↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
平穏を望む宮廷魔導師は、自由気ままに暮らしたい  作者: nene
第3章 湖の街と、初めての旅

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
64/78

第64話 林檎の花咲く村で


 リーヴェル村から正式な返事が届いたのは、エリアスがセレーネから戻って四日目のことだった。


 冒険者ギルドの受付で、エマが一通の書類を差し出す。


「村長さんからです。まずは故障の原因を調べてほしいそうです。修理については、状態を見てから相談したいとのことで」


「わかりました」


 エリアスは依頼書へ目を通した。


 村の共同井戸に設置された揚水魔導具が停止していること。加えて、農作物を保管する倉庫の冷却装置も、数日前から正常に働いていないことが書かれていた。


 井戸そのものが使えないわけではないが、深い場所から水を汲み上げるには人手が必要になる。果樹園の仕事が忙しくなる時期だけに、村では困っているらしい。


「調査は二日ほどを見込んでいるんですね」


「はい。村に宿泊できる場所を用意してくださるそうです」


 エマは書類の末尾を指差した。


「カイルさんも同行されます。荷物の運搬と、街道の案内をお願いしています」


「ありがとうございます」


 エリアスは署名を済ませた。


 エマは書類を受け取りながら、ふと尋ねた。


「セレーネから戻ったばかりなのに、また遠出ですね」


「ええ。でも、今度は少し違いますから」


「違う?」


「観光だけではなく、誰かのお役に立てるかもしれません」


 エマは微笑んだ。


「村の方も喜ばれると思います」


 エリアスは頷いた。


 以前なら、こうした依頼を受けるために出かけようとは考えなかっただろう。


 王宮から命じられた仕事ならともかく、自分から見知らぬ村を訪ねるなど。


 けれど今は、知らない土地へ行くことそのものが楽しみになっていた。


     ◇


 出発の朝、カイルは小さな幌馬車を借りて迎えに来た。


 荷台には工具箱と予備の魔石が積まれている。


「おはよう、エリアス。準備はいいか?」


「はい」


 エリアスは門を閉め、鞄を持ち上げた。


 庭の花壇には、マルタと立てた支柱が並んでいる。今回も水やりをお願いしていたが、セレーネ旅行より短い滞在になる予定だった。


 カイルが荷物を受け取りながら言った。


「今回は何冊持ってきた?」


「本ですか?」


「ああ」


「一冊です」


「よし」


「それと、作業用の資料が三冊あります」


 カイルの手が止まった。


「……結局四冊じゃないか」


「資料は読むためではなく、調べるためのものですから」


「そういう問題か?」


 エリアスは少し考えた。


「……違いましたか?」


 カイルは声を立てて笑った。


「いや、いいよ。今回は仕事だからな」


 リュカが馬車の座席へ飛び乗った。


 慣れた様子で丸くなる姿を見て、カイルが感心する。


「こいつも、すっかり旅慣れたな」


「そうですね。ただ、船にはまだ乗りたくなさそうです」


「今日は船には乗らないから安心しろよ」


 リュカは返事をするように一度だけ尾を振った。


 馬車は北へ向けて走り出した。


     ◇


 リーヴェル村に近づくにつれて、街道の両側に果樹園が増えていった。


 白い花を咲かせた林檎の木が、斜面に沿って何列も並んでいる。


 枝の間では蜜蜂が飛び交い、風が吹くと花びらが細かく舞った。


「……きれいですね」


 エリアスは窓の外を眺めた。


「今がちょうど花の時期なんだ」


 カイルは手綱を握り直した。


「秋は実がなるから、もっと賑やかになるぞ」


「秋にも来てみたいです」


「気に入ると思ったよ」


 やがて、小さな石橋を渡ると、村の入口が見えてきた。


 低い石垣に囲まれた家々。屋根の上で煙を上げる煙突。庭先には薪が積まれ、子供たちが木の枝を持って走り回っている。


 フィオーレよりもずっと小さな村だった。


 広場には共同井戸があり、その隣には大きな木製の水槽が設けられていた。


 水槽へ水を送るはずの管からは、一滴も水が落ちていない。


「……あれですね」


 エリアスが言うと、カイルも頷いた。


「ああ。まずは村長に挨拶しよう」


 二人が馬車を停めると、役場の前から初老の男性が歩いてきた。


「フィオーレからいらした方々ですかな?」


「はい。カイル・ヴァルディスです」


「エリアス・レインフォードと申します」


 エリアスが名乗ると、男性は一瞬だけ動きを止めた。


「……レインフォード?」


「はい」


「もしや、王宮にお仕えの……」


 エリアスは少し困ったように微笑んだ。


「現在は休暇をいただいております。今日は冒険者ギルドからの依頼で伺いました」


 男性は慌てて背筋を伸ばした。


「これは失礼いたしました! 私は村長のバルドと申します。まさか、そのような方に来ていただけるとは……」


「どうぞ、普段どおりに接してください。設備の状態を確認するために参りましたので」


 バルドは何度か頷いた。


 それでも、先ほどまでの気安い様子は消えてしまっている。


 カイルが横から笑った。


「村長さん、こいつは普通に話してもらった方が喜びますよ」


「し、しかし……」


「本当です」


 エリアスも頷いた。


「それに、まずは井戸を見せていただけると助かります」


 その言葉に、バルドはようやく仕事を思い出したようだった。


「そ、そうでしたな。こちらです!」


     ◇


 共同井戸の揚水魔導具は、古いが丁寧に使われていた。


 石造りの井戸の脇に、魔石を収める装置が設置されている。


 装置の側面には、小さな制御盤があった。


 エリアスは蓋を開け、内部の術式を確認した。


「……なるほど」


 魔石の残量は十分だった。


 配線にも目立った傷みはない。


 しかし、魔力を水の汲み上げに変換する部分だけが、うまく働いていない。


「故障の原因は、わかりそうか?」


 カイルが尋ねた。


「ええ。少し調べれば」


 エリアスは指先に小さな魔法陣を浮かべた。


 淡い光が制御盤へ流れ込み、内部の術式が順番に浮かび上がる。


 そこには、一般的な揚水装置とは少し違う構造があった。


「……この装置、改良されていますね」


 バルドが頷いた。


「十年ほど前、旅の魔導技師に手を加えてもらいましてな。水を汲み上げる量が増えるように」


「そうでしたか」


 エリアスは術式の接続をひとつずつ確認した。


 そして、ある部分で手を止めた。


「……ここですね」


 カイルが身を乗り出す。


「何かわかったのか?」


「魔力の供給が止まったのではありません。装置が、自分で動作を止めています」


「自分で?」


「はい。内部の保護術式が働いているようです」


 エリアスは説明した。


 改良された装置には、過剰な負荷がかかった場合に停止する仕組みが組み込まれていた。


 通常なら、一定時間が経過すれば自動的に復旧する。


 しかし今回は、保護術式が解除されない状態になっていた。


「……つまり、壊れているわけではないのか?」


 バルドが尋ねた。


「今のところ、主要な部品に破損は見当たりません。ただ、何かが異常だと判断して、装置が止まっているんです」


 エリアスは井戸の内部へ目を向けた。


「水量を確認してもよろしいでしょうか」


「もちろんです」


 バルドは頷いた。


 エリアスは井戸の縁へ近づき、静かに魔力を広げた。


 水面の位置。


 地下水の流れ。


 石壁の状態。


 必要な情報だけを拾い上げる。


 その精密な魔力操作を、バルドは息を呑んで見つめていた。


 エリアスはしばらくして顔を上げた。


「……水が、以前より少し減っているようです」


「えっ?」


「井戸が枯れるほどではありません。でも、汲み上げる量が多い状態が続くと、保護術式が働くようになっていたのでしょう」


 バルドは眉を寄せた。


「確かに、今年は雨が少なかったのですが……」


「装置そのものは正常に危険を知らせています。無理に動かしていたら、井戸の水位がさらに下がっていたかもしれません」


 エリアスは静かに答えた。


「まずは、汲み上げる量を減らす必要がありますね」


 バルドは深く頷いた。


「なるほど……そういうことでしたか」


 カイルが腕を組む。


「ってことは、冷却装置も同じ原因か?」


「それは、見てみないとわかりません」


 エリアスは制御盤を閉じた。


「ただ、別の場所でも同じ時期に止まったのなら、共通する事情があるかもしれませんね」


     ◇


 共同倉庫は、村の西側にあった。


 石造りの大きな建物で、内部には果物の保存箱や穀物の袋が並んでいる。


 冷却装置は、奥の壁に設置されていた。


 こちらも古い機械だったが、普段から手入れされていることがわかる。


「三日前から、冷えなくなりまして」


 倉庫を管理する女性が説明した。


「最初は魔石を交換したんです。でも、何も変わらなくて」


「わかりました。確認します」


 エリアスは制御盤を開けた。


 井戸とは違う種類の装置だ。


 しかし、内部の術式を読み取るうちに、気になることが見つかった。


「……こちらも、保護術式が働いていますね」


 カイルが顔を上げる。


「同じ原因か?」


「いえ。仕組みは似ていますが、停止した理由は違います」


 エリアスは説明を続けた。


 冷却装置は、内部の温度が急激に変化した場合、魔石へ負担がかからないよう動作を止める。


 今回、その温度を読み取る部分が異常な数値を示していた。


「……でも、倉庫の温度はそれほど高くありませんね」


 エリアスは壁へ目を向けた。


 石壁は厚く、外気の影響を受けにくい構造になっている。


 それなのに、装置は異常な温度を検知している。


「少し、周囲を調べます」


 エリアスは床へ手をかざした。


 細い魔力が石材の間を滑るように広がっていく。


 その反応を追った瞬間、彼はわずかに眉を上げた。


「……地下に、熱が溜まっていますね」


「地下に?」


 カイルが尋ねた。


「はい。地表近くではありません。もう少し深い場所です」


 エリアスは倉庫の管理人へ向き直った。


「この辺りで、最近何か工事をされましたか?」


 女性は少し考えた。


「工事……ああ、村の北側で新しい貯水池を掘っています」


「貯水池ですか」


「はい。今年は雨が少ないので、畑の水を確保しようという話になりまして」


 エリアスは頷いた。


「それなら、地面の状態が変わった可能性もありますね」


 カイルが腕を組む。


「……地下の水と熱か。何かつながってるのか?」


「まだ断定はできません」


 エリアスは落ち着いた声で答えた。


「ただ、井戸の水位が下がり、倉庫の地下に熱が溜まっている。どちらも地中の環境が変化した結果かもしれません」


 バルドは不安そうに顔を上げた。


「……それは、危険なのでしょうか」


「今すぐ村を離れるような状況ではありません」


 エリアスは答えた。


「ですが、原因を確かめずに装置だけ直しても、また同じことが起きると思います」


 少し考えたあと、続けた。


「明日、貯水池の工事現場を見せていただけますか?」


「もちろんです」


 バルドは頷いた。


「必要なことがあれば、何でもお申しつけください」


「ありがとうございます」


 エリアスは小さく微笑んだ。


 カイルが隣で肩をすくめる。


「……どうやら、ただの修理じゃ済まなそうだな」


「そうですね」


 エリアスは倉庫の床を見つめた。


 深い場所にある、弱い熱の反応。


 それは地中から自然に上がってきているようにも見えた。


 ただ、その広がり方には少し不自然な部分がある。


 何かが熱を発しているのか。


 それとも、別の場所から運ばれてきているのか。


 詳しく調べる必要がありそうだった。


     ◇


 夕方、二人は村長が用意してくれた宿へ向かった。


 村の広場に面した、小さな旅籠だった。


 一階は食堂になっており、二階に客室が三つある。


 宿の主人は気さくな女性で、二人を見ると笑顔で迎えた。


「よく来てくれたね。村長から話は聞いてるよ」


「お世話になります」


 エリアスが頭を下げると、女性は手を振った。


「そんなにかしこまらなくていいよ。ここじゃ、みんな同じお客さんだから」


 エリアスは少し安心したように微笑んだ。


「ありがとうございます」


「それにしても、うちの村の井戸が止まったって聞いたときは驚いたよ。あれがないと、毎朝水を汲むのが大変でねえ」


「そうですね」


 エリアスは頷いた。


「原因は少しわかってきました。明日、もう一度確認してみます」


「それはありがたいね」


 女性は嬉しそうに笑った。


「今夜はゆっくり休んでおくれ。夕飯は、林檎を使った料理を出すよ」


「林檎料理ですか?」


 エリアスが顔を上げると、女性は頷いた。


「この村の名物さ。肉と一緒に煮込むと、柔らかくなるんだよ」


 エリアスは目を輝かせた。


「……それは、楽しみです」


 カイルが横で笑った。


「やっぱり、そこが一番気になるんだな」


「いえ。お仕事のことも考えていますよ」


「わかってるって」


 二人は笑い合った。


     ◇


 夕食のあと、エリアスは宿の外へ出た。


 空はすっかり暗くなり、村の家々には小さな灯りがともっている。


 遠くの果樹園から、花の香りを含んだ風が吹いてきた。


 リュカはエリアスの腕の中で、眠たそうに目を細めている。


 カイルも少し遅れて外へ出てきた。


「何してるんだ?」


「少し、夜の空気を吸おうと思いまして」


「そうか」


 カイルは隣へ立った。


 しばらく、二人は黙って村の景色を眺めていた。


 やがて、カイルが口を開いた。


「……セレーネから帰ってきて、何か変わったか?」


 エリアスは少し驚いた。


「変わった、ですか?」


「ああ。前より、遠くへ行くのが楽しそうに見えるからさ」


 エリアスは考えた。


 確かに、以前はただ静かな場所で暮らしたかった。


 宮廷の仕事から離れ、本を読み、庭の手入れをして過ごす。


 それだけで十分だと思っていた。


 けれど、セレーネの湖を見たとき。


 アルトヴィアでエマリエと出会ったとき。


 湖灯祭で無数の灯りが浮かぶ光景を眺めたとき。


 知らない世界には、まだ見てみたいものがたくさんあると感じた。


「……そうですね」


 エリアスは静かに答えた。


「以前より、いろいろな場所へ行ってみたいと思うようになりました」


 カイルは微笑んだ。


「いいことじゃないか」


「はい。ただ……」


「ただ?」


「フィオーレも、とても気に入っています」


「そりゃそうだろ」


 カイルは笑った。


「でも、ずっとそこにいなきゃいけないわけじゃないだろ?」


 エリアスは顔を上げた。


「……そうですね」


「家があるなら、帰ってくればいい。別の場所が気に入ったら、しばらく滞在してみてもいいんじゃないか?」


 エリアスはしばらく考えていた。


 フィオーレの家。


 庭の花。


 ミラやノアたち。


 どれも大切だった。


 けれど、それらがあるからといって、遠くへ行ってはいけないわけではない。


 むしろ、帰る場所があるからこそ、安心して旅ができるのかもしれない。


「……カイル」


「ん?」


「私、いつか別の国にも行ってみたいです」


 カイルは少し目を丸くした。


「ほう」


「王都にいた頃は、仕事で訪れたこともありますが……今度は、自分の意思で」


 エリアスは夜空を見上げた。


「知らない街で暮らしてみたり、その土地の文化や魔法を学んでみたり」


 カイルはしばらく黙っていた。


 それから、嬉しそうに笑った。


「いいじゃないか」


「……そうでしょうか」


「ああ。お前には、そういう旅が似合うと思うぞ」


 エリアスは微笑んだ。


 カイルは腕を組んだ。


「ただ、遠い国へ行くなら、ちゃんと準備しろよ。旅券とか、滞在許可とか、いろいろあるからな」


「はい。王都にも連絡しようと思っています」


「そうだな。宮廷魔導師が突然国外へ出たら、向こうも驚くだろうし」


 エリアスは少し困ったように笑った。


「……確かに、オスカーには先に伝えておいた方がよさそうですね」


 カイルも笑った。


「それがいい」


 夜風が、二人の間を通り抜けた。


 遠くでは、林檎の花が月明かりを受けて白く浮かんでいる。


 エリアスはその景色を眺めながら、静かに微笑んだ。


 次の旅は、まだ決まっていない。


 行き先も、日程も。


 けれど、いつか本当に、国境を越えてみたい。


 そんな新しい願いが、胸の中に生まれていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。