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ざまぁをするにも力が足りず。されど私は勝利を目指す  作者: 初音の歌


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04 王都の様子(元婚約者視点)


 エルミーヌ・エーレンファルトが北の地に追放されて三年目の春。王都の社交界で、いつの間にか『フロストマルクの雫』の噂が囁かれるようになった。


「あの僻地で、途方もない甘味が採れると聞くぞ」

「フロストマルクと言えば……北の果てではないか。本当にあのような地で造られたのか?」

「到底信じられぬが……食した者は多い。私の妻もいたく気に入っている。どうにか手に入れたいと考えているのだが……」


 貴族たちは半信半疑のまま、それでもその噂を無視はできなかった。

 新しい甘味……民草にとっては単なる菓子で終わるだろう。むしろ民からすれば、遠い話。新たな菓子より日々のパンの方が大切である。『フロストマルクの雫』の噂は、話の種で始まり種のまま終わる。その程度の存在でしかない。


 だが、貴族は別だ。

 茶会で『フロストマルクの雫』が出されたとしよう。その見た目が美しく、なおかつ美味な蜜であった場合……貴族たちはこぞって『フロストマルクの雫』を求める。

 当然だ。他の貴族が提供できた菓子を、自分たちが提供できないとなれば……それは最早、恥だ。貴族にとって、用意できませんなどという泣き言は通用しない。


 つまり――見栄である。


 民は甘さで心が蕩けるだろう。

 しかし、貴族の心を蕩けさせるのは味だけに留まらない。

 恐ろしいことに『フロストマルクの雫』の値段も、その見栄を刺激する一役を担っていた。


「……金貨十枚だと? 馬鹿な、同じ量の蜂蜜を三倍は買えるぞ!? そんな値で売られているのか!?」

「到底理解できん……理解できんが……妻も娘も随分気に入った。正直なところ俺も、蜂蜜よりも『雫』の方が好きだ。焼きたてのパンに垂らすだけでも絶品だからな」

「……おい。まさか買う気か? 似たような品に蜂蜜が既にある! わざわざ値の張る希少品を買ってなどいたら――」

「だからだ! だからこそだ! 新しい流行に乗れぬ貴族になる訳にはいかん! どうやら少量しか出回っていないようだからな……ここはむしろ大金を積んででも確保する必要が――」


 ……メープルシロップの作成に使えるカエデの樹液は、僅かな期間しか採取できない。冬の終わりから春の初めの……一ヶ月にも満たない僅かな期間だけ。

 要するに、造れる上限が決まっている。年中鍋に火をかけて、大量生産できる代物ではないのだ。絶対数に限りがあるからこそ……『雫』の希少性は跳ね上がっていく。


 これこそがエルミーヌが「品質」に拘った理由である。

 外観の段階で美しくなければ、貴族たちの目を惹かない。宝石の如き琥珀色、その優美さこそ「貴族に相応しい」と勝手に認識してくれる要因になった。

 黒や茶色ではこうはならない。見栄を気にする貴族ゆえ……琥珀の蜜に手を伸ばす。

 無論、中には自領で『蜜』を造ろうとする貴族もいたが――。


「……くそっ! また駄目だ! 一体どうなっている!? カエデの樹液を煮詰めれば完成するのではなかったのか!?」

「……商人伝手の話ではその筈です。しかし、そもそもの樹液が採れません。僅かな量しか出て来ませんし……どれだけ煮立てても黒ずむばかりで」

「……どんな魔法を使ったのだ。北方のカエデも、我が領のカエデも同じカエデであろう? どうして北方では琥珀が生まれ、我が家では黒泥が生まれるのだ……?」


 カエデにも種類がある。『フロストマルクの雫』になる樹液を出すのは、エルミーヌの前世でサトウカエデと呼ばれた品種。傍目には同じカエデの樹であっても、樹液の成分が異なる。

 そして、僅かな期間しか『蜜』に適した樹液が出ないなんて、他領の者は知らない。

 冬場になるとフロストマルクの民が森に入り、大規模な「作業」に取り掛かる……解っているのはその程度。

 正しくは気温の変化による増減。春先の昼夜の寒暖差によって、樹液の流出量は増える。寒い北方の春にこそ、上質な樹液が流れ出るのだ。この理屈を知っている者は、現在この世界ではエルミーヌただ一人。いずれ学者が辿り着く地点であるかもしれないが……はたしてそれは、何年先のことになるのか。

 そして、理屈が解らぬのならフロストマルクのカエデから、樹液だけ盗めばいい――そう考える者もいたが。


「――何だこれは!? 何だこの泥は!? フロストマルクの樹液を使えば琥珀の蜜になるのではなかったのか!?」

「ほ、報告では確かにそのようになっておりましたが……」

「ふざけるな! これのどこが琥珀色だ! どれもこれも黒い泥! いや、そもそも我が家に運び込まれた時点で異臭を放っていたのだぞ!? アレが蜜の素である筈がない! 貴様、俺をたばかったのではないだろうなっ!?」

「そ、そんな!? わたくしどもは貴方様の指示に従って――」

「では、何故こうなる!? こんなもの犬も食わぬわ――!!」


 ……採取したばかりの樹液は、水分を多く含んでいる。要するに腐りやすい状態。そんな状態の樹液を、寒い北方から離れた温暖な南に運べば……品質が保つ筈がない。

 しかもうまく盗み出せたとしても、樹液の入った容器を割らぬように持ち運ぶには慎重な運搬が必要になる。馬車を急がせれば済むような話ではない。一週間をゆうに超える長い道のりで運んだとなれば……樹液は濁り、酸味を帯びて、元の品質ではなくなる。そんなものを煮詰めたところで、完成するのは……黒いだけの泥だ。

 メープルシロップは、採ったそばから鍋に入れねば完成しない。樹液を盗み出し持ち運んでも『雫』の形にはならないのだ。


 ……そして、真似をされ盗まれ失敗が続けば……その積み重ねが『フロストマルクの雫』の値打ちを上げる。再現できない琥珀に、貴族たちはさらに金を積み上げる。

 フロストマルクの名が広まる。琥珀の蜜に手が伸びる。

 王都で話題に上がれば上がるほど……ヴァルフルク・グラウベルクの名は落ちていった。





 ◇◇◇





 我がグラウベルク侯爵家の昼食の卓に、その琥珀色は置かれていた。

 硝子瓶の中を満たしているのは、澄んだ宝石のような色合い。一目見た時点で、貴族が食すに相応しい品なのが理解できる。

 しばしその色艶に見惚れていると、初老の家令が静かに言葉を紡ぎ始めた。


「北方の甘味に御座います。ようやく手に入れた品でして……金貨が十枚飛びました」

「……凄まじいな。本当にそれほどの価値があるというのか」


 この美しさが、貴族が食べるに値する物なのは分かる。だが、そこまで金貨を積むに値するのか否かは判断がつかない。

 噂は聞いている。王都の茶会で出されたところ、食した者ほぼ全員が絶賛した味わいであったとか。既存品の蜂蜜に見た目は似ているものの、甘さの質が違うらしく……中には蜂蜜よりも好みと断言した者まで。

 要するに、今王国で一番話題になっているのが、この「琥珀」なのだ。

 実物を見てなお、俄かに信じがたいが……とりあえず。


「食べてみれば、分かるか」


 私は匙を取り、瓶の中の蜜を掬い、食卓に置かれた焼きたてのパンにたっぷりと垂らす。

 そして零さぬよう、そっと口に運び……蕩けた。

 香りが違う。涼やかな木立の隣で、甘い蜜が空気に溶けたような……深い旨味。砂糖菓子のような舌に刺さる甘さではなく、丸く滑らかで長い余韻が蕩けていく。

 はっきり言おう。今まで何度か菓子を食べてきたが、そのどれよりも美味い。

 甘味など付き合いでしか口に運ばなかったのに、この蜜は二口目に手が伸びるのを止められない。


「……これが、北方の蜜。貴族の茶会で誰しもが求める琥珀色……」


 驚愕と困惑が同時に来る。

 信じられない。とても信じられない。

 この蜜の味の深さ――では、なく。

 この蜜の「出所」が信じられないのだ。


「……本当に、間違いではないのだな? この蜜を産出しているのは……この蜜を開発したのは――」

「はい。エルミーヌ・エーレンファルト様にございます」


 ……家令の言葉を、しかと受け止める。

 そう。聞いていた。その名を、その出所を聞いていたから『フロストマルクの雫』を取り寄せた。

 そしてこの眼で見て、この舌で味わって確信する。


 ――莫大な利益を生む機会を、自ら手放した事実に。




 その夜――夕食の席で『フロストマルクの雫』の蓋を開けた。

 昼間は出掛けていた妻に……リザミーレ・グラウベルクに、この蜜を味わせる。

 妻は目尻を下げて、心底感嘆した様子で、蕩けるような甘味を舌で楽しんでいた。


「あら? 美味しいですわねこの蜜は。どこの領地が作った一品なのかしら」

「北方フロストマルクだ」

「――――え?」


 歳を重ねてより可憐になった妻の顔が、彫像のように固まる。

 蜜を掬った匙を卓上に落として、完璧に近しかった笑みに歪みが生じている。震える手と唇は、今までの夫婦生活で一度も目にしなかった狼狽の色だ。


「フロスト、マルク……それは、その名は……」

「そうだ。君の姉、エルミーヌ・エーレンファルトが追放された地だ」


 揺らぐ妻の声に被せて、ただ事実だけを置く。

 琥珀の蜜の産出地は北方フロストマルク。左遷地と揶揄されていた北の僻地。

 そして――。


「そして、エルミーヌ・エーレンファルトがこの蜜の開発者だと言われている」

「――――」


 そこで完全に、妻の顔から色が消え去った。

 信じられないのではなく……信じたくないモノを目にした人の顔。


「……ありえませんわ。そんな……そんな馬鹿な話……」


 ……妻の言葉は、私自身抱いた思いでもある。あんな辺境で、このような絶品が誕生するだなんて思いもよらなかった。最初は、何かの間違いではないかと耳を疑ったほど。

 けれど……現実は確かで、否定しようのない物証が目の前にある。

 話は届いているのだ。南の子爵領が模倣を試み、黒い泥を作って笑い者になったこと。複数の商隊が瓶を求めて、護衛を数十人雇って辺境を目指していること。そして蜜で得た利益を使い、北方の開拓が進みつつあること。


 成長しているのだ。何もなかった筈の地が、エルミーヌの手腕によって成長を遂げている。

 それだけはもう間違いようのない事実……だからこそ逆に、近場の「膿」が私の目につく。


「なあリザミーレ。君は私に嫁いでから、一体何を身につけた?」


 固まり続ける妻に、私は自然と問うてしまっていた。

 リザミーレとの結婚生活は悪いものではなかった――最初の内は。

 可憐な容姿。装いには隙が無く、社交界での立ち振る舞いは年齢に不相応なほど巧みで、誰に対してどう振る舞えばいいのか本能的に解っているような才気が見えた。

 冷酷なまでに目を光らせて、他家の令嬢の醜聞を突く……そんな容赦の無さまで備えて。


 ――ああ、そうだ。エルミーヌが冤罪である事など、私は最初から知っていた。


 孤児院の支援金を着服するようなこと、エルミーヌは決して行わない。彼女は良くも悪くも清廉で正しい人間だったから……彼女が貶められたことなんて、とっくに見抜いていた。

 だが、それでリザミーレを咎めるつもりはない。敵を策略に陥れて勝利する……それは貴族にとって必要な技術。領民を守るためならば、そうした手段も必要。むしろ妹の策略にされるがままであったエルミーヌに失望したくらいだ。


 だから……問題はそこではない。

 問題は妻に……リザミーレに、成長する兆しが無い点にある。


 妻は新しいドレスを誂(あつら)え、宝石を並べ、他者の悪評を撒き、失墜する様を見て嗤っていた――周囲を貶めて、相対的に自らを高い位置に置く、そんな手管だけを磨いていた。

 自分を磨くのではなく、他者の品格を穢して、結果的に美しく見せる。

 そんな――毒花のような美。


 だから問うてしまっていた。

 君はこの数年、自分自身を成長させようとしたことはあったのかと。

 貴族としての務めを果たしたことはあったのかと。


「……何を仰るのですあなた? わたくしは侯爵夫人ですのよ?」


 けれど、妻は心底不思議そうな顔で首を傾げるばかり。


「次の茶会でも、ちゃんと夫人としての役目を果たしますわ。あなたの評判も上げますし、出世の有利になるよう色々と根回ししておきますので」


 ……確かにそれは妻の役目であろう。貴族夫人のするべき仕事のひとつだろう。

 だけど君は、誇りは持っていないのか? 姉のように己を磨く努力をしないのか? 貴族が貴族たり得る矜持は、君の中には存在しないのか?


 ……一瞬、離縁の単語が脳裏に浮かぶ。

 だがその選択は取れない。私は、エルミーヌと破局になった身。次はその妹とも別れるようなことになれば、ヴァルフルク・グラウベルクの評判は地に落ちる。

 ……いや、既に徐々にだが落ちている。エルミーヌの功績が上がれば、彼女を手放した私の評判は自然と低下する。最近、社交界で私を見る目に冷たいものが混じっている。

 これ以上、評判を落とす訳にはいかない……妻がたとえ毒花だったとしても、その手管を信じる以外の道は進めそうになかった。




 ……私のこの判断が、間違っていたとは思わない。

 ただ結果として……最悪の選択だったことが、後日明らかになる。




 結論から言えば、私は王城に呼び出されることとなる。

 茶会で発したリザミーレの言葉が原因で。妻が得意とする「他者を貶める」手法が理由で。



 ――このような蜜を讃えてはいけませんわ。この蜜を開発したのは、わたくしの不肖の姉です。身内の恥を晒すようで心苦しいですが、罪人が造ったものを好んでは――。



 ……リザミーレのよく使う手だ。だがこの時ばかりは悪手が過ぎた。

 おそらくエルミーヌの評判を落とすことを優先し過ぎて、この言葉が何処まで波及するのか計算できていなかった。情報を全て入手する前に、勇み足で踏み込んでしまった。

 フロストマルクで『雫』が売り出される前であったのなら……あるいは、売り出されてから評判になる以前であったのなら……リザミーレは姉の醜聞を王都にばら撒けたであろう。

 しかし遅かった。遅すぎた。あまりに致命的すぎた――身も凍る程の失言。


 後で知った事だが、かの『フロストマルクの雫』には四つの等級がある。

 民に安値で売られる「黒」。商人が取り扱う「茶」。我ら貴族の口に運ばれる「琥珀」。

 そして――王族に献上される「黄金」。


 リザミーレが動き出す前に、エルミーヌの「心付け」は贈られていたのだ。『雫』の中で最も透き通った、上品な甘さを携えた黄金の蜜を。

 王家に対して、国で最も尊き王族に対して、最高の輝きを渡していた。

 そして『雫』が献上品として認められたという事実は、裏を返せば王家が望んだという意味合いでもある。つまり……最高の栄誉。

 王家の食卓に上がる意味は軽くない。これは至上のものであると認めない限り、王家御用達の品になることはあり得ない。


 国の頂点が『フロストマルクの雫』の価値を認めた。

 そしてリザミーレがその価値を穢したのだ。

 茶会の席で。多くの貴婦人が集うその場で。

 ――た(・)か(・)が(・)夫(・)人(・)如(・)き(・)が(・)、王家の判断を否定した。




 ……結論を言えば、私はリザミーレと離縁することになった。それ以外の道はない。王家の不興を買った女をいつまでも伴侶にしていては、グラウベルク家そのものが失墜する。

 ……たとえそれが、焼け石に水を被せるだけの選択にすぎなくても。我が侯爵家を存続させるために、不要な膿は切り落とす――かつてエルミーヌにそうしたように。





 ◇◇◇





 ――そして、独り身となった私は、王都の屋敷で静かに書類を読んでいた。

 フロストマルク辺境伯を継ぐことになったエルミーヌ・エーレンファルト・フロストマルクの名と、彼女の婚姻の知らせ。王家がかの『雫』の価値を認め、今後の発展を期待し、エルミーヌの婚姻を祝福した旨も……書類には正確に記されている。


「……そうか」


 胸にストンと落ちるような納得があった。

 エルミーヌは間違いなく貴族としては愚かだっただろう。民の顔色を窺い、彼らの心情を考慮し続けた。それは善人ではあるかもしれないが、王都で侯爵夫人として立つ者の在り方ではない。我が家に嫁げば、高確率でいらぬ摩擦と弊害が発生していた……だからこそ、リザミーレの策略も見て見ぬふりをした。

 しかし……彼女を無能だと思ったことは一度もない。勉学も、礼儀作法も人並み以上――いや、能力という一点で言えば間違いなく上澄みの部類。ゆえに一度は私の婚約者に据えられたのだ。


 ただ、そう――彼女の置き場所が違ったのだ。


 王都ではない別の地で。民との距離が近いことが美徳となり、平民の信頼を集めることが資産となるような、そんな地で。かつての護将が治める北の地で……エルミーヌは本領を発揮した。


「そうだな。君の向上心は素晴らしいものだった。あの北の僻地でも、何かを成し遂げられるだけの才覚は持ち合わせていた……それだけの話だろう」


 エルミーヌを切り捨てたことを後悔はしていない。彼女が頭角を現したとはいえ、当時の判断は正しかった……当時の自分の目は間違っていなかったと、今でもそう思っている。

 ただ。


「……彼女の妹が、まさか他者を貶める事『しか』できない愚物だとは……見通せなかった自分が愚かしい」


 王族の名を穢す以前に……結婚生活の中で、その片鱗は見えていたのだ。

 リザミーレは、あまりに他者を排斥しすぎた。使用人たちの中での評判も、あまり芳しいものではなかったのだ。謀略ばかりが上手くなり、当主の妻に必要な「家中を纏める力」が欠如していた。

 思えばあの姉妹は、どちらも偏っていた。姉は向上心があれど他者に甘すぎて、妹は他者を蹴落とす冷酷さはあれど、向上心など欠片も無い。

 それでもどちらが貴族失格なのかは……火を見るより明らかだ。

 妹は愚か者ですらない。地金の無い貴族は、単なる汚泥。

 私は、そんなことすら気付かずに……汚泥と婚姻を結んだ。


「……見る目の無い貴族は敬遠される……ふっ、まさか自ら証明することになるとはな」


 そして同じ家の姉妹と、破局を続けて迎えれば――当然、評判は地に落ちる。

 貴族社会において、これほど致命的なものはない。侯爵家当主として、剣を振るえない以上に……重い欠陥。

 こうなれば、家格に釣りあう縁談など片端から流れていく。新たな妻を迎えるべく手は尽くしているが、どこかで妥協する必要があるだろう。最近は、溜息を吐く機会が増えた。


「……」


 視線を再度書類に落とす。集められた情報が紙の束に、所狭しと記載されている。

 その中には、離縁した妻の情報も記されていた。


「……ああ、そういえば遠方の子爵の後妻になったのだったか」


 好色の噂が絶えない貴族の後妻――それがリザミーレの行く末。

 実家である伯爵家に戻った後、リザミーレを待っていたのは冷ややかな侮蔑の目だけだったと聞く。……それはそうだろう。かつての姉は、王家にも認められる功績を上げて、かたや妹は王家の名を穢した不届き者。正直、孤児院の支援金を着服したのとは訳が違うのだ。

 むしろ、嫁ぎ先があっただけでも幸運と思わなければならない。

 ……ただ、私の中に少し疑問がある。


「……姉を追放した後、情報を一切集めていなかったのは君らしくもない。そこだけは違和感を覚えたが……」


 かつてのリザミーレは執拗だった。あらゆる手を使い、エルミーヌを貶めた腕前の持ち主。それが何故、エルミーヌの情報を一切集めずに堕落した生活を送っていたのか。

 ……少しずつ思い出す。思えばリザミーレは、北方の情報をまるで集めようとしなかった。多少届いても、耳を閉じて目を逸らし、自ら遠ざかっていたようにも感じる。

 まるで、何かを怖がる子供のように。


「……知らなかったのではなく、知りたくなかったのか」


 もしかすると、一番エルミーヌの力を知っていたのはリザミーレだったのかもしれない。

 才気溢れる姉を、一番身近で見てきたから――遠ざけるために貶めた。

 ……今となっては、真実は分からない。今の自分では、あの姉妹に近づく建前さえ用意できないのだから。


 この屋敷にも、琥珀色の蜜はある。

 丁寧に棚に仕舞われた硝子瓶は、今も輝きを放っている。

 その琥珀色を見るたび、こう思ってしまうのだ。


 ――エルミーヌは今、幸せだろうか、と。


 ……思う資格すらない。問う権利はもっとない。

 婚姻を結ぶ彼女に、祝辞を贈る資格もない。かつて愚かだと断じ、この王都から追放した元婚約者が、今更何を言えるというのか。

 ただそれでも……思い、祈ってしまう。


 ――北の地に在る、かつての婚約者の幸福と、今後の栄華を。

 

 言葉にはしない。文書にもしない。誰にも告げられず、誰にも悟られる訳にはいかない。

 それでも願ってしまった。ただ一人の貴族として、あの清廉だった……清廉過ぎたエルミーヌの幸せを。





 ◇◇◇





 その後、エルミーヌは新進気鋭の女領主として、数多の名声を得た。

 その一方で、リザミーレの話は、噂としてあがることすらなかった。


 北方フロストマルクも、遠方の子爵家も、距離で言うのならどちらも王都から離れている。

 それなのに姉の噂ばかりが王都で広がり、妹の話が皆無だったのは……単純な理由。



 ――つまり、妹には語るほどの価値が無かった。

 ――ただ、それだけの話である。




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― 新着の感想 ―
この貴族…キモいな
子爵がやべー人間で監禁Endの可能性も、、、、、。
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