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11-世界はどこまでも残酷で

 それからも結局3日ほど歩き詰めだった。

 雨に振られることがなかったのは幸いだった。


 夜は木の根元に身を寄せて眠るというより意識を失っていた。



 相変わらず腹の奥は重く即席の帯は洗っては巻き直し、乾ききらない布が肌に貼りつく感触に慣れるしかなかった。



(お腹も痛いし……足も痛い……)



 足の裏は皮がズル向けて腫れており、踏み込むたびに広がる鈍い痛みを我慢しながら一歩ずつ前へ進む。



 この状況がいつまで続くのかわからないまま足を歩み続けていると、突然森の密度がゆるくなり、湿り気を帯びた冷たい流れが頬を撫でるようになった。



 遠くで水が岩を打つ低い音が聞こえ、大きな木の幹へ身体を隠して先を伺うと突然、森が突然途切れていた。



 地面が裂け、深くえぐられた谷が口を開いていた。

 谷底は白い飛沫を立てながら川が走っているのがかろうじて見える。



「国境……」



 父の書庫で見た地図に書かれていた蛇行する線……すっかり川だと思っていたが、まさか渓谷とは思わなかった。



 あたりを見回すと、微かに対岸にむけて橋が一本かかっているのが見えた。

 石と木で組まれた堅牢な橋のようで、荷馬車も渡れそうな幅だろうか。



「多分……ライゼンベルグの街からアイゼンヴァルトへ続く街道だわ……関所かしら」



 橋のたもとには粗末な詰所が見え、煙が細く上がっていた。



 見張りがいる――。

 目を閉じ、魔力を押し出すようにして橋のほうへと向かわせると、多くの人の気配が感じ取れた。



(橋は……無理だ……渡れない)



 私は他のルートを探し、谷に沿って下流へと歩いた。

 あたりの岩肌は崩れやすく、足場は安定せず、崖の縁に近づきすぎぬようにしっかりと湿った土を踏みしめながら移動した。



「あった……」



 川音が少し遠のいたあたりで、もう一つ橋があるのを見つけた。



 橋と呼ぶには頼りない造りで、太い縄を二本対岸まで渡してその上に板を並べただけのものだ。

 板は黒ずんでおり、ところどころ欠け落ちているうえに、手すりの荒縄はかなり毛羽立っている。



 使われている気配は無いが、完全に朽ちてもいない……。

 私は、その橋が見える茂みに身を沈め、しばらく待った。



 川と風の音だけが聞こえる。



 焚火の匂いや足音、人の気配は無く、国境の橋もこの場所から見えない。

 橋は今は使われていないのか、あるいは見張りの目が届かぬことを前提に誰かが設置したのかはわからない。



 ほかに橋は見えず、谷底が遠いため渡れるような浅瀬があるように思えない。

 ここを渡るしかない。


――――――――――――――――――――――



 橋の手前に立って板を足先で押すと、ぎしりと軋んだ。

 谷底から吹き上げてくる風が橋と体を揺らす。



「こ……わい……無理……むり……だけど!」



 私は荒縄を握り、短くなった呼吸を整えて踏み出した。

 シーソーのように板が左右に揺れ、慌てて荒縄に腕を回して捕まった。


 板の隙間から白い流れが見えて目がくらむので、対岸の岩壁だけを見つめ一歩、また一歩と進んだ。

 だが、残り半分を過ぎ、渡りきれると思ったあたりで背後から裂ける音がした。



「――っ!?」



 私が振り返るより早く足元が沈み、橋全体が大きく傾いた。



「やばっ――……」



 反射的に手すりを掴むと、荒縄が手首に絡んで体が宙に放り出された。

 そして次の瞬間、私は縄にぶら下がったまま、まるでブランコのように岩壁へと叩きつけられた。



 衝撃で肺から息が抜け肋骨が軋み、背中に走った鈍い衝撃で視界が白く弾ける。



「――ぐっ……」



 片側の縄は切れて橋の半分が谷底へ落下していき、板は砕けて水に呑まれる音が下から響いた。


 そして私の身体は幸運にも岩肌に突き出た小さな突起部分に引っかかった。



 崖の中腹……遥か下は濁流で上は切り立った岩壁。

 足場は狭く岩は湿っており靴を引っ掛けて登れる気もせず、少しでも体を動かせば足場ごと崩れ落ちてしまいそうだった。



「はぁっ……はぁっ……なんでこんな……」



 耳を澄ますが、崖下から響く流れの音しか聞こえず、魔力を広く伸ばしてみても誰の気配も感じない。しかも渓谷の中腹である。



 見回りの兵が板としても見つからないが、目が届くこともない。



(…………ぐすっ)



 どうしようもない状態で、時間だけが過ぎていく。



 空が暗くなり冷たいものが頬に落ちてきた。

 よりによって雨が降り始め、岩肌を濡らして、足が滑りそうになる。



 片手で捕まえたままの荒縄が重くなり、徐々に掌から力が抜けていくのが自分でもわかった。

 



 血と雨が混じり指先の感覚が無くなっていく。

 腹の奥が重く疼き、脚が震える。




 牢を抜けて、森を抜けて、洞窟も抜けて、やっとここまで来た。

 泥をすすり、虫も喰べて、血を洗いながら歩き続けた。

 それでも谷を越えられない。ここで終わり。




(あんまりだ……)




 頬を伝うものが雨と混じり、もう視界も滲み何も見えない。

 胸の奥で……必死で繋ぎ止めていた何かが静かに折れた。



「ぐすっ……ぁぁ……こんなの……あんまりだ……」



 生きたいという意思だけで来たはずなのに、その最後の意思も雨に流された。


 身体は岩に張り付いたまま少しずつ重くなり、谷底から聞こえる音が遠のき、視界がぼやけ、全てが遠くなっていく。



 縄を握る指が開きかけ、意識がゆっくりと暗さに沈み込む。



 ここまでかと……声にならぬ思いが胸に落ちる。

 雨はやまず……川は流れ続けていた。


次話→今日の20時頃に投稿予定です

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