね」
「とりあえず、私たちは8日ほど調べて戻ってくるのよ」
「行こう。受託処理を済ませよう」
私は外套の内側へ身分証を差し入れた。
2人が戻るまで、私はエレンという名で教会の仕事をしながら待つ。
双子の兎人族は令嬢捜索という名目のもと、辺境伯領へと向かうことになったのだった。
次話→明日の7時頃に投稿予定です
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