17-街はどうしようもなく温かで
その夜は大きな出来事もなく明けた。
交代の番で目を覚ましたとき、森はまだ濃い藍色に覆われていたが、東の空だけがわずかに白んでいた。
姉妹が目を覚ましたので、3人で沢へ向かい顔を洗い、焚き火の跡を土で覆った。
姉妹について行くこと数時間ほどだろうか。
突如、森の向こうに石壁が見えてきた。
それは丘を取り囲むように築かれた城壁だった。
城壁の上に立っている見張りの影が、小さく動いている。
「あれがドンヴァルト」
ルナリアが顎で示した先にある城壁は思ったよりもずっと大きかった。
国境から一番近い街で、南からの侵略に備えての守りのためだろう。
塔がいくつもあり、視線の先にある門のほか左右……南北側にも門が見えた。
右向こうに見える南門の前には、すでに長い列ができているのが見える。
荷を積んだ行商人や家畜を引く農民などが多く並んでいる。
ヴァルディア共和国から続く街道だとルナリアが教えてくれた。
辺境伯領の人々も並んでいるのだろうかと、どこか他人事のように考える。
北門の方角には、幅の広い街道がまっすぐ伸びている。
石が敷き詰められている王国の内部へ続く道。
首都や大きな都市へ向かう幹線なので、大きく作られているという。
私たちはいったん正面に見える西門へ回ろうとした。
小さな街道が通っており、冒険者が魔獣狩りに出入りし、森を抜けた先にある小さな村々へ向かう者が通るという。
だが門に向かう途中で2人が同時に足を止めた。
「北門に回ろうか」
「そうね」
短い言葉だったが、その意味はすぐに理解できた。
もし私や双子を狙っている追手が動いているとすれば、南と西は警戒されやすいからだろう。
私は外套の襟を握った。
城壁が近づくにつれて胸の奥が重くなる。
「……あの、身分証もなにもないんですけど」
声が思ったよりも小さくなる。
貴族としての証は無い。
逃亡者としての私は、どこの誰でもないただの脱獄囚だ。
恐怖で指先が震える。
「大丈夫よ。私たちに任せて」
シルヴィアが軽く笑い、手を握ってくれた。
その仕草は柔らかいが、2人の目は周囲を油断なく見ており、ピンと立った耳もわずかな不審な音を逃すまいとしている。
「ここからは『エレン』って呼んでいい?」
ルナリアが低く言った。
本名はもう、この森に置いていくということだ。
「……エレン」
口の中でその名を転がすと、少しだけ現実味が薄れてくるが、生き残ることが最優先なのだ。
――――――――――――――――――――――
国内からこの町を経て、共和国に向かう人はそれほど多く無いらしいのだが、それでも北門にはそれなりの列ができていた。
商隊や旅人が順番を待ち、兵が机の前で手形や身分証の確認をしており、私たちの前に並んでいた商人が木札を差し出し、荷を改められている。
しばらく並んでいるとやっと自分たちの順番がゆっくりとやってきたのだが、心臓の鼓動がやけに大きく感じる。ルナリアとシルヴィアの耳にはもっと大きな音で聞こえているのだろうかなどと考えてしまう。
「次!」
そんなことを考えていると、兵の声が響き私たちが呼ばれた。
控えている兵の視線が一斉にこちらへ向いたところで、ルナリアが木札を差し出した。
刻印の入った板を兵が受け取ると、視線をルナリアへ、そしてシルヴィアへと向けた。
「あぁ、あんたらか! 久しぶりだな、元気してたか?」
想像していたよりカラッとした声色が響いた。
「お陰様で。今回は西の森から戻ったところ」
ルナリアが淡々と答えるとシルヴィアが横で軽く会釈した。
兵の視線が私に移る。
「この子は?」
「途中で見つけた協力者。名前はエレンだって。ギルドで身分証を作りに来たの」
シルヴィアが自然な口調で説明する。
その横で私は視線を下げすぎないように気をつける。
兵は私を上から下まで眺めた。
泥のついた靴や借り物の服に外套。
ボサボサの髪はもはや貴族の令嬢には見えないだろう。
「ふーん……あんたらが仲間を入れるなんて珍しいこともあるもんだな!」
「ギルドで手続きするなら問題ない。わかってると思うが、あんまり騒ぎは起こすなよ。気を付けてな」
木札に印が押され、連れが1人いることを書き加えられた。
「通っていいぞ」
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私はエレオノーラではなく、エレンとして町に入った。
通りは思った以上に広く、石畳がきっちりと並べられていた。
二階建てが多くあちこちの軒先には干された布が旗のようにはためいており、焼き立てのパンの匂いや、多くの人の声が溢れていた。
「まずは宿を取ろう」
ルナリアが言い、シルヴィアに手を引かれ通りを横へ逸れた。
表通りから一本入ると、人通りが少し落ち着いた。
木の看板に簡素な寝台の絵が描かれた宿屋に入る。
扉を開けると、暖かい空気と酒の匂いが混ざって流れてきた。
3人部屋を2泊分お願いし、ルナリアが支払いを済ませてくれた。
部屋に入ると粗い寝台が三つ並んでいる。
それでも森の地面よりは柔らかく、ここで眠れるなんて夢のようだった。
「よし、エレンの服を見に行こうか」
「そうだね、エレンに似合うのを見繕わないとね」
シルヴィアが私を見て言い、ルナリアが賛成する。
今のサイズの合わない格好では目立つ。
借りた服なので、出るどころが出まくっており少々刺激的な見た目になっているのである。
――――――――――――――――――――――
通り沿いにある仕立て屋は、薄暗くて布の匂いが満ちていた。
棚に積まれた麻布は記憶にあるものより粗く、色も揃っていないし、ところどころ糸の太さが違う服が並んでいた。
ルナリアが店主と短く言葉を交わし、シルヴィアが腕を組んで棚を眺めているのを横目に、私は黙って布を見つめていた。
庶民の衣服はこういうものだと、頭では知っている。
講義のように教えられたこともある。
だがそれは『見る側』の知識であって『着る側』の感覚ではなかった。
「これ、けっこう丈夫ね」
ふと、ルナリアが一枚の肌着とを広げた。
薄い麻の長衣で縫い目はやや粗いが、きちんと仕立てられているというのは分かった。
「胸元は紐で締めるだけの服だし、動きやすい」
「森歩きは締め付けないほうが楽」
2人がそう言うならと、私は肌着といくつかの服を受け取り試着のために奥へ通された。
試着室で借りていた服を脱ぎ、改めて渡された肌着を手に取ってまじまじと見てみた。
軽い……それが最初の感想だった。
貴族の衣装はやたらと布が多かったし、借りていた肌着もかなり分厚い布を胸当て代わりにしていただけだったため余計に軽く感じる。
貴族としての服というは柔らかな絹に整えるための紐、姿勢を正させる締め付け。
胸はきちんと持ち上げられ、形を作られて常に『見せるため』に整えるものだった。
日本人としての記憶では、下着というものは『支えるため』のものだった。
形を整えて固定する構造物だ。
だがこれは……いま手にしているものは、ただの布だった。
頭から被ると、すとんと落ちる。
胸は布の内側に自然に収まるだけで、持ち上げられることも、押し固められることもない。
紐を軽く結ぶと少しだけ安定するが、それでも頼りない。
(こんなに……軽い)
心許ない……という感想と同時に息がしやすいとも思う。
腰帯に下布を挟み、上衣を重ねた。
曇っている小さな鏡に映る自分は、どこにでもいる街娘に見えた。
腕を動かすと肩が自由に動くし歩いても重みを感じない。
(これが……普通の服)
庶民の服装を身に纏っている自分に違和感はある。
胸元の頼りなさ……縫い目の硬さや布のざらつき。
それでも、自分の服を買ってもらったという事実に、胸の奥が熱くなった。
思い返せば、牢から森を逃げている時、自分が身につけていた衣服代わりのものは『削れていくもの』だった。
泥にまみれ、千切れて裂け、血を吸い、乾き、また濡れる。
それは身を守るためのものではなく、まさに身の代わりに削れていく消耗品だったのだ。
「似合ってる」
「軽いでしょう?」
「……うん。ありがとうございます。お代はいつか払います」
感謝を述べると2人は顔を見合わせ、少しだけ笑った。
「普段から着る物なら、動きやすいほうがいい」
私は改めて自分の腕を曲げ、肩を回して着心地を確かめた。
次話→明日の7時頃に投稿予定です
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