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09-森を抜け、北へ向かう

 3日目、空腹が収まってくると、やっと思考が正常に戻ってきた気がする。

 藁の上に座り、外套の裾を握りしめたまま、長く息を吐く。


「これからどうしよう……」


 考えをまとめようと『私』が目を覚ましてからのことを思い出す。




 地下2階の秘密を知ってしまった。

 冤罪をかけられ処刑されかけた。


 兵士の証言のメモ。

 そして小さなブレスレット。




 屋敷に残されたもの、地下で見たあの光景、あの少女の細い手首。

 自分の手首でかすかに光る細いブレスレットに視線を落とす。


 証拠を持って戻り、父を断罪すると胸の奥で小さく決心を改めた。

 そのためには……生き延びる。



「北……北のアイゼンヴァルト王国に向かおう……」



 この辺境伯領地が接しているアイゼンヴァルト王国は自然豊かな国だが、この国、ヴァルディア共和国とは敵対している。



「敵対じゃなくて、ヴァルディア共和国が攻め込んで領地を奪ったんだっけ……」



 エレオノーラの記憶からそんな歴史の知識を引っ張り出す。



「どっちにしろ、このままじゃ森を越えられないよね……流石に」



 今の格好は裸同然で、足もボロ布を巻きつけただけ。

 森を越えられないどころか、人にも会えない。



(よし、方針は決まったんだからあとは行動あるのみ!)



 自分にそう言い聞かせ、小屋の中から北へ向かい国境を越えるため、役に立つものを集めることにした。


 まずは小屋の隅に積まれた古い麻袋を見つけた。

 ところどころ穴が空いているが、繊維はまだ強く使えそうだった。


 斧の刃先で細く裂き、穴を開けて蔦を糸代わりに編みこんだ。

 指が擦り切れて血が滲むが、地下に比べればどうってことはない。


 そして胸元を覆う布と、腰を巻く布を作った。

 粗末だが肌が直接晒されることはないだけで十分だ。


 外套の下にそれを着て、鏡のない部屋で自分の姿を確かめる。



「野生からちょっとは進化したかな……」



 たったそれだけのことなのに妙にテンションが上がってきた。

 小屋の主には申し訳ないと思いつつ、役に立ちそうなものがいくつか見つけた。


 火打石と塩の入った小袋、木を掘り出したカップに木匙、少し大きい皮の手袋。厚手の靴下と穴の空いた革靴も見つけられたのは幸運だった。


 それに松脂と包帯のようなものに、数枚の銅貨を見つけた。



「……古い……けど、リルか……」



 見つけた数枚の銅貨は向かおうと考えているアイゼンヴァルト王国やこの国のものではなくプロイセニア王国のものだった。



「でも……隣国だし両替はできるでしょう」



 大きな麻袋に蔦を縫い付け背負い袋の代わりにする。



「あとはこれよね……なんだろうこれ」



 床板の隙間に、親指ほどの大きさで雑に彫られたお守りのような木片が挟まっていたのだった。



「ただの……お守りかなぁ……」



 農民が首から提げていそうな素朴な木彫りで、長い間握られていたようにすり減っていた。



 どうみてもゴミに見えるのだが、妙に気になる。

 裏側に細い割れ目があり銀灰色の石のようなものがわずかに覗いていた。

 床板の隙間に押し込まれていた理由も分からない。



(持ってても……重くはないし)



 そう自分に言い訳をして、外套の内ポケットへ滑り込ませた。



「これで全部……かなぁ」



 粗方、小屋にあるうち使えそうなものをまとめた。


 そして炉に残っていた木炭の欠片をつかって、木板の切れ端に道具をいくつか拝借した旨を書いていく。


 一瞬文字が書けるかどうか――白石凛の私が不安に思ったが、エレオノーラの私は問題ないと判断し不格好ながらも、まだ見ぬ持ち主への礼を書いた。



「……必ずお礼に戻ります……と」



 ふと気づいた。

 自分が自分で無くなるという感じと、やっと自分になったという感じが同居している。



 2人の記憶が混ざりあったような……意識するとはっきりと思い出せていた女子大生だったときの記憶が、徐々に薄れている。同様にエレオノーラとして屋敷で過ごしていた日々の記憶も薄れていることに気づいた。



「まー、ショックな出来事だったし、記憶が若干飛んでもしょうがないよね……!」



 無駄に明るく口にして、余計なことを考えないようにする。

 あとはいつ心を決めてここを出ていくか……だ。



 ――――――――――――――――――――――



 翌日の4日目の朝……罠で採れた魚を開いて干していたところで、遠くで犬の声がした。

 気の所為かもしれないが低い吠え声だった。


 身体が一瞬強張るが、震えは長く続かなかった。

 火は起こしていないし、雨で足跡も雨で消えているはずだ。


 私を探して兵士たちが広く森を探っているのか、それともただの猟犬か野犬……判断はつかないが、ただ、ここが永遠の隠れ家ではないと強く意識してしまった。




 その日、はじめて小さな火を起こした。

 煙突がついた炉は使わず、小屋の裏手風下に穴を掘って湿った土で囲った。



 煙が高く上がらないよう小屋の中に落ちている乾いた枝を選び、火打ち石で火をつけた。

 赤く灯る火がついた瞬間、胸が熱くなった。


 そして魚を串に刺し、ゆっくりと遠火で炙っていく。


「美味しそう……」


 干し肉も食べようかと思ったが、あれは持っていけるから我慢した。

 脂が落ちて火が一瞬だけ強く揺れ、匂いが立ちのぼった。


 その匂いは久しぶりに感じる……私が地下牢で目を覚ましてからは初めての食事の匂いだった。


 焼けた身を口に入れると、塩も何もないのに甘く感じる。

 思わず目を閉じると涙が零れそうになった。


 ――――――――――――――――――――――


 食事を終え動くようになった頭でゆっくり進む方向について考える。


 日の沈む向きに、屋敷から見えていた山の稜線を思い出す。

 今いる位置がその小山を越えた先だとすれば、更に奥へ進めば境があるはずだった。


 普段は壁に触れて魔力を広げ、石の向こうにある空間を撫でるように意識を伸ばしていた。


 だが今は、壁がない。



「森という壁の向こう側……って感じかな」



 小さく呟いて掌を地面に置くと、湿った土の冷たさが伝わる。

 魔力を糸のように細く引き延ばし、無理に押し広げずそっと地面を撫でるように北へ向けて這わせていった。



 暗い……。

 視覚ではく、音でもない……だが、森の起伏の輪郭がわずかに指先へ返ってきた。



「――判る」



 成功するかどうかは分からないが、成功すればラッキー程度の挑戦だったが、意外にもうまくいったことに自分でも驚いた。


 森の奥……北へどんどん魔力の糸を伸ばしていく。

 突然息苦しさを感じ、こめかみの奥がじんと痛んだ。



(これ以上は……切れるかも)



 そのとき、ごく微かに異質な温度が魔力に触れた。

 これは生き物だ……獣ではない……もっと整った揺らぎの少ない気配だ。



「……人がいる」



 はっきりとは分からないし、数も距離もかなり曖昧だ。

 ただ森の奥……かなり遠くに、点のような人の感覚があるのが分かった。


 息が抜け、魔力の糸がぷつりと切れて、膝から力が抜けた。

 額に冷たい汗が滲み、視界が少し霞む。



「っ、はぁぁ~……やっぱりあっちに国境がある……」



 国境を越えれば父の手は届きにくくなるが、それだけでは足りない。

 証拠を集めて後ろ盾を得て、父親の罪を暴いて断罪する。

 それが最大の目的なのだ。



 私は外套を締め直し、腰に斧を差すと罠を片付けた。

 そして小屋の中を最後に目に焼き付けておくことにした。


 命を救われた藁の山、薄暗い梁、火の跡。

 たった数日間だけの避難所だったが、私は確かにここで命を取り戻したのだ。



「いってきます――」



 誰もいない小屋の部屋にそう言って、沢の水で顔を洗って頬を引き締めた。

 手首のブレスレットが光を反射した。

 私はその冷たい金属に触れると静かに息を吸った。


 そのとき森の奥でまた犬が吠えた。

 今度ははっきりと聞こえた。


 怖くないと言えば嘘になるが、気持ちと足は前を向いた。

 逃げ続けるためではなく、ここに、あの場所に戻るために今は生き延びるのだ。


 そしてそのまま振り返らず、森の奥へと足を進めた。

 振り返れば、決意が揺らいでここに留まりたくなる気持ちが溢れてしまうのが解っていた。


 外套の下では鼓動が規則正しく打ってるし、お腹はまだ空いている。

 髪はボロボロで身体も傷だらけだけど動ける。


 それだけで十分だった。

 森の湿った土を踏む足の感触を確かめるように、私は北へと進んだ。


次話→明日20時頃投稿予定です

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