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ざまぁをするにも力が足りず。されど私は勝利を目指す  作者: 初音の歌


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03 フロストマルクの雫


 雪解けの後には春が来る。

 微かな残雪を踏みしめながら森に入り、私はロランドや村民と共に樹液の採取に向かった。

 冬の間、ただ待っていた訳ではない。村の鍛冶屋に頼んで、金属の管や木桶を作ってもらっている。カエデの樹の幹に穴を開け、そこから樹液を貯める仕組み。


 ……知識は私の頭の中のみ。予め羊皮紙に抽出方法を書き記しておいたが、はたしてどれだけ正確なのか分からない。なにしろ前世のことなのだ。細部に間違いだってあるだろう。

 ただ確かなのは――カエデの樹液を煮詰めれば、蜂蜜にも負けない甘味になるという事実。


 村の木こりとも協力して、樹を痛めすぎない深さを見極めながら慎重に穴を穿つ。

 このカエデの樹一本一本が大切な資源なのだ。必要以上に穴を開ける訳にはいかない。


「これは……木こりの目と感覚がなければ成立しない仕事ですね」


 木こりの男の、繊細な手つきを見て私は瞬時に悟った。

 これは、知識だけでは成し得ない妙技。素人ではカエデの樹に不要な傷を負わせてしまう。深く深く穴を開けてしまい……ともすれば樹を殺しかねない。適切な穴を開けることが出来ずに、樹に致命傷を刻んでしまうだろう。


「樹は……繊細なもんですお嬢さん。ただ漠然と切るだけじゃ駄目なんですわ。どれだけ切るか、どのように切るか、考えねぇと森は直ぐに禿げちまう」

「ええ。知識だけは知っています。樹々が密集しないように適切に伐採しないと……人の手が入った森は、樹の成長を阻めてしまう」

「……知ってるんですな、お嬢さん。はい。その通りです。人が手を付けた森は、人が適度に管理してやらねぇと……育つのをやめちまう」


 間伐――木こりの男が語る理は、森の密度を調整する前世では当たり前となった手法だ。

 この異世界では、間伐という単語自体が無い。どうすれば育ち、どうすれば禿げるのか、その知識が曖昧だ。少なくとも、王都の図書館では「森の恵み」で一纏めにされている……精霊や神々の仕業と称されている本もある。

 だが木こりは、骨身で知っていた。おそらくは代々の口伝で、過去の経験と感覚で、どうすれば樹木が健全に育つのかを掴んでいる。

 値千金――彼ら木こりを無下にするわけにはいかない。


「今後も、協力を願います。貴方たち木こりが協力してくれなければ、この事業は成り立たないので」

「……へぇ。俺たちにはよく解りませんが……領主様のお孫さんの頼みは断れませんぜ」


 ……彼の笑顔は、私への信頼ではない。長年この地を守ってきた祖父への信頼だ。

 勘違いしてはならない。己惚れてはならない。私は単なる小娘だから――この機会で結果を出さなければならない。

 前世のような大量生産を、初年度からやれるとは思わないけれど。

 最低でも、甘味が生まれるという事実だけは広めなければならない。


 武骨な木こりの手による繊細な作業の下、カエデの樹に穴が穿たれて管が差し込まれる。その管の下に桶を用意して、まずは一晩待つ。

 ……この一晩は、私がこの世界に転生してから一番長い夜だった。

 朝が来るのが待ち遠しくて……それ以上に怖くて。

 朝日が昇り、恐怖と期待の狭間で様子を見に行けば――。


 ――透明な液体が、ぽつり、ぽつりと桶に滴っていた。





 ◇◇◇





 それからの作業は混迷を極めた。

 理屈そのものは簡単。大鍋に採取した樹液を張り、薪をくべて煮立たせる――水分を飛ばして、糖分だけを濃縮させる工程。子供でも分かるような単純明快な作業。


 ただ――どれだけ煮詰めればいいのか、その塩梅が不明。


 私の記憶にあるのは大まかな作り方のみ。

 煮詰めるにしてもその時間は? 一度も漉す必要はないのか? 何回かに分けるべきなのか? 火力はどれくらいだ? 一気に煮詰めるのか? 弱火で時間をかけた方がいいのか?


 試した。何度も何度も試した。

 最初は大鍋で煮て、量が減ったら小鍋に移す。そして各小鍋ごとに、火力や時間を調整して何回も試行錯誤を繰り返す。

 そうやって何度も試していれば……当然、甘い匂いが漂ってくる。今まで北方で嗅いだことのない香りが生まれれば、村の民も近づいてくる。

 森の傍に建てた作業小屋に、いつしか人が集まり始めた。


「エルミーヌ様! この鍋は順調に水が抜けてきています! 粘りが少しずつ――」

「慎重にそのまま煮詰めて下さい! まだ水分が多い! 焦らず丁寧に火を――」

「すまねぇお嬢さん! こっちの鍋は駄目だ、火が強すぎた! 焦げ付いて――!」


 喧々囂々。

 もはや身分差など関係なく、私もロランドも民も護衛兵も、湯気と甘さと熱気で目が回りそう。冬が明けたばかりで気温は低い筈なのに、この作業小屋の周囲は真夏のように暑い。全員汗だくで鍋を混ぜている。

 黒く焦げたものがある。苦味が強いものもある。冷ましすぎた所為か、硬い飴になってしまったものまで。


 だがそれでも、少しずつ形にはなり……カエデの樹液が変色し、小虫が混ざり始めた頃、採取を終了した。

 覚えている前世の記憶に、採取期間のことは残っていた。メープルシロップの作成に適したカエデの樹液は、一年の内で一ヶ月にも満たないことを。

 同時にそれは、シロップ作りそのものの終了を意味しており……結果を確認するべく、フロストマルクの領主である祖父が検分することになった。

 領主館にて、祖父が匙を一掬い――口内で味わう。


「ほう。これは苦みの中に香ばしさもあって、中々癖になる味わいだな」

「お爺様。それは失敗作です。カラメルソースもどきと言いますか」

「からめる?」

「……なんでもありません。兎も角――その黒っぽいのは私が目指したものではないので、それで満足しないようにお願いします」


 瓶に入れられた幾つものシロップたち。

 祖父が食べたものはその中でも等級が一番低い、黒っぽいシロップ。強いコクがあって、これはこれで使い道がありそうだけれど……残念ながら成功とは呼べない出来。

 勝利を目指すのならば、せめて――。


「満足していいのは最低でもこの辺りからです……少し色艶は悪いですが、十分な甘みがあります。いずれ廉価版として売り出せるようになるでしょう」


 手にした瓶の中には、濃い茶色のシロップが満たされている。

 これも十分美味しい。てり焼き料理などにも使えるかもしれないし、売り物にもなるだろう。だけど、この色艶を最初に出しても……現状で既に流通している「蜂蜜」には勝てない。新製品はインパクトが大事だ。「美しく」なければ……私の想定している「売り」には出せない。

 ただ、そんな私の考えを知らぬロランドは、驚きで眼を丸くするばかり。


「これが……廉価版? 冗談でしょう?」

「冗談ではありませんよ? 私が求める品質は――この領域です」


 最後に指した瓶。

 その中には――見事な琥珀色の液体が満たされている。

 香りも甘味も風味もバランスが良い……売り物になるメープルシロップ。


「残念ながら一年目は一瓶分しか完成しませんでした。私はまだまだ未熟ですね」


 七割が失敗し、焦げて苦くなった。黒くて固いだけの飴か、苦みだけの液体。

 二割がカラメルもどき。濃い褐色のシロップ……癖のある味わい。

 一割が色艶の悪い、茶色のシロップ。見た目は悪いが、食用にも売り物にもなる代物。

 ……私が目指した基準に届いたのは、たったの一瓶だけ。これだけでは商いには出来ないし、カラメルもどきと茶色のシロップだけでは、蜂蜜の対抗馬にもなれない。

 本当に、私の記憶がもっと鮮明だったのならばと……忸怩たる思いを抱いてしまう。

 そんな不甲斐ない、自分自身の掌を見つめて――不意に、掴まれた。


「何を仰いますエルミーヌ様。貴女は、この北の大地で新たな甘味を創り出したのですよ? この一瓶は、間違いなく重要な一歩です」


 ロランドが、熱の入った視線で私を見下ろしている。

 修練の果てで生まれた手なのだろう。女の私とは違い、硬く厚い掌。

 それなのに、包み込むように温かくて――急に、胸の奥が跳ねた。


「あ、あのロランド……その、手を……」

「……申し訳ありません。勢い余ってつい」

「いえ……別に、嫌という訳では……」


 パッ、と手を離すロランド。

 ……名目上は護衛騎士である彼が、領主の孫娘の手を握るのは確かに、その、あまり褒められた行為ではないけれど。

 でも、何と言うか……手を離された時、残念な気持ちになった。

 ……この気持ちが何なのか、私にはよく解らない。

 でも、人生経験豊富な祖父は何か思い当たるものがあるようで……にやにや笑っている。


「……何ですかお爺様。何か言いたげな、その目は何なのですか?」

「いやぁ? 別に何もないぞ? ただ……雪解けの後は、春になるのだなぁと思っただけだ」


 至極当たり前のことを金言のように語る祖父。歴戦の将たる祖父の言葉は、私には全く分からない。いつもは城壁か山脈みたいに圧力のある顔なのに、今の祖父は穏やかな糸目で……むぅ。本気で、何が何やらだ。

 ロランドの方に視線を移せば、彼は何故だか顔を背けてこちらを見ていないし。

 意味不明な男二人に首を傾げていると――祖父が咳払いを一つ。


「時にエルミーヌ。その『蜜』の名は何とする?」

「……気が早すぎますよお爺様。商品として売り出せる物は、たった一瓶しか完成しなかったというのに」


 せっかちな祖父に注意する――のだが、祖父の笑みは消えず。

 むしろ、より深い笑みを携えて、私を見据えてくる。


「成功も失敗も、全て記載しておるのだろう? 樹液を採取してからの日にちも、どれだけ煮詰めたのかも、どれだけ濾して不純物を取り除いたのかも」

「それはまあ……来年のために、きちんと文書で記載しておりますが」

「ならば良し。手法が解れば、来年の収穫は今年の何十倍にもなろう……まったく、かつての神童は相も変わらずか」


 くつくつと、楽しげに祖父は笑った。

 全く。本当に何が楽しいのやら。

 おかしな祖父の様子とは裏腹に、ロランドは真剣な眼差しで琥珀色の蜜を見ている。

 精悍な顔が、静かに見定めるように――。


「エルミーヌ様。今年の失敗と成功を基に挑めば、来年以降は商品化も目指せる見込みがあります。その時に名がなくては始まりませんよ?」


 ……急に視線を向けないで欲しい。

 何故だか分からないけれど、その真っ直ぐな黒瞳で見つめられると落ち着かないのだから。

 一度、深呼吸。正しく息を、吸って吐いて、胸の高鳴りを静める。

 ……まあ確かに、祖父やロランドの言うように名ぐらいは決めておこう。

 北方産と響きだけで分かるような名を。


「そうですね……それでは――」





 ◇◇◇





 そして北の大地に『フロストマルクの雫』なる甘味が誕生した。

 僻地と言われ、左遷場所と揶揄され、寂れた辺境という認識であったフロストマルクに……歴史に名を刻む甘味が産声を上げる。

 蜂蜜に似た……けれども蜂蜜とは、味わいの異なる新しい蜜。

 琥珀色のそれは、年を追うごとに少しずつ、しかし確実に南へと流れていく。

 商人の手に渡り、王都の貴族の茶会に流れ、求める者が少しずつ増えて。

 いつしかフロストマルクの名そのものが、王都で広がり始めた頃。


 ――侯爵家当主ヴァルフルク・グラウベルクの名が落ちる事件が発生した。



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