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平穏を望む宮廷魔導師は、自由気ままに暮らしたい  作者: nene
第1章 春風の街、フィオーレ

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第7話 赤毛の冒険者

 鈴蘭亭の食堂に、賑やかな声が響いたのは、朝食の片づけが終わった頃だった。


「ノア! いるかー?」


 勢いよく扉が開き、背の高い青年が入ってくる。


 日に焼けた肌に、少し癖のある赤褐色の髪。使い込まれた革の上着を羽織り、腰には一本の長剣を提げていた。


「カイルさん!」


 厨房から顔を出したノアが、嬉しそうに声を上げる。


「おう。久しぶり!」


「久しぶりって、三日前にも来たじゃないですか」


「三日も空けば十分久しぶりだろ」


「どんな理屈ですか、それ」


 ノアは呆れたように笑った。


 カイルと呼ばれた青年は、慣れた様子でカウンターに腰を下ろす。


「何か食えるものあるか? 朝から何も食ってなくてさ」


「ありますけど、また朝ご飯抜いたんですか?」


「仕方ないだろ。夜明け前から仕事だったんだから」


「前回も同じこと言ってましたよね?」


「細かいことは気にするな」


「気にしますよ!」


 二人のやり取りに、厨房からミラの声が飛んできた。


「カイル! また食べずに仕事へ行ったのかい!」


「うわ、ミラさんまで」


「若いからって無茶ばかりするんじゃないよ!」


「わかった、わかった!」


 カイルは両手を上げて降参の姿勢を取った。


 その様子を見て、ノアが笑う。


「ちょうどよかった。カイルさんに紹介したい人がいるんです」


「紹介?」


「はい。王都から来たお客さんで、魔導師さんなんですよ」


「へぇ〜、魔導師?」


 カイルは興味を引かれたように眉を上げた。


「こんな辺境まで、珍しいな」


「今は休暇中なんですって」


「休暇ねぇ〜そりゃいい」


 カイルはカウンターに肘をついた。


「で、その魔導師さんは?」


「たぶん、そろそろ下りてくると思います」


 ノアがそう言った、ちょうどそのときだった。


「おはようございます」


 二階へ続く階段から、穏やかな声が聞こえてきた。


     ◇


 エリアスが食堂へ下りると、カウンターには見慣れない青年が座っていた。


 赤褐色の髪に、琥珀色の瞳。


 動きやすそうな革の装備を身につけ、腰には剣を提げている。


 ひと目で、冒険者だとわかった。


「あっ、エリアスさん!」


 ノアがこちらに気づき、手を振った。


「おはようございます」


「おはようございます! ちょうどよかった。昨日話してた人が来てるんです」


「昨日の……」


 エリアスはカウンターに座る青年へ目を向けた。


 青年はにっと笑う。


「よう」


「エリアス・レインフォードと申します」


「俺はカイル・ヴァルディス。冒険者をやってる」


 カイルは椅子から立ち上がり、右手を差し出した。


 エリアスはその手を取る。


「よろしくお願いします、カイルさん」


「おう。そんなかしこまらなくていいって。カイルでいいよ」


「では、カイル。私のこともエリアスと呼んでください」


「了解、エリアス!」


 カイルは気持ちよく笑った。


 その笑顔には、人を警戒させない明るさがあった。


「王都から来たんだって?」


「ええ。数日前に到着したばかりです」


「どうだ、フィオーレは?」


「とても気に入っています。静かで、食事もおいしいです」


「ははっ! そりゃよかった」


 カイルは嬉しそうに頷いた。


「ここは飯もうまいし、人もいいからな。王都みたいな派手さはないけど、住むにはいい街だぜ」


「そうですね。できれば、しばらく滞在したいと思っています」


「へえ、どれくらい?」


「まだ決めていませんが、半年か一年ほどでしょうか」


「……一年?」


 カイルが目を丸くした。


「それ、もう休暇っていうより引っ越しじゃないか?」


「そうでしょうか?」


「いや、そうだろ」


 カイルは笑った。


「まあ、気に入ったならいいけどさ」


 そのとき、ノアが朝食を運んできた。


「エリアスさん、今日は焼きたてのパンと卵料理ですよ!」


「ありがとうございます」


「カイルさんの分もありますから、ちゃんと食べてくださいね」


「おう、助かる!」


 カイルは嬉しそうに皿を受け取った。


 エリアスも隣の席に腰を下ろし、朝食を始める。


 しばらくは、パンをちぎる音と食器の触れ合う音が続いた。


 やがて、カイルがふと思い出したように尋ねた。


「そういや、エリアス。魔導師なんだって?」


「はい」


「どんな魔法が得意なんだ?」


「そうですね……結界や空間に関する魔法を扱うことが多いです」


「結界か。そりゃ冒険じゃ重宝されそうだな」


「そうなのですか?」


「当たり前だろ。魔物の攻撃を防げるし、野営でも便利だしな」


 カイルはパンを口に運びながら続けた。


「俺なんか剣しか使えないからさ。魔導師が一人いるだけで、ずいぶん助かるんだよ」


「なるほど」


 エリアスは興味深そうに頷いた。


「冒険者の方々は、普段どのようなお仕事をされているのですか?」


「いろいろだな。魔物の討伐、薬草採取、商隊の護衛。あとは迷子の家畜探しなんかもある」


「家畜探し?」


「ああ。意外と多いんだぜ」


 カイルは笑った。


「先週なんか、逃げた羊を三頭探してくれって依頼があってさ」


「見つかったのですか?」


「もちろん。丸一日かかったけどな」


「それは大変でしたね」


「いやあ、羊って思ったより足が速いんだよ」


 エリアスは少し考えた。


「追跡魔法などは使わなかったのですか?」


「追跡魔法?」


「はい。対象の魔力の痕跡を辿れば、見つけやすいと思うのですが」


 カイルは動きを止めた。


「……羊の?」


「ええ」


「いや、普通の羊だぞ?」


「そうですね」


「普通の羊に追跡魔法なんて使えるのか?」


「個体ごとの微かな魔力の違いを読み取れば、可能だと思いますよ」


 エリアスは当然のように答えた。


 カイルはしばらく黙っていた。


 それから、隣のノアへ顔を向ける。


「……なあ、ノア」


「はい?」


「魔導師って、みんなこんなことできるのか?」


 ノアは少し考えた。


「……僕に聞かれても」


 カイルは再びエリアスを見た。


「エリアス、お前って結構すごい魔導師なんじゃないの?」


「いえ。追跡魔法は基礎的な術式ですから」


「……そうなのか?」


「はい。もっとも、細かな魔力を読み取るには多少の慣れが必要ですが」


「多少、ねえ……」


 カイルは何か言いたげだったが、結局、パンをもうひと口食べた。


 目の前の青年は、どうやら自分の知っている魔導師とは少し違うらしい。


     ◇


 朝食を終えたあと、二人は食堂の窓際へ移動した。


 ノアは仕事に戻り、カイルは食後のお茶を飲みながら、フィオーレ周辺の地図を広げている。


「それで、エリアス。街の外にはもう出たのか?」


「いえ、まだです」


「なら、ちょうどいい。今日は天気もいいし、少し歩いてみるか?」


「よろしいのですか?」


「おう。今日は午後まで仕事がないからな」


 カイルは地図の一角を指差した。


「この辺りに小さな丘があるんだ。上まで登ると、街と湖がよく見える」


「それは素敵ですね」


「だろ? それに、途中で薬草も採れる」


「薬草ですか」


 エリアスの目がわずかに輝いた。


「この地方特有の種類もありますか?」


「あるぞ。春は結構いろんな種類が生えてる」


「それは興味深いですね」


 カイルは笑った。


「魔導師っていうより、学者みたいだな」


「そうでしょうか?」


「ああ、何でも知りたがるところとか」


 エリアスは少し考えた。


「知らないことを知るのは、楽しいですから」


 その返答に、カイルは一瞬黙った。


 それから、楽しそうに笑った。


「……いいな、それ」


「はい?」


「いや、なんでもない。じゃあ、昼前くらいに出るか?」


「ぜひお願いします」


 二人はそう約束し、それぞれ準備をすることになった。


     ◇


 昼前。


 エリアスが鈴蘭亭の前へ出ると、カイルはすでに待っていた。


 腰には剣。


 背中には小さな荷物袋。


 足元には、使い込まれた革の靴。


 いかにも旅慣れた冒険者という装いだった。


「お、来たな!」


「お待たせしました」


「いや、時間ぴったりだよ」


 カイルはエリアスの服装を見て、少し首を傾げた。


「……その格好で行くのか?」


 エリアスは自分の服を見下ろした。


 白いシャツに濃紺の上着。


 足元には、王都で買った歩き靴。


 特に問題はないように思える。


「何かおかしいでしょうか?」


「いや、おかしくはないんだけど……」


 カイルは少し考えた。


「森の近くを歩くなら、もう少し汚れてもいい服の方が楽だぞ」


「なるほど」


 エリアスは素直に頷いた。


「では、着替えてきます」


「おう。待ってる」


 エリアスは宿へ戻り、数分後に再び現れた。


 今度は動きやすい灰色の上着に、丈夫な布地のズボン。


 足元も、しっかりとした歩き靴に替えてある。


「こちらでどうでしょう?」


「お、いいじゃん」


 カイルは頷いた。


「でも、ずいぶん早かったな」


「着替えるだけでしたから」


「いや、そうなんだけど……」


 カイルはエリアスの手にある鞄を見た。


 小ぶりな革製の旅行鞄。


 先ほども持っていたものだ。


「それ、持っていくのか?」


「はい。必要なものが入っていますので」


「結構重いんじゃないか?」


「いえ、軽いですよ」


 エリアスは鞄を軽く持ち上げた。


「……そうか?」


「はい。持ってみますか?」


「じゃあ、ちょっと」


 カイルは鞄を受け取った。


 その瞬間、眉を上げる。


「……軽っ」


「でしょう?」


「いや、見た目よりずいぶん軽いな」


「中身の重量を調整してありますから」


「……重量を?」


「はい。持ち運びやすいように」


 カイルは鞄を見下ろした。


「……それ、魔法で?」


「ええ」


「へえ……便利だな」


「そうですね。旅にはおすすめですよ」


 エリアスは穏やかに微笑んだ。


 カイルは鞄を返しながら、少し考え込んだ。


 荷物を軽くする魔法。


 聞いたことはある。


 だが、実際に使える魔導師はそれほど多くないはずだ。


 それを、こんな当たり前のように使っている。


「……なあ、エリアス」


「はい?」


「お前、王都では何してたんだ?」


「魔法関係の仕事です」


「それは聞いたけど、具体的には?」


 エリアスは少し考えた。


 宮廷魔導師だと名乗る必要はない。


 しかし、嘘をつくのも好ましくなかった。


「魔道具の研究や、結界の管理などをしていました」


「ふうん。研究職か」


「そうですね」


 カイルは納得したように頷いた。


「だから魔法に詳しいんだな」


「ええ。長く携わっていましたから」


「なるほどな!」


 カイルは気持ちよく笑った。


 エリアスも微笑み返す。


 どうやら、特に不審に思われることはなかったらしい。


 もっとも、カイルが想像していた『研究職』と、実際のエリアスの仕事内容には、かなり大きな隔たりがあった。


     ◇


 二人は南門を抜け、街の外へ出た。


 緩やかな丘陵地帯には、春の草花が咲き乱れている。


 遠くには森が広がり、その向こうに湖の青い水面が見えた。


 風が吹くたびに草が揺れ、柔らかな波のように広がっていく。


「……いい景色ですね」


 エリアスが呟くと、カイルは嬉しそうに笑った。


「だろ? 俺、この辺り好きなんだよ」


「よく来るのですか?」


「ああ。仕事でも来るし、休みの日に散歩することもある」


「そうなのですね」


 二人はゆっくりと丘を登っていった。


 途中、カイルが道端の植物を指差す。


「ほら、あれが春鈴草」


「春鈴草……」


「薬草の一種で、傷薬に使われるんだ」


 エリアスは足を止め、植物を観察した。


 小さな白い花をつけた草だった。


 葉の形は細長く、根元には微かな魔力が集まっている。


「なるほど。確かに、治癒に適した性質ですね」


「わかるのか?」


「ええ。葉の内部に穏やかな魔力が循環しています」


「……へえ」


 カイルは感心したように頷いた。


「俺は薬草の見分け方しか知らないからな」


「それも大切な知識ですよ」


 エリアスは微笑んだ。


「私は実際に採取した経験があまりありませんので、ぜひ教えていただきたいです」


「おう、任せろ!」


 カイルは嬉しそうに頷いた。


 それから、薬草の採り方を説明し始めた。


 根を傷つけないこと。


 必要以上に採らないこと。


 似た形をした別の植物と間違えないこと。


 エリアスは真剣に耳を傾け、時折質問を挟んだ。


 その姿は、まるで新しい研究を始めた学者のようだった。


「……お前、ほんとに楽しそうだな」


 カイルが笑う。


「はい。知らないことを教えていただくのは、とても楽しいです」


「そっか」


 カイルは少し照れくさそうに頭をかいた。


「まぁ、俺も悪い気はしないけどな」


 二人は顔を見合わせ、笑った。


 そのときだった。


 少し離れた草むらから、がさりと音がした。


 カイルがすぐに顔を上げる。


「……ん?」


 エリアスも視線を向けた。


 草の間から、小さな灰色の生き物が顔を出す。


 丸い耳に、ふわふわとした尻尾。


 野兎に似た、小型の魔物だった。


「ああ、草兎か」


 カイルはほっとしたように笑った。


「大丈夫。おとなしい魔物だよ」


「そうなのですね」


 エリアスは興味深そうにしゃがみ込んだ。


 草兎は警戒するように鼻を動かしたが、逃げる様子はない。


「こんにちは」


 エリアスが声をかけると、草兎は耳をぴくりと動かした。


「……エリアス?」


「はい?」


「何してるんだ?」


「挨拶を」


「……兎に?」


「ええ」


 カイルは少し黙った。


 それから、声を上げて笑った。


「ははっ! お前、面白いな!」


 エリアスは不思議そうに首を傾げた。


「そうでしょうか?」


「いや、悪い意味じゃないぞ」


「それなら、よかったです」


 エリアスは穏やかに微笑んだ。


 そのとき、草兎がぴょんと跳ね、エリアスの足元へ近づいてきた。


「……おや」


 小さな鼻が、彼の指先に触れる。


 エリアスはそっと手を差し出した。


 草兎は逃げるどころか、その手に頭を擦りつけてきた。


「……へえ」


 カイルは目を丸くした。


「珍しいな。草兎って、普通は人に近づかないんだけど」


「そうなのですか?」


「ああ。臆病だからな」


 エリアスは足元の小さな生き物を見つめた。


 その体からは、穏やかな魔力が感じられる。


 どうやら、警戒心はないらしい。


「……人懐っこい子ですね」


 そう言って、優しく頭を撫でた。


 カイルはその様子を見ながら、小さく笑った。


「……ほんと、不思議な奴だな」


 エリアスは顔を上げる。


「何か言いましたか?」


「いや、何でもない」


 カイルは笑った。


「さ、もう少し行こうぜ。丘の上からの景色、見せたいんだ」


「はい」


 エリアスは草兎に軽く手を振り、立ち上がった。


 小さな魔物はしばらく二人を見送っていたが、やがて草むらの中へ姿を消した。


 二人は再び歩き始める。


 春風が、丘の上からゆっくりと吹き下ろしてきた。


 まだ出会って間もない二人だったが、不思議と会話が途切れることはなかった。


 カイルは街のことや冒険者の仕事について話し、エリアスは王都で学んだ魔法の知識を、できるだけわかりやすく伝えた。


 互いに知らないことがあり、互いに教えられることがある。


 それが、二人には心地よかった。


 やがて、丘の頂上が見えてきた。


「ほら、エリアス!」


 先を歩いていたカイルが振り返る。


「もうすぐだぞ!」


 エリアスは顔を上げた。


 丘の向こうには、青い空が広がっている。


「ええ。楽しみです」


 そう答え、歩幅を少し速めた。


 初めてできた、冒険者の友人。


 そして、初めての街の外への散策。


 エリアスの休暇は、またひとつ新しい色を帯び始めていた。

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