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平穏を望む宮廷魔導師は、自由気ままに暮らしたい  作者: nene
第3章 湖の街と、初めての旅

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第67話 帰る場所と、これからの旅


 翌朝、リーヴェル村の共同井戸には、久しぶりに水の落ちる音が響いていた。


 石造りの水槽へ注がれる水を前に、村長のバルドは何度も頷いていた。


「いやあ、ありがたい。本当にありがたいことです」


 エリアスは揚水魔導具の制御盤を閉じた。


「水量は安定しています。ただ、以前より汲み上げる量を少し減らしましたので、畑への給水は時間を分けて行ってください」


「承知しました。村の者にも伝えます」


「北の貯水池については、工事を再開する前に地盤の調査が必要です。昨日の修理で水路は正常に戻りましたが、地面の亀裂まで元どおりになったわけではありませんから」


 バルドは真剣な顔で聞いていた。


 エリアスは続けて、倉庫の冷却装置の点検結果も説明した。


 装置は昨夜から試運転を続けていたが、異常な温度上昇は検知されていない。魔石の消耗量も正常範囲に戻っていた。


 ただ、地下の温度が再び変化する可能性もあるため、しばらくは毎日の確認を勧めた。


「点検方法は、こちらにまとめてあります」


 差し出した紙には、確認する箇所と、異常があった場合の連絡先が書かれていた。


 バルドはそれを受け取り、少し驚いた顔をした。


「随分とわかりやすく書いてくださったんですな」


「村の方々が使うものですから」


 エリアスは穏やかに答えた。


 前日の夕方、カイルに一度読んでもらったのだ。


 その際、彼から「この言葉がわからない」「ここは何を見ればいいんだ?」と何度も質問された。


 おかげで、最初の紙にはほとんど残っていないほど修正が入った。


 カイルが隣で笑う。


「最初の説明だったら、俺も読めなかったけどな」


「……そこまで難しかったでしょうか」


「難しかった」


「そうですか」


 エリアスは少し残念そうだったが、バルドは二人のやり取りを聞いて笑った。


「いや、お二人に来ていただいて、本当によかった」


 依頼の完了確認を終えると、バルドは封筒を差し出した。


 ギルドを通じて取り決めた調査費と、村からの謝礼が入っているという。


 エリアスは契約書と照らし合わせて受け取った。


 バルドはまだ何か言いたそうにしていたが、やがて思い切ったように口を開いた。


「レインフォード様。ひとつ、お伺いしてもよろしいでしょうか」


「はい」


「村へお越しになったとき、王宮にお仕えの方だとお聞きしました。あれほどの魔法をお使いになる方が、どうして冒険者ギルドの依頼を?」


 エリアスは少し考えた。


「今は休暇中ですので、興味を持ったことをしてみようと思いまして」


「興味、ですか」


「それに、知らない土地へ行くのも楽しいですから」


 バルドは目を瞬かせ、それから声を立てて笑った。


「なるほど。大変なお仕事をされている方にも、そういう楽しみがあるんですな」


「ええ」


 エリアスも微笑んだ。


「林檎の花も、とても綺麗でした」


 村長は何度も頷き、秋にはぜひ林檎を食べに来てほしいと言った。


     ◇


 出発の支度をしていると、旅籠の主人が大きな包みを抱えて現れた。


「これ、持っていきな」


「何でしょう?」


「林檎の蜜煮と、焼き菓子だよ。帰ってからも食べられるようにしてある」


「こんなにいただいてしまって、いいんですか?」


「いいんだよ。うちの水も元どおりになったんだから」


 包みを受け取ったエリアスは、丁寧に礼を言った。


 カイルは横から中身を覗き込んでいる。


「お、あの焼き菓子も入ってる」


「はい。帰ったらノアにも持っていこうと思います」


「鈴蘭亭のか?」


「ええ。きっと喜ぶと思います」


 主人は嬉しそうに笑った。


「それなら、作り方も教えてあげようか?」


 エリアスが顔を上げる。


「よろしいんですか?」


「難しいものじゃないよ。ちょっとしたコツがあるだけさ」


 主人が厨房へ戻ると、カイルは天井を仰いだ。


「また料理の話になったな」


「せっかくですから、覚えて帰りたいんです」


「いいと思うよ。ノアも喜ぶだろうし」


 しばらくして、手書きの料理手順を受け取ったエリアスは、大切そうに鞄へしまった。


 馬車へ荷物を積み終える頃には、広場に何人もの村人が集まっていた。


 工事を手伝ったグレンもいる。


「帰り道、気をつけてください」


「ありがとうございます」


「秋になったら、林檎を送りますよ」


 バルドが言うと、エリアスは嬉しそうに微笑んだ。


「楽しみにしています」


 カイルが手綱を握った。


「じゃあ、行くか」


「はい」


 リュカは慣れた様子で座席へ飛び乗った。


 村人たちに見送られながら、馬車はゆっくりと走り出した。


 白い花を咲かせた果樹園が、少しずつ遠ざかっていく。


     ◇


 フィオーレまでの道のりは、帰りの方が短く感じられた。


 カイルは馬車を走らせながら、時折エリアスへ話しかけた。


「そういえば、昨日の魔力感知の練習なんだけどさ」


「はい」


「あのあと、宿でもちょっと試してみたんだ」


 エリアスは顔を上げた。


「どうでしたか?」


「駄目だった。石を握って集中してみたんだけど、何もわからなくて」


「それはそうだと思います」


 カイルは手綱を握ったまま振り向きかけた。


「えっ?」


「昨日お渡しした石には、もう魔力が残っていませんから」


「……そうなのか?」


「はい。練習が終わったあと、元に戻しました」


 短い沈黙が落ちた。


 やがて、カイルが大きく笑い出した。


「そりゃ、いくら頑張っても駄目なわけだ!」


「すみません。お伝えするのを忘れていました」


「いや、俺も聞けばよかった」


 カイルは笑いながら首を振った。


「それにしても、魔力って難しいな。剣なら、振れば少なくとも動いたことはわかるだろ?」


「そうですね」


「でも、魔力はそこにあるかどうかさえわからないんだからな」


 エリアスは少し考えた。


「では、フィオーレへ戻ったら、最初はもっとわかりやすい方法にしましょう」


「どんな?」


「魔力の有無を当てる練習です。見た目が同じ石を用意して、一つだけ魔力を込めます」


「なるほど」


「最初は大きな差をつけて、慣れたら少しずつ弱くしていきます」


 カイルは何度か頷いた。


「それなら、上達したかどうかもわかりそうだ」


「はい。昨日のように、私が魔力を変化させると伝えてしまうと、どうしても予測できてしまいますから」


「……エリアス」


「はい?」


「お前、教え方が少しうまくなったんじゃないか?」


 エリアスは目を丸くした。


「そうでしょうか」


「ああ。今の説明は一回でわかった」


 エリアスは嬉しそうに微笑んだ。


「それなら、よかったです」


 カイルは前方へ向き直った。


「帰ったらギルドの裏庭でも借りるか。剣の練習に使う場所なら広いし」


「いいですね」


「ほかにも興味のある奴がいたら、一緒に教えてやってくれないか?」


 エリアスは少し迷った。


「……大勢だと、うまく説明できるか自信がありません」


「最初は俺だけでいいさ。ちゃんと覚えたら、俺からほかの連中にも教えられるかもしれないし」


「それなら、ぜひ」


 カイルは満足そうに笑った。


 エリアスは膝の上のリュカを撫でながら、窓の外へ目を向けた。


 道の先には、まだ見えないフィオーレの街がある。


 あそこで過ごす時間も、もう随分と長くなった気がした。


 王宮を離れたばかりの頃は、何をして過ごせばいいのかさえ、よくわからなかった。


 今では、帰ったあとにしたいことがいくつもある。


     ◇


 フィオーレへ戻ったのは、翌日の昼過ぎだった。


 北方街道の途中で一泊し、朝から馬車を走らせてきたのだ。


 街の門が見えてくると、リュカが身を起こした。


「帰ってきたぞ」


 カイルが声をかける。


 白い小さな身体が、エリアスの膝の上で伸びをした。


 街に入ると、いつもの賑わいが戻ってきた。


 パン屋から漂う焼きたての香り。


 荷車を引く商人たち。


 広場で遊ぶ子供たちの声。


 エリアスは窓の外を眺めながら、少しだけ頬を緩めた。


 カイルは家の前まで馬車を寄せてくれた。


「荷物、下ろすぞ」


「ありがとうございます」


 二人で鞄を運び、庭の門を開ける。


 出発したときと変わらず、花壇には小さな花が咲いていた。


 支柱に沿って伸びた茎が、風に揺れている。


「おかえり!」


 隣の庭から、マルタが顔を出した。


「無事に帰ってきたんだね」


「ただいま戻りました。庭のお世話、ありがとうございました」


「いいんだよ。それより、村の仕事はどうだった?」


「無事に終わりました。古い水路に問題があったんです」


「まあ、大変だったねえ」


 エリアスは鞄から小さな包みを取り出した。


「村でいただいた林檎のお菓子です。よろしければ」


 マルタは嬉しそうに受け取った。


「ありがとう。夕方のお茶にいただくよ」


 しばらく近況を話してから、エリアスは家の扉を開けた。


 室内には、留守の間に少し冷えた空気が漂っている。


 窓を開けると、庭から春の風が入り込んだ。


 カイルは荷物を玄関へ運び終え、額の汗を拭った。


「じゃあ、俺は馬車を返してくる」


「ありがとうございました」


「明日はギルドに報告しに行くんだろ?」


「はい」


「だったら、そのあとで魔力感知の練習をしようぜ」


「わかりました」


「今度は、ちゃんと魔力の入った石を用意してくれよ」


 エリアスは思わず笑った。


「もちろんです」


 カイルは片手を上げ、門を出ていった。


     ◇


 荷物を片づけたあと、エリアスは鈴蘭亭へ向かった。


 リュカは旅の疲れが残っているらしく、家の柔らかな敷物の上で眠っている。


 宿へ入ると、食堂の奥からノアの声が聞こえた。


「あ、エリアスさん!」


「こんにちは。戻ってきました」


「おかえりなさい! リーヴェル村、どうでした?」


「とても綺麗な村でしたよ。林檎の花がたくさん咲いていました」


「いいなあ」


 ノアは興味深そうに身を乗り出した。


 エリアスは持ってきた包みをテーブルへ置いた。


「お土産です」


「えっ、何ですか?」


「林檎の蜜煮を使った焼き菓子です。それと、作り方も教えていただきました」


 ノアの顔が明るくなった。


「作り方まで?」


「はい。今度、一緒に作ってみませんか?」


「ぜひ!」


 厨房からミラが顔を出した。


「まあ、帰ってきたのね。お疲れさま」


「ありがとうございます」


「また料理を覚えてきたみたいね」


 エリアスは少し照れたように微笑んだ。


「せっかく教えていただいたので、忘れないうちに作ってみたいと思いまして」


 ミラは笑った。


「それなら、今度ノアと試してみましょう」


 ノアは早速、包みを開けていた。


 焼き菓子を一つ取り、香りを確かめる。


「わあ、林檎の匂いがする」


「中に蜜煮が入っているそうです」


「食べてもいいですか?」


「もちろんです」


 ノアは一口食べ、目を輝かせた。


「おいしい!」


 その反応を見て、エリアスも嬉しくなった。


 ミラは二人の様子を眺めながら言った。


「そういえば、エリアスさん宛てに手紙が届いていたわよ」


 エリアスが顔を上げる。


「手紙ですか?」


「ええ。昨日、配達の人が来たの。留守だと伝えたら、戻るまで預かってほしいって」


 ミラは厨房の奥へ戻り、一通の封筒を持ってきた。


 厚手の白い紙に、見覚えのある筆跡。


 差出人の名前を見たエリアスは、わずかに表情を和らげた。


「……オスカーからですね」


「王都のお友達?」


「はい。以前、一緒に仕事をしていた人です」


 ミラは微笑んだ。


「それなら、帰ってきてすぐ受け取れてよかったわね」


「ええ。ありがとうございます」


 エリアスは封筒を大切に鞄へしまった。


     ◇


 家へ戻る頃には、夕方の光が窓辺に差し込んでいた。


 エリアスは机に座り、オスカーからの手紙を開いた。


 封筒の中には、数枚の便箋が入っている。


 書き出しは、いつもの几帳面な文字だった。


『エリアスへ。


 セレーネからの手紙を受け取った。


 まずは、無事に旅行を楽しめたようで安心した。湖灯祭の話は興味深かった。お前があれほど長い手紙を書くとは思わなかったが、よほど気に入ったのだろう。


 王宮では相変わらず仕事が続いている。ただ、お前が不在になったことで、以前なら当然のように任せていた仕事を、皆で分担するようになった。


 最初の頃は慣れない様子だった者たちも、最近は自分で判断できることが増えてきた。


 特に若手の魔導師たちは、以前より積極的に意見を出すようになっている。


 お前がいた頃には、答えを聞く方が早いと思っていたのかもしれないな。』


 エリアスは思わず笑った。


 確かに、王宮にいた頃は相談を受けることが多かった。


 自分では普通に答えていたつもりだが、時折、相手が困ったような顔をすることもあった。


 その理由を、最近になって少しだけ理解できた気がする。


 手紙は続いていた。


『陛下も、お前の旅の話を聞いて喜んでおられた。


 ただし、休暇中とはいえ、王国外へ長期間滞在する場合には、事前に連絡を入れるようにとのことだ。


 これは命令というより、所在を把握しておきたいという陛下のお気持ちだろう。


 お前のことだから、面白いものを見つければ、予定を変えて遠くまで行きかねない。


 くれぐれも、旅先では無理をするな。


 それと、こちらへ送ってくれた湖の絵葉書は、執務室の棚に飾ってある。


 次の手紙も楽しみにしている。』


 エリアスは最後まで読み、便箋をそっと机へ置いた。


 オスカーらしい手紙だった。


 王宮の近況を伝えながら、必要な注意も忘れない。


 そして、最後には必ず、身体を気遣う言葉が添えられている。


 エリアスはしばらく便箋を眺めていた。


 王宮で働いていた日々が、懐かしく思い出される。


 夜遅くまで続いた仕事。


 資料を抱えて廊下を歩くオスカー。


 魔導院で議論を交わした後輩たち。


 国王から突然呼び出され、思いがけない相談を受けたこともあった。


 今では、それらも少し遠い出来事のように感じられる。


 けれど、手紙を読んでいると、王都との距離はそれほど遠くないように思えた。


 エリアスは新しい便箋を取り出した。


 まず、リーヴェル村での出来事を書く。


 古い水路の修理。


 林檎の花。


 村人たちとの交流。


 それから、カイルに魔力感知を教えることになった話も加えた。


『以前、魔導院の後輩たちへ説明した際に、私の話がわかりにくかったことを覚えているでしょうか。


 今回も、カイルに最初の説明が伝わりませんでした。


 ですが、剣の動きを読む感覚に例えたところ、少し理解してもらえたようです。


 教える相手によって、説明の仕方を変えることが大切なのだと、今さらながら感じています。』


 そこまで書いて、エリアスは筆を止めた。


 オスカーが読んだら、きっと笑うだろう。


 もう何年も前から、同じことを言われていた気がする。


 エリアスは続きを書いた。


『それと、最近、もう少し遠くまで旅をしてみたいと考えるようになりました。


 フィオーレでの暮らしは気に入っていますが、セレーネを訪れてから、まだ知らない場所へ行ってみたいと思うようになりました。


 いずれは、王国外へも足を延ばしてみたいと考えています。


 行き先が決まりましたら、出発前に必ず連絡します。


 新しい街に到着した際も、滞在先をお知らせしますので、これからも手紙を送っていただけると嬉しいです。』


 書き終えたエリアスは、少し考えてから一文を付け加えた。


『皆が元気でいることがわかって、安心しました。私も元気に過ごしています。』


 封筒へ便箋を収め、宛名を書く。


 明日、ギルドへ行く途中で郵便を出そう。


 そう決めたとき、足元から小さな鳴き声がした。


 リュカが目を覚ましていた。


「お腹が空きましたか?」


 エリアスが尋ねると、リュカは尾を揺らした。


 時計を見ると、もう夕食の時間だった。


「では、何か作りましょう」


 立ち上がりかけて、エリアスはもう一度、机の上の手紙へ目を向けた。


 離れた場所にいても、王都の人々とのつながりは続いている。


 次に旅へ出るときも、その先の街から手紙を書こう。


 まだ見ぬ土地の景色を、オスカーたちにも伝えたい。


 そう思うと、これからの旅がますます楽しみになった。


 エリアスは封筒を机の端へ揃えて置き、待ちくたびれた様子のリュカを抱き上げた。


「今日は、鶏肉にしましょうか」


 その言葉に、リュカの耳がぴんと立った。


 エリアスは笑いながら厨房へ向かった。


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