↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
平穏を望む宮廷魔導師は、自由気ままに暮らしたい  作者: nene
第3章 湖の街と、初めての旅

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
66/95

第66話 水路の先に見つけたもの


 翌朝、エリアスが食堂へ下りると、旅籠の主人がいつになく慌ただしく動いていた。


 厨房では大きな鍋が火にかけられ、焼きたてのパンが籠に積まれている。普段の朝食にしては随分と量が多い。


「おはようございます。何かあるんですか?」


「ああ、おはよう。今日は北の畑へ行く人たちにも朝ご飯を届けるんだよ」


「北の畑ですか?」


「昨日、お湯が噴き出しただろう? 近くの畑はしばらく使えないって聞いてね。片づけに行く人たちもいるから、せめて食事くらいはと思ってさ」


 主人はパンを布で包みながら答えた。


 昨日の騒ぎで怪我人は出なかった。しかし、林檎畑の一部には地面の亀裂が残り、立ち入りが制限されている。


 収穫までまだ時間があるとはいえ、果樹の世話を止めることはできないだろう。


「私たちも、これから現場へ向かうところです」


「だったら、これも持っていっておくれ」


 主人は焼き菓子を二つ、小さな紙袋に入れた。


「林檎の蜜煮を包んであるんだ。休憩のときに食べるといいよ」


「ありがとうございます」


 受け取った袋から、甘い香りが漂った。


 そこへカイルが現れ、袋を覗き込む。


「お、うまそうだな」


「休憩用にいただきました」


「じゃあ、昼まで楽しみに取っとくか」


 エリアスは頷いたが、少し考えてから尋ねた。


「……朝食のあとでは、早すぎますか?」


「早いな」


「そうですか」


「そんなに食べたいなら、俺の分まで期待するなよ」


「そこまでは考えていません」


 真面目な返答に、厨房から笑い声が上がった。


     ◇


 北の畑には、すでに村長のバルドと工事責任者のグレンが来ていた。


 昨夜のうちに、亀裂の周囲には縄が張られている。


 林檎の木々は変わらず白い花を咲かせていたが、その下の土には昨日の水の跡が残っていた。


「おはようございます。昨夜は変わったことはありませんでしたか?」


 エリアスが尋ねると、グレンが頷いた。


「水は出ていません。湯気もほとんどなくなりました」


「それなら、応急処置は保たれているようですね」


「ただ、地面がまた割れないか心配で」


「今日は水路の状態を詳しく確認します。安全が確かめられるまでは、近づかないでください」


 グレンは了解し、作業員たちを畑の外へ誘導した。


 エリアスは昨日見つけた古い帳簿を取り出した。


 そこには、北の沢へ温水を逃がすための封水函と、二つの水路が描かれている。


 昨夜、図面を見ながら気づいたことがあった。


 封水函には、流れを分ける仕切りのほかに、水路を点検するための小さな蓋が設けられていたのだ。


 しかし、その蓋は水路の入口側にはない。


 北の沢へ続く、反対側にあった。


「カイル。今日は沢の方から回りたいのですが」


「入口とは逆側か?」


「はい。点検口が残っていれば、崖を崩さずに内部を調べられるかもしれません」


「なるほど。じゃあ、俺が道を探すよ」


 カイルは地図を受け取ると、林檎畑の外側へ向かった。


 その後ろを、エリアスとグレンが続く。


 リュカはエリアスの肩の上で、風に鼻先を向けていた。


 雨の降っていない朝の森は、土の匂いが濃かった。


 沢へ下りる道は細く、ところどころ木の根が地表に露出している。


 カイルは足場を確かめながら進み、危ない場所では後ろの二人に声をかけた。


 途中、浅い沢を渡るところで、リュカがエリアスの肩にしがみついた。


「……濡れませんよ」


 エリアスが言っても、リュカは動かなかった。


 カイルが笑う。


「セレーネで船に乗ったときと同じ顔だな」


「足元に水があるのが嫌みたいです」


「お前が抱えてるんだから、濡れないだろうに」


 リュカはカイルを一瞥し、エリアスの襟元へ顔を埋めた。


     ◇


 沢を上流へ進むと、水音が少しずつ大きくなった。


 やがて、苔むした石壁の下から水が流れ出している場所に着いた。


 石壁の一部は斜面に埋もれ、古い水路の出口だったことを示している。


「ここだな」


 カイルは周囲を見回した。


「思ったより、ちゃんと残ってる」


 エリアスは出口に近づき、水へ手をかざした。


 温かい。


 ただし、昨日畑から噴き出した水ほどではなかった。


 地下を通る間に、周囲の冷たい水と混ざったのだろう。


「流れは戻っていますね」


「昨日の魔法のおかげか?」


「一時的に水の通り道を整えただけです。仕切りが壊れていたら、また同じことが起きます」


 エリアスは石壁へ視線を移した。


 表面には、かすれた文字が刻まれていた。


 今ではほとんど読めないが、帳簿の図面と照らし合わせると、点検口の位置がわかる。


「この辺りです」


 エリアスが示した場所を、カイルが指先でなぞった。


「……ああ、継ぎ目があるな」


 石壁の一部が、四角く切り取られている。


 しかし、長年の土と苔に覆われて、蓋はまったく動かなかった。


 カイルが力を込めて押してみたものの、びくともしない。


「駄目だ。固まってる」


「無理に開けると石が欠けそうですね」


 エリアスは石の周囲に手を添えた。


「少しだけ、土を取り除きます」


 細い光が、蓋の縁へ沿って走った。


 固く詰まっていた土が静かに崩れ、苔の下から金属製の留め具が現れる。


 エリアスはそれを確かめ、指先で軽く触れた。


 古い金具が、かすかな音を立てて外れた。


「……開きました」


 カイルは肩を落とした。


「俺がさっきまで押してたのは何だったんだ」


「力をかける場所が違ったんだと思います」


「慰めてくれてるのか?」


「いえ。本当に」


 その返事に、グレンまで笑い出した。


 蓋の奥には、狭い点検用の空間が続いていた。


 中へ入るのは難しそうだったが、封水函の状態はそこから確認できる。


 エリアスは小さな光球を作り、奥へ送り込んだ。


 水路の内壁が淡く照らされる。


 そこには、石で組まれた箱形の装置があった。


 古い図面のとおり、内部には水の流れを分ける仕切りが設けられている。


 そして、その仕切りの片側には、大きな亀裂が入っていた。


「……やはり、ここですね」


 エリアスは目を細めた。


 破損した仕切りが内側へ傾き、水の出口を狭めている。


 温水が通り抜けられる量が減り、地下で圧力が高まったのだろう。


 カイルが横から覗き込んだ。


「これなら直せそうか?」


「できます。ただし、先に水の流れを止める必要があります」


「昨日みたいに魔法で?」


「ええ。でも、今度はもう少し慎重に行います」


 エリアスはグレンへ向き直った。


「修理には、新しい石材が必要です。村で用意できますか?」


「もちろんです。石工も呼んできます」


「ありがとうございます。私はその間に、周囲の地盤を確かめておきます」


 グレンは何度も頷き、来た道を引き返した。


 残されたカイルは、水路を覗きながら言った。


「しかし、よくこんなものを昔の人が作ったな」


「ええ。水の流れをよく考えた構造です」


「長い間、村を守ってたわけか」


 エリアスは頷いた。


「壊れてしまいましたが、悪い設備ではありません。きちんと直せば、また長く使えると思います」


 しばらく水路を眺めていたカイルが、ふと思い出したように顔を上げた。


「そういや、昨日の夜に話した魔力感知なんだけどさ」


「はい」


「今みたいに、お前が水の流れを調べてるときも、魔力を使ってるんだよな?」


「もちろんです」


「……全然わからないんだよなあ」


 カイルは自分の手を見下ろした。


「普通の魔法なら光が見えることもあるけど、お前のは何も起きてないみたいに見える」


「必要以上に魔力を漏らさないようにしていますから」


「そこがすごいんだろうな」


「そうでしょうか」


 カイルは呆れたように笑った。


「自覚がないのも相変わらずだな」


 エリアスは少し首を傾げた。


 それから、何か思いついたように手を上げる。


「……少し、試してみますか?」


「今?」


「ええ。修理の準備が整うまで、少し時間がありますから」


 カイルは目を丸くしたあと、嬉しそうに頷いた。


「頼む!」


     ◇


 エリアスは河原に落ちていた丸い小石を二つ拾った。


 片方をカイルへ渡し、もう片方を自分の手のひらに乗せる。


「まず、こちらを見てください」


 エリアスの手にある石が、淡く青く光った。


「魔力を込めました」


「ああ、それはわかる」


「では、こちらは?」


 光が消える。


 石は、ただの灰色の小石に戻った。


 カイルはじっと見つめた。


「……普通の石だな」


「魔力は残っています」


「えっ?」


「光を出す術式だけを解除しました。石の内部には、まだ魔力が留まっています」


 カイルは眉を寄せた。


「見た目じゃわからないんだな」


「はい。魔力感知は、その見えないものを感じ取る技術です」


「なるほど」


 エリアスは頷いた。


「では、目を閉じてください」


 カイルは素直に目を閉じた。


「今から、私が魔力の流れを少し変化させます。その変化を感じ取ってみてください」


「わかった」


「魔力には、周囲の環境と共鳴する性質があります。まず外部からの魔力干渉を受け入れるために、自身の魔力循環を安定させ――」


「待った」


 カイルがすぐに目を開けた。


「もうわからん」


 エリアスは口を閉じた。


「……どの辺りからでしょうか」


「『外部からの魔力干渉』辺りだな」


「最初の方ですね」


「最初の方だ」


 二人は顔を見合わせた。


 エリアスは少し考えた。


「……説明が難しかったですね」


「難しかったな」


「すみません」


「謝ることじゃないさ。ただ、俺にはもう少し簡単な方がありがたい」


 エリアスは手の中の石を見つめた。


 魔力の循環。


 干渉。


 共鳴。


 どれも魔導師にとっては基本的な概念だ。


 しかし、カイルは剣士である。


 魔法理論を学んできたわけではない。


 エリアスはしばらく黙って考え、それから顔を上げた。


「……カイル。剣を振るうとき、相手が動く前に、何となく次の動きを感じることはありますか?」


「あるな。足の運びとか、肩の動きとか、そういうのを見て判断する」


「それは、最初からできましたか?」


「いや。何年も練習したよ」


「では、魔力も似たものだと思ってください」


 エリアスは石を差し出した。


「今は見えていなくても、注意を向けているうちに、普段とは違う感覚に気づくことがあります」


「……相手の剣の動きを読むみたいに?」


「はい。ただし、目ではなく、身体全体で感じるようなものです」


 カイルは石を見つめた。


「それなら、少し想像できる」


 エリアスはほっとしたように微笑んだ。


「よかったです」


「いや、まだできてないぞ」


「そうでした」


 カイルは笑い、もう一度目を閉じた。


 エリアスは石に込めた魔力を、ほんの少しだけ強めた。


「何か感じますか?」


「……いや」


「では、今は?」


「……ん?」


 カイルの眉がわずかに動いた。


「何か……手のひらが、むずむずするような」


 エリアスは石を見下ろした。


 魔力を込めた石は、カイルの手には触れていない。


 風も吹いていなかった。


「もう一度やってみますね」


 魔力を弱める。


 再び強める。


 カイルはじっと目を閉じていた。


 やがて、首を傾げた。


「……今、変わったか?」


「はい」


「本当か?」


「ええ」


 カイルは目を開けた。


「おお……!」


 嬉しそうな声が上がる。


 しかし、エリアスはすぐに付け加えた。


「ただ、今の感覚が魔力によるものかどうかは、もう少し確かめる必要があります」


「そうなのか?」


「はい。私が変化させるとわかっていると、身体が反応したと思い込むこともありますから」


「……なるほど。簡単じゃないんだな」


「ええ。でも、今のような小さな変化に気づこうとすることが大切です」


 カイルは小石を握り直した。


「じゃあ、また練習させてくれ」


「もちろんです」


「今度は、俺がわかったつもりになってるだけなのかも試してくれよ」


 エリアスは頷いた。


「それなら、魔力を込めた石と込めていない石を、見えない状態で比べる方法がよさそうですね」


「お、それならできそうだ」


 カイルは満足そうに笑った。


 エリアスもつられて微笑む。


 教えるというのは、思っていたより難しい。


 けれど、相手のわかる言葉を探すことには、魔法の研究とは違った面白さがあった。


     ◇


 昼を少し過ぎた頃、グレンが石工を連れて戻ってきた。


 新しい石材と、古い金具を取り替えるための道具も用意されている。


 エリアスはまず、水路の内部を調べ直した。


 封水函の周囲に大きな空洞はなく、石組みも修理に耐えられる状態だった。


 そのことを確認してから、作業の順番を説明する。


「私が水の流れを一時的に北側へ移します。その間に、破損した仕切りを交換してください」


 石工の男性は図面を覗き込んだ。


「水を止めていられるのは、どれくらいです?」


「必要な時間は確保できます。ただ、急いで施工すると石がずれる可能性がありますから、普段どおりの手順でお願いします」


「わかりました」


 エリアスは水路へ手を伸ばした。


 青白い光が、指先から奥へ流れ込む。


 封水函の手前で水の流れが分かれ、細い水脈が別の経路へ導かれていった。


 やがて、破損した仕切りの周囲から水が引く。


「……止まりました」


 石工たちは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに作業へ取りかかった。


 古い仕切りを外し、亀裂の入った石を取り除く。


 新しい石材を据え、継ぎ目へ防水用の材料を詰めていく。


 カイルは工具を渡したり、外した石を運んだりして手伝った。


 エリアスは水流を維持しながら、石材へ無理な圧力がかかっていないか確かめていた。


 しばらくして、石工が顔を上げた。


「よし。これでいけます」


「ありがとうございます」


 エリアスは頷き、魔力の操作を少しずつ緩めた。


 水が、修理された封水函へ戻っていく。


 新しい仕切りに沿って流れが分かれ、温水は予定どおり北の沢へ向かった。


 しばらく監視しても、異常な圧力は生じなかった。


「……大丈夫そうですね」


 エリアスはようやく手を下ろした。


 石工たちが顔を見合わせる。


「直った……?」


「ええ。水路は正常に動いています」


 グレンが大きく息を吐いた。


「よかった……!」


 カイルはエリアスの肩を軽く叩いた。


「お疲れさん」


「カイルも、ありがとうございました」


「俺は石を運んだだけだって」


「それも大切な仕事です」


 エリアスは自然に答えた。


 カイルは一瞬黙り、それから照れくさそうに笑った。


     ◇


 村へ戻ると、バルドは修理の報告を聞いて何度も頭を下げた。


 井戸の揚水魔導具も、地下水位に合わせて汲み上げ量を調整することで、安全に使える状態へ戻すことができた。


 倉庫の冷却装置も、地下から伝わる熱が弱まったことで、温度の異常検知が収まりつつあった。


 ただし、エリアスはすぐに通常運転へ戻すことは勧めなかった。


「明日の朝まで水位と温度を確認してから、少しずつ動かしましょう」


「わかりました」


 バルドは頷いた。


「それにしても、こんな古い水路が原因だったとは……」


「水路そのものが悪かったわけではありません。長い間、村の地下水を守っていた設備ですから」


 エリアスは修理の図面を差し出した。


「今後は定期的に点検すれば、同じ問題を防ぎやすくなると思います」


 バルドは図面を大切そうに受け取った。


「村の記録として残しておきます」


「お願いします」


 修理が一段落したことを知り、村人たちの表情にも安堵が広がった。


 その日の夕食には、旅籠の食堂に何人もの村人が集まった。


 主人が作った林檎の煮込み料理が大きな皿で運ばれ、焼きたてのパンが並ぶ。


 エリアスは勧められた料理を一口食べ、目を輝かせた。


「……これは、林檎の酸味がよく合いますね」


 主人が嬉しそうに笑った。


「気に入ったかい?」


「はい。とても」


「だったら、おかわりもあるよ」


「ありがとうございます」


 カイルが横から囁いた。


「お前、また作り方を聞くつもりだろ」


「……わかりますか?」


「わかるよ」


 エリアスは少し驚いた顔をしたあと、笑った。


 明日の朝、装置の状態に問題がなければ、依頼は完了となる。


 その後はフィオーレへ戻り、カイルとの魔力感知の練習を続けることになるだろう。


 エリアスは隣で楽しそうに話すカイルを見た。


 自分の説明が伝わらなかったとき、カイルは遠慮なくわからないと言ってくれた。


 そのおかげで、少しだけ教え方を変えることができた。


 人に教えるのも、悪くないのかもしれない。


 そう思いながら、エリアスはもう一口、林檎の煮込みを味わった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。