↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
平穏を望む宮廷魔導師は、自由気ままに暮らしたい  作者: nene
第3章 湖の街と、初めての旅

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
73/79

第73話 旅立つ前の食卓


 鈴蘭亭の食堂には、夕方からいつもより多くの料理が並んでいた。


 焼きたてのパンに、香草を使った鶏肉のロースト。春野菜の煮込みや、薄く切った燻製肉。窓際の小さなテーブルには、林檎の蜜煮を包んだ焼き菓子も用意されている。


「これ、全部食べきれるのか?」


 カイルが大皿を見て声を上げた。


 厨房から顔を出したミラが、笑いながら答える。


「あなたがいるんだから、足りないくらいかもしれないわね」


「俺、そんなに食べると思われてる?」


「違うの?」


「……否定はしないけどさ」


 ノアが吹き出した。


 その隣で、エリアスは料理を運ぶのを手伝っていた。


「ミラさん、このお皿はどちらへ?」


「そちらの大きなテーブルにお願い」


「はい」


 食堂の一角には、今夜のために二つのテーブルをつなげた席が用意されている。


 カイルが声をかけてくれた、旅立ち前の食事会だった。


 エリアスは最初、いつものように数人で食事をする程度だと思っていた。


 ところが、話を聞いたミラが張り切って料理を作り始め、ノアまで新しい焼き菓子を用意すると言い出したため、思いがけず賑やかな集まりになっていた。


「エリアスさん、座っててくださいよ」


 ノアが皿を受け取りながら言った。


「今日はお客さんなんですから」


「でも、まだ準備が終わっていませんよね」


「それは僕たちの仕事です」


 ノアは胸を張った。


「たまには、全部任せてください」


 エリアスは少し迷った末に頷いた。


「では、お言葉に甘えます」


「はい!」


 ノアは満足そうに笑い、厨房へ戻っていった。


 その様子を見ていたカイルが、エリアスの肩を軽く叩く。


「いいから座ってろって。今日はお前のために集まるんだから」


「……ありがとうございます」


「まだ礼を言うには早いぞ。全員揃ってないからな」


     ◇


 最初に到着したのは、レオンハルトだった。


 普段の仕事着とは少し違う、濃い灰色の上着を着ている。


「こんばんは。遅くなってしまったかな」


「いえ、ちょうどいいところです」


 エリアスが立ち上がると、レオンハルトは小さな包みを差し出した。


「出発前に渡しておこうと思って」


「何でしょう?」


「開けてみて」


 包みの中には、薄い革表紙の手帳が入っていた。


 表紙には飾り気のない模様が刻まれ、紙は少し厚手で、丈夫そうな作りだった。


「旅先で使えるものがいいと思ってね」


 レオンハルトは言った。


「魔法のことでも、景色のことでも、何でも書き留められるだろう?」


 エリアスは手帳を開いた。


 滑らかな紙が、指先に心地よい。


「……ありがとうございます。大切に使います」


「気に入ってもらえたならよかった」


 レオンハルトは穏やかに微笑んだ。


 その後ろから、セドリックが現れた。


「遅くなりました」


「お疲れさまです」


「今日は早めに仕事を切り上げるつもりだったのですが、急ぎの書類が入りまして」


 セドリックは肩をすくめた。


 カイルが笑う。


「大変だなあ、役人ってのも」


「冒険者の方も、予定どおりに帰れないことがあるでしょう」


「まあ、それはそうだな」


 二人が笑い合っていると、食堂の扉がもう一度開いた。


「こんばんは」


 マルタが小さな籠を抱えて入ってきた。


「お邪魔するよ」


「マルタさん!」


 エリアスが驚いて立ち上がる。


「来てくださったんですね」


「カイルに誘われてね。せっかくだから、顔を出そうと思って」


 マルタは籠を差し出した。


「庭で育てた香草を少し持ってきたよ。料理に使っておくれ」


「ありがとうございます」


「旅先では、あんまり庭のことを心配しなくていいからね。ちゃんと見ておくよ」


「本当に助かります」


「その代わり、帰ってきたらたっぷり土産話を聞かせてもらうから」


「はい。喜んで」


 こうして、全員が揃った。


 ミラとノアが料理を運び終えると、食堂の一角は温かな笑い声に包まれた。


     ◇


「それで、ヴェルセリアまでは何日くらいかかるんだ?」


 カイルが鶏肉を切り分けながら尋ねた。


「途中で宿泊しながら向かうので、一週間ほどを見込んでいます」


 エリアスが答えると、セドリックが頷いた。


「国境の街道は整備されていますが、馬車の乗り継ぎによっては時間がかかりますからね」


「ええ。急ぐ旅ではありませんし、途中の街も見てみたいと思っています」


「いいじゃないか」


 カイルは笑った。


「ただ移動するだけじゃ、もったいないもんな」


 レオンハルトが口を開く。


「リュミエールへ着いたら、まず公爵家へ挨拶に行くんだよね?」


「はい。到着予定を先方に伝えてあります」


「公爵家の方々も、楽しみにしているだろうね」


 エリアスは少し考えた。


「……研究会でお話ししたご令息に、またお会いできると嬉しいです」


「研究の話で盛り上がって、食事の時間を忘れないようにね」


「気をつけます」


 レオンハルトは笑ったが、カイルは肩を揺らしていた。


「絶対忘れるだろ」


「そこまでではありませんよ」


「前に本を読んでて、昼飯を忘れたことがあったじゃないか」


「……あれは、少し夢中になってしまっただけです」


「ほらな」


 セドリックまで笑い出した。


 エリアスは少し困った顔をしたものの、結局は一緒になって笑った。


 賑やかな食卓だった。


 王宮で働いていた頃も、同僚たちと食事をする機会はあった。


 しかし、これほど気兼ねなく話せる時間は、あまり多くなかったように思う。


 仕事の内容も、立場も違う人々が、こうして一つのテーブルを囲んでいる。


 そのことが、エリアスには嬉しかった。


     ◇


 食事が進むにつれて、話題は自然とフィオーレでの出来事へ移っていった。


 カイルが、エリアスと初めて薬草採取へ出かけたときの話を始める。


「こいつ、最初は薬草を見つけるのも早かったんだよ」


「それは、魔力で場所を調べたからです」


 エリアスが答えると、カイルは頷いた。


「そう。で、俺が葉の採り方を教えたら、ものすごく真剣に聞いてくれてさ」


「大切なことでしたから」


「普通、宮廷魔導師が薬草の採り方を教わって、あんなに感心するか?」


 レオンハルトが微笑んだ。


「エリアスらしいね」


 マルタも笑った。


「庭の手入れを教えたときも、同じだったよ。難しい魔法は使えるのに、苗を植える深さは何度も確認するんだから」


「失敗したくありませんでしたので」


「だから、あなたの花壇はよく育ってるんだよ」


 マルタは優しく言った。


 エリアスは少し照れたように微笑んだ。


 ノアが身を乗り出す。


「料理もそうですよ! 最初は卵を焼くのも慎重だったのに、今ではいろいろ作れるようになりましたし」


「ミラさんとノアのおかげです」


「でも、エリアスさんがちゃんと練習したからですよ」


 ノアは嬉しそうに笑った。


 カイルが腕を組んだ。


「そう考えると、お前、フィオーレに来てから随分いろんなことを覚えたな」


 エリアスは少し考えた。


 確かに、王宮では経験しなかったことが多かった。


 料理。


 庭仕事。


 冒険者としての依頼。


 旅先での出会い。


 そのどれもが、今では大切な思い出になっている。


「……皆さんが教えてくださったおかげですね」


 エリアスは静かに答えた。


 セドリックが微笑んだ。


「私たちも、レインフォード殿から学んだことがたくさんありますよ」


「私から、ですか?」


「ええ。特に、古い水路の調査では」


 セドリックは少し真面目な顔になった。


「わからないことを、わからないままにしない姿勢は、私たちも見習わなければと思いました」


 エリアスは目を瞬かせた。


「……そう言っていただけると、嬉しいです」


 カイルが横から笑った。


「お前、たまには自分が褒められてるって自覚しろよ」


「……していますよ」


「本当か?」


「はい。今は、ちゃんと」


 その返事に、また笑い声が上がった。


     ◇


 食後、ノアが林檎の焼き菓子を運んできた。


 リーヴェル村で教わったものを、エリアスと一緒に作った菓子だった。


「今日は、ちゃんと形が揃いました!」


 ノアは得意そうに胸を張った。


 ミラが笑う。


「何度も練習したものね」


「うん!」


 エリアスは焼き菓子を一つ取った。


 表面は香ばしく、中には甘酸っぱい林檎の蜜煮が詰まっている。


「……上手にできましたね」


「エリアスさんが教えてくれた作り方のおかげです」


「私は、村で聞いたことを伝えただけですよ」


「それでも、教えてもらわなかったら作れませんでしたから」


 ノアは笑った。


 エリアスも微笑んだ。


 カイルは焼き菓子を頬張りながら言った。


「これ、店で出せばいいんじゃないか?」


「本当ですか?」


「うまいよ」


 ノアの顔が明るくなった。


「母さん、どう思う?」


 ミラは菓子を一口食べ、少し考えた。


「そうね。まずは週末のお菓子として出してみましょうか」


「やった!」


 ノアが喜ぶ。


 エリアスはその様子を見ながら、嬉しくなった。


 リーヴェル村で教わった料理が、鈴蘭亭の新しい菓子になるかもしれない。


 自分が旅先で覚えたことが、誰かの楽しみにつながっていく。


 それは、とても素敵なことのように思えた。


     ◇


 夜が更け、食事会はお開きとなった。


 レオンハルトとセドリックは、それぞれ翌日の仕事があるため、先に帰ることになった。


 マルタも、エリアスへ声をかけて席を立った。


「出発前に、また顔を出すよ」


「ありがとうございます」


「庭のことは任せておきな」


「はい。よろしくお願いします」


 マルタは微笑み、店を出ていった。


 最後に残ったのは、カイルだった。


 二人は食堂の隅で、冷めかけたお茶を飲んでいた。


「……楽しかったな」


 カイルが言った。


「はい。とても」


「みんな、お前が旅に出るのを楽しみにしてるんだよ」


「そうなんですか?」


「ああ。寂しくないわけじゃないけどさ」


 カイルは湯気の消えた茶器を見つめた。


「お前がフィオーレに来たばかりの頃は、こんなふうになるとは思わなかったな」


「私もです」


 エリアスは微笑んだ。


 静かに暮らせる場所を探して、この街へ来た。


 最初は、誰とも深く関わらずに過ごすつもりだった。


 けれど、気づけば多くの人と知り合い、こうして食事会まで開いてもらっている。


 カイルはエリアスの顔を見た。


「向こうでも、友達ができるといいな」


「ええ。そうですね」


「でも、変な奴には気をつけろよ」


「変な奴、ですか?」


「お前を利用しようとする奴とか、面倒な仕事を押しつけようとする奴とか」


 エリアスは少し考えた。


「……気をつけます」


「本当に頼むぞ」


 カイルは苦笑した。


「お前、人が困ってると放っておけないところがあるから」


「そんなことは……」


 言いかけて、エリアスは口を閉じた。


 思い当たることが、いくつかあった。


 カイルはそれを見て笑った。


「ほらな」


 エリアスも、つられて笑った。


「……気をつけます」


 カイルは頷いた。


「それならいい」


 しばらくして、二人は席を立った。


 鈴蘭亭の扉を開けると、夜の空気が頬に触れた。


 街灯に照らされた石畳が、静かに続いている。


「じゃあ、また明日な」


「はい。おやすみなさい」


 カイルは片手を上げ、通りの向こうへ歩いていった。


 エリアスはその背中を見送り、家へ向かった。


     ◇


 家に戻ると、リュカが玄関まで迎えに来た。


「ただいま」


 エリアスはしゃがみ込み、白い頭を撫でた。


 リュカは嬉しそうに尾を振る。


 書斎の机には、旅の予定表と地図が広げられたままだった。


 出発まで、あと七日。


 王都へ送った手紙は、そろそろ届く頃だろう。


 オスカーは、どんな顔で読んでいるだろうか。


 エリアスは少し笑った。


 国外へ行ってみたいと書いたとき、きっと驚いたはずだ。


 それでも、必要な手続きを整え、背中を押してくれた。


 王宮を離れていても、こうして支えてくれる人がいる。


 フィオーレにも、同じように自分を気にかけてくれる人たちがいる。


 エリアスは机の上の手帳を手に取った。


 レオンハルトから贈られた、新しい旅用の手帳だった。


 表紙を開く。


 最初のページは、まだ真っ白だ。


 エリアスはしばらく眺めたあと、そっと閉じた。


 何を書くかは、旅先で決めればいい。


 どんな景色を見るのかも、どんな人と出会うのかも、今はまだわからない。


 それが、少し楽しみだった。


 リュカが足元で小さく鳴く。


「……もう寝ましょうか」


 エリアスは手帳を鞄へしまい、リュカを抱き上げた。


 出発までの残りの日々も、きっとあっという間に過ぎていく。


 けれど、慌てる必要はない。


 旅は、これから始まるのだから。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。