↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
平穏を望む宮廷魔導師は、自由気ままに暮らしたい  作者: nene
第2章 花咲く家と、森の古い約束

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
50/77

第50話 七十年前に守られたもの


 その朝、フィオーレの北東地区で、一部の道が通行止めになった。


 知らせが届いたのは、エリアスが庭の花壇に水をやっているときだった。


「エリアスさん!」


 門の向こうからカイルが声をかける。


 振り返ると、彼はいつもの軽い足取りとは違い、少し急いだ様子で歩いてきた。


「おはようございます。どうされました?」


「テレサから連絡があったんだ。例の斜面で、小さな地盤の沈み込みが見つかったらしい」


 エリアスは水差しを置いた。


「……北東側の斜面ですか?」


「ああ。夜のうちに、道の端が少し下がったんだと」


「けがをされた方は?」


「いない。朝の巡回で見つけたらしいからな」


 エリアスは安堵した。


 ただ、地盤が不安定だと報告されていた場所で実際に沈み込みが起きたのなら、確認しておく必要がある。


「テレサさんは、現地に?」


「もう行ってる。セドリックも立ち会うらしい」


「わかりました。私も向かいます」


 エリアスは家へ戻り、観測器と手帳を鞄に入れた。


 居間では、リュカが窓辺の日だまりに丸くなっていた。


「少し出かけてきます」


 リュカが顔を上げる。


「今日は地面の調査ですから、ここで休んでいてくださいね」


 白い獣はエリアスを見つめたあと、再び前脚へ顎を載せた。


 エリアスは小さく笑い、玄関へ向かった。


     ◇


 北東地区へ続く道には、すでに縄が張られていた。


 通行止めの向こうでは、測量員が地面に印をつけている。


 近くに集まった住民たちは、少し不安そうな顔で作業を眺めていた。


「おはよう、エリアス」


 テレサが顔を上げた。


 いつもの道具鞄に加え、今日は大きな測量器を持っている。


「おはようございます。状況はいかがですか?」


「今のところ、沈んだのは道の端だけ。深さもそれほどじゃないわ」


 彼女は足元の地面を指差した。


 道路の脇に、細い亀裂が走っている。


「ただ、下に空洞がある可能性が高いの。だから、念のため通行を止めてもらった」


 エリアスは少し離れた位置から亀裂を確認した。


「……以前の調査で、流路が交わっていた場所ですね」


「そう。まさにそこよ」


 テレサは地図を広げた。


「この辺り、七十年前に水路の一部を閉鎖した記録があったでしょう?」


「はい」


「その工事の跡と、今の沈み込みが重なってるのよ」


 エリアスは地図へ目を落とした。


 古い水路。


 七十年前の補修工事。


 そして、後から追加された点検口。


 それらが、ひとつの場所へ集まっている。


「……地下の石材が傷んでいるのでしょうか」


「それも考えられる。ただ、まだ確かめられないのよ」


 テレサは少し唇を結んだ。


「今は無理に掘らない方がいい。周囲の地面まで崩れたら困るもの」


「そうですね」


 エリアスは頷いた。


 そのとき、セドリックが近づいてきた。


「エリアス殿。お越しいただきありがとうございます」


「いえ。何かお手伝いできればと思いまして」


「助かります」


 セドリックは地図へ目を向けた。


「周辺の住民には、しばらく迂回路を使っていただくことにしました。馬車も別の通りへ回しています」


「それなら安心ですね」


「ただ、この道は市場へ続く生活道路でもあります。長期間閉鎖するわけにはいきません」


 テレサが腕を組んだ。


「わかってます。でも、原因がわからないまま埋め戻すのは危険よ」


「ええ。そのために、皆さんへ相談しています」


 セドリックは落ち着いた声で答えた。


 エリアスは二人の話を聞きながら、地下の魔力を確かめた。


 観測器の水晶が淡く光る。


 北から南へ向かう流れは、以前と変わらない。


 その一方で、南から戻る弱い反応が、少し不規則になっていた。


「……戻りの流れに、乱れがあります」


 エリアスが言うと、テレサが顔を上げた。


「地盤の変化と関係があると思う?」


「まだわかりません。ただ、流路が交わる場所ですから、無関係とは考えにくいですね」


 テレサは頷いた。


「だったら、地面の状態と一緒に記録しましょう」


 彼女は測量員へ声をかけた。


「今日は、魔力の変化と地盤の振動を同じ時刻で測るわよ」


 作業員たちが動き始める。


 エリアスも観測器を据え直した。


 以前なら、ひとりで地下の術式を解析しようとしていたかもしれない。


 しかし、今は違う。


 地面のことはテレサに。


 街の管理はセドリックに。


 周囲の安全確認はカイルに。


 それぞれの役割が、自然に分かれていた。


     ◇


 調査を始めて一時間ほど経った頃だった。


 テレサが記録紙を見て、眉を寄せた。


「……エリアス、ちょっと来て」


 彼は観測器から顔を上げた。


「何かありましたか?」


「これ、見て」


 差し出された紙には、地中の振動を示す線が描かれていた。


 小さな揺れが、一定の間隔で繰り返されている。


「……昨日の記録と似ていますね」


「ええ。でも、今日は場所を変えて測ってるの」


 テレサは別の紙を並べた。


「道の北側と南側で、同じ振動が確認できた。ただ、強さが違うのよ」


 エリアスは二枚を見比べた。


 北側では弱く、南側では少し強い。


「……南側から伝わっているのでしょうか」


「そう考えたんだけどね」


 テレサは地図を指差した。


「振動が強くなる場所が、ちょうど古い点検口の位置と重なってるの」


 エリアスは地図を覗き込んだ。


 七十年前の工事記録に描かれた、小さな丸印。


 その印は、現在の道路の下にあった。


「……ここにも点検口が?」


「そうらしいわね」


 テレサは頷いた。


「ただし、地面の下に埋まってる。今は開けられないわ」


 エリアスは考え込んだ。


 庭の北側に残る石の蓋。


 鈴蘭亭の床下にある古い石の溝。


 そして、道路の下に埋まった点検口。


 それらは、別々の設備ではないのかもしれない。


「……点検口が、振動を伝えているのでしょうか」


 エリアスが言うと、テレサは少し考えた。


「可能性はあるわ。でも、逆かもしれない」


「逆、ですか?」


「ええ。点検口の下にある何かが動いていて、その振動が石枠を通して地面へ伝わっているとか」


 エリアスは目を細めた。


 それなら、雨の日に庭の下から聞こえた音にも説明がつく。


 水の音だと思っていたものが、実は古い設備の作動音だった可能性もある。


 ただ、今のところ断定はできない。


「……もう少し調べる必要がありますね」


「そうね」


 テレサは頷いた。


「でも、今日はこれで十分よ。危ない場所に近づかずに、ここまでわかったんだから」


 エリアスも頷いた。


 急いで答えを出す必要はない。


 まずは、安全を確かめることが先だった。


     ◇


 午後、セドリックの執務室で、調査結果の報告が行われた。


 テレサは地盤の状態を説明し、エリアスは魔力の観測記録を提示した。


 カイルは周辺の道や斜面を確認した結果を報告する。


 セドリックは三人の話を聞き、最後に静かに頷いた。


「……なるほど。現時点では、地盤の沈み込みと地下流路の関係は否定できない、ということですね」


「はい」


 テレサが答えた。


「ただ、原因がはっきりしない以上、すぐに工事を始めるのは避けたいです」


「わかりました」


 セドリックは書類へ記入した。


「では、当面は通行止めを継続し、周辺の状態を監視しましょう」


 エリアスは少し考えた。


「……ひとつ、提案してもよろしいでしょうか」


「もちろんです」


「地盤の補強工事を始める前に、古い点検口の位置をもう少し正確に確認できないでしょうか」


 テレサが頷いた。


「それなら、地表から測れるわ」


「ありがとうございます」


 エリアスは続けた。


「点検口が流路の一部なら、位置がわかるだけでも、どこに負荷がかかっているのか判断しやすくなると思います」


 セドリックは少し考えた。


「……そうですね。それなら、まずは追加測量をお願いしましょう」


 話がまとまると、カイルが椅子へ深く座り直した。


「いやあ、今日は結構歩いたな」


「あなたは、途中で何度も休んでいたでしょう」


 テレサが言う。


「休んでたんじゃなくて、周囲を見てたんだよ」


「そういうことにしておくわ」


 カイルは肩をすくめた。


 エリアスは小さく笑った。


 セドリックも、ようやく少し表情を和らげた。


「皆さん、お疲れさまでした。今日はここまでにしましょう」


     ◇


 その夜、王都の王宮では、古い書類箱の開封が行われていた。


 立ち会っているのは、オスカーと王立魔導院の研究員二名、それに記録管理官だった。


 木箱は慎重に開けられ、中から薄い冊子と数枚の図面が取り出された。


 表紙には、七十年前の文字でこう記されている。


『北方境界術式 補足安全調査』


 オスカーは冊子を手に取った。


 紙は黄ばんでいたが、文字ははっきり残っている。


 研究員が隣で説明を始めた。


「……これは、改修計画の再審査に提出された資料のようです」


「内容は?」


「中央調整部を再起動する前に、地下流路の状態を確認すべきだと記されています」


 オスカーはページをめくった。


 そこには、古い水路の断面図が描かれていた。


 上側には水を通すための溝。


 下側には、魔力を循環させるための細い流路。


 その二つが、一定の間隔で石枠によって支えられている。


「……水路と魔力の流路が、重なっているのですね」


 オスカーが言うと、研究員は頷いた。


「はい。しかも、地上の水路を閉鎖しても、下側の魔力流路は独立して働くようです」


 オスカーは別のページへ目を向けた。


 そこには、ヴェルナーの筆跡と思われる短い文章が記されていた。


『現地の地下流路は、地盤の変化によって一部が変位している。』


『中央調整部を再起動する場合、帰還流路に過度の負荷が生じるおそれあり。』


 オスカーは静かに息を吸った。


「……だから、再起動を止めたのですか」


「少なくとも、危険性を指摘していたことは確かです」


 研究員は慎重に答えた。


「ただし、最終的に誰が延期を決定したのかは、この資料だけではわかりません」


 オスカーは頷いた。


 冊子の後半には、補修案がいくつか記されていた。


 しかし、そのどれにも、実施されたという印はない。


 最後のページには、ヴェルナー自身の署名が残されている。


 そして、その下に短い一文があった。


『守るべきは、術式ではなく、その上に暮らす人々である。』


 オスカーはしばらく、その言葉を見つめていた。


 七十年前、ヴェルナーは古い結界を完成させることよりも、街の安全を優先しようとしていた。


 少なくとも、ここに残された報告書からはそう読み取れた。


「……この資料は、陛下にもお見せしましょう」


 オスカーが言うと、研究員たちは頷いた。


 長い間不明だった改修計画の延期理由に、ようやく手がかりが見つかった。


 ただ、まだ解決していないこともある。


 補助観測施設が現在も残っているのか。


 地下流路が今も動いているのか。


 そして、中央調整部がどうなっているのか。


 オスカーは冊子を閉じた。


 それらを確かめるには、現地の調査が必要になるだろう。


 しかし、今すぐ大がかりな調査隊を派遣するべきかどうかは、まだ判断できなかった。


     ◇


 翌朝、フィオーレの新しい家では、エリアスが庭の椅子に座っていた。


 膝の上には、セレーネの旅行案内が開かれている。


 湖灯祭の絵には、夜の湖に浮かぶ無数の灯りが描かれていた。


 エリアスはしばらく、その景色を眺めていた。


「……きれいですね」


 足元でリュカが顔を上げる。


「実際に見たら、もっときれいなのでしょうね」


 リュカは小さく鳴いた。


 エリアスは笑った。


 そのとき、門の外から声がした。


「エリアスさん!」


 ノアだった。


「おはようございます」


「おはようございます! ちょっと届け物です」


 ノアは小さな包みを差し出した。


「母さんから。昨日、調査で忙しかったって聞いたので」


 中には、焼きたてのパンと小さな焼き菓子が入っていた。


「……ありがとうございます」


「それと、今度の料理の練習なんですけど」


 ノアは少し楽しそうに言った。


「次は、鶏肉の香草焼きにしましょうか」


「ぜひお願いします」


「じゃあ、今度の休業日の午後でどうですか?」


「はい。予定を確認しておきます」


 ノアは頷いた。


 それから、エリアスの膝の上にある旅行案内へ目を向けた。


「あ、セレーネ!」


「ご存じですか?」


「もちろんです。湖灯祭、すごく有名ですよ」


「来月、カイルと行くことになりまして」


「いいですね!」


 ノアは目を輝かせた。


「僕も一度行ってみたいんです。湖に灯りが浮かぶところ、写真みたいにきれいだって聞きました」


 エリアスは少し考えた。


「……よろしければ、何かお土産を買ってきます」


「本当ですか?」


「はい。何がお好きですか?」


 ノアは少し悩んだ。


「うーん……じゃあ、セレーネのお菓子がいいです!」


「わかりました」


 エリアスは笑った。


「楽しみにしていてください」


 ノアは嬉しそうに頷いた。


 そして、鈴蘭亭の仕事へ戻っていった。


 エリアスは包みを持って家へ入り、食卓へ置いた。


 リュカがすぐに近づいてくる。


「……あなたの分は、あとで用意しますよ」


 白い獣は鼻先で包みを確かめたあと、椅子の下へ戻っていった。


 エリアスは小さく笑った。


 七十年前の研究は、少しずつ輪郭が見えてきている。


 地盤の調査も、必要な範囲で進んでいた。


 けれど、今の彼には、それだけがすべてではない。


 庭には花が咲き、友人たちとの約束がある。


 そして、来月には初めての旅行が待っている。


 エリアスは窓の外へ目を向けた。


 白い花をつけた木が、朝の風に揺れていた。


 フィオーレでの暮らしは、今日も穏やかに続いていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。