12-人も吹き飛ぶ
谷底がみるみる近づき、水の轟音と風が流れる音が耳の奥を震わせ、落ちているという事実だけが、はっきりと身体に刻まれる。
だがすでに抗う術は持ち合わせていない。
息がうまく吸えなくなり、身体は下へ引っ張られているように加速していった。
「――っ!!」
その衝撃は突然……あまりにも突然だった。
痛いのは嫌だななどという思考が形を持つよりも早く、私の身体は横からの凄まじい衝撃によりくの字に折れ曲がった。
殴られるような一点への衝撃ではなく、勢いそのものが身体全体にぶつかってきた。
骨の内側まで衝撃が貫通し、肺から全ての空気が押し出され声も出なかった。
そして何かの腕が私の脇腹を掴みんで腰へと回り込み、強引に抱え込まれたとかろうじて認識できた。
腰を掴む指が深く腹に食い込み、落下していた身体の軌道が、その衝撃で無理やり横向きに変えられたのだった。
その直後、今度は崖が目前に迫っていた。
ぶつかる――と、理解する暇もなく次の衝撃が全身を襲った。
お腹に回されていた腕に力が入り、折られるのではないかと思うほどの勢いで腰が締め付けられた。
次の瞬間――身体全体が真横への起動から、今度は身体が斜め上へ押し戻され、逆向きの力が全身にかかった。
胃の奥がひっくり返り、耳鳴りが広がる。
体中の骨が悲鳴を上げ、視界が白く弾けた。
――浮遊感。
次に落ちると思った感覚は裏切られ、驚くほど緩やかな着地の衝撃が来た。
だが、助かったのか――などと考えるまもなく、次の瞬間には身体が再び跳ね上がった。
抱え込んでいる腕は緩む事が無く、信じられないほどの力が伝わってくる。
地面に吸いつくように止まり、3度、爆ぜるように跳ね返った。
そのたびに衝撃が重なり、脳が揺さぶられる。
上下の感覚が壊れてどちらが空で、どちらが地面なのかがわからなくなる。
どこまで上がったのかもわからない。
ただ迫っていた水面ははるか下へ遠のき、代わりに空が広がっていく。
最後に一番強烈な衝撃がきて、抱え込まれたまま空へ放り上げられた。
視界が反転し……急速に近づく地面。
繰り返される激しい動きで息は詰まり、界がゆっくり歪み……火花のような光が視界を埋める。
そのまま、意識は深いところへ滑り落ちた。
――――――――――――――――――――――
――暗い。
冷たくもなく……熱くもない……ただ何もない暗さ。
音も聞こえない……。
どれほど時間が過ぎたのかもわからないまま、意識は沈んでいる。
光が見えた。
夕方の、柔らかい橙色だ。
風が頬を撫でる。
コンクリートとアスファルトの匂い。
「ねえ凛! 次どこ行く?」
楽しそうな笑い声。
振り向くと、友達が手を振っていた。
鞄が軽い。
身体が軽い。
足の裏が痛くない。
「カフェ寄ってく? 課題、あとでいいじゃん」
「えー、またサボるの?」
どうでもいい会話で笑い合う。
空が高く、雲がゆっくり流れている。
何も追われていない。
誰も死なない。
処刑も、牢も、血もない。
ただ、普通の一日。
歩き出す足取りが軽い。
友達の肩に腕を回して笑う。
瞬間――風が急に冷たくなった。
足元が揺れる。
光が弾ける。
焚き火の匂いが混ざる。
笑い声が遠のく。
(……夢?)
ぱち、と薪が爆ぜる音で意識が引き戻された。
煙の匂い。
焦げた木の甘い匂い。
意識がゆっくり浮かび上がった。
でも身体が鉛のように重い。
身体が沈んでいるが背中は固くない。
何かに包まれており、暖かかった。
やっと目をうっすら開けると飛び込んできたのは、揺れる橙色の光。
それ以外は、まだぼやけていてよく見えない。
さきほどの光景が頭に残る。大学の門。友達の笑い声。
(……夢……?)
喉がひどく乾いており、息を吸うと煙との匂いが混じっていた。
遠くで水の流れる音もかすかに聞こえた気がした。
(あぁ……今はこっちなんだ)
ゆっくりと、もう一度まぶたを持ち上げる。
火の向こうに影が2つ見えた。
細身の身体……女の子?
膝を抱えて座っているらしい。
その頭の上に、何かが揺れていた。
長い――。
火の明かりを受けて、先がわずかに透けている。
――耳だ。
ぴんと立っている。
人の耳じゃない。
夢の続きじゃない。
現実の続きだ。
……崖から落ちた。
誰かに……助けられた。
その誰かが火の向こうにいる。
耳が……揺れた。
次話→このあと21時頃に投稿予定です
====
続きが気になった方はぜひブックマーク登録よろしくお願いいたします。




