↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
平穏を望む宮廷魔導師は、自由気ままに暮らしたい  作者: nene
第2章 花咲く家と、森の古い約束

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
47/77

第47話 古い手紙と、旅の誘い


 エリアスが封筒を鞄にしまったのは、朝食を終えたあとだった。


 宛先は、以前この家に住んでいたルーヴェル夫妻。


 昨夜書いた手紙を、今日、不動産屋へ預けに行くつもりだった。


 庭の木が元気に花を咲かせていること。書斎の本棚を大切に使っていること。そして、雨の日に聞こえる不思議な音について、もし覚えていることがあれば教えてほしいということ。


 読み返したところ、少し長くなってしまった気もした。


 けれど、初めて手紙を送る相手なのだから、事情はきちんと説明しておきたかった。


「では、行ってきます」


 玄関で靴を履きながら声をかけると、リュカが廊下の奥から顔を出した。


 今日も一緒に行きたそうな様子だったが、朝から外は風が強い。


「今日は近くへ行くだけですから、お留守番をお願いしますね」


 リュカはしばらくエリアスを見つめたあと、居間へ戻っていった。


 最近は、留守番にもすっかり慣れてきたらしい。


 少し寂しいような気もして、エリアスはひとりで笑った。


 門を出ると、隣の庭でマルタが花の手入れをしていた。


「あら、お出かけ?」


「おはようございます。ルーヴェルさんへ手紙を預けてこようと思いまして」


「まあ、もう書いたのね」


「はい。お返事をいただけるかはわかりませんが」


「きっと喜ぶわよ。あの家を大事に使ってくれる人がいるって知ったらね」


 マルタは鋏を置いた。


「そういえば、ルーヴェルさんのお奥さんは、花が好きな人だったのよ」


「そうなのですか?」


「ええ。あの白い花の木も、奥さんが選んだものなの」


 エリアスは庭を振り返った。


 今朝も小さな白い花が風に揺れていた。


「……そうだったのですね」


「旦那さんは本と昔の街の話ばかり。奥さんは庭のことばかり。それで、よく二人で言い合っていたわ」


 マルタは懐かしそうに笑った。


「でもね、毎年あの木に花が咲くと、二人で庭に椅子を出してお茶を飲んでいたのよ」


 エリアスは、木の下に置いた自分の椅子を思い出した。


 知らず知らずのうちに、以前の住人と似たことをしていたらしい。


「……素敵ですね」


「そうでしょう?」


 マルタは頷いた。


「だから、花が終わっても枝を切りすぎないであげてね」


「はい。気をつけます」


 エリアスは笑って頭を下げた。


     ◇


 不動産屋では、以前対応してくれた女性が手紙を預かってくれた。


「ルーヴェル様のご家族へ確認して、お届けいたしますね」


「よろしくお願いします」


「お返事が届きましたら、ご連絡いたします」


 エリアスは礼を述べ、店を出た。


 すぐに返事が来るとは思っていない。


 相手にも暮らしがあるし、遠くへ移り住んでいるのだから、手紙の往復には時間がかかる。


 それまでは、今わかっていることを整理しておけばいい。


 そう考えながら中央広場へ向かうと、ちょうど荷馬車が通りかかった。


 馬車には大きな木箱が積まれ、横には見慣れない街の名前が書かれている。


『湖畔都市セレーネ』


 エリアスは足を止めた。


 セレーネ。


 リュネリア地方の南西にある、湖沿いの交易都市だった。


 名前は知っている。


 宮廷にいた頃、セレーネで作られた魔導具を取り寄せたこともある。


 しかし、自分で訪れたことはなかった。


 馬車が通り過ぎると、反対側からカイルが歩いてきた。


「お、エリアス!」


「こんにちは、カイル」


「ちょうどよかった。今から会いに行こうと思ってたんだ」


「私にですか?」


「ああ。ちょっと話があってな」


 カイルは広場の向こうを指差した。


「時間があるなら、あそこの店で茶でも飲まないか?」


「もちろんです」


 二人は広場の角にある小さな喫茶店へ入った。


     ◇


 店内には焼き菓子の甘い香りが漂っていた。


 窓際の席へ座ると、カイルは紅茶を二つ注文した。


「それで、話というのは?」


 エリアスが尋ねると、カイルは懐から一通の封書を取り出した。


「昔の仲間から連絡が来たんだ」


「冒険者の方ですか?」


「ああ。今はセレーネで仕事をしてる」


 カイルは封書を机へ置いた。


「来月、あっちで湖灯祭があるんだとさ」


「湖灯祭……」


「知ってるか?」


「名前だけは。湖に明かりを浮かべるお祭りですよね」


「そうそう。船も出るし、夜になると湖沿いの街じゅうに灯りが並ぶんだって」


 カイルは楽しそうに話した。


「それで、久しぶりに遊びに来ないかって誘われた」


 エリアスは紅茶のカップを持ち上げた。


「いいですね。ぜひ楽しんできてください」


「いや、そうじゃなくて」


 カイルは笑った。


「お前も一緒に行かないか?」


 エリアスはカップを持ったまま固まった。


「……私も、ですか?」


「ああ」


「ですが、お友達との約束なのでは?」


「昔の仲間だからな。お前を紹介しても喜ぶと思うぞ」


 カイルは何でもないことのように言った。


「それに、セレーネには大きな市場もあるし、古書店も多い。魔導具の工房も有名だ。お前、好きそうだろ?」


 エリアスは少し考えた。


 セレーネ。


 王都から何度も名前を聞いていた都市。


 けれど、実際に歩いたことはない。


 湖沿いに並ぶ店。


 遠くから訪れる商人たち。


 夜の水面へ浮かぶ灯り。


 想像するだけで、少し胸が弾んだ。


「……行ってみたいです」


 思わず答えると、カイルは嬉しそうに笑った。


「だろ?」


「はい。ただ……」


「ただ?」


「リュカも一緒に行けるでしょうか」


 カイルは一瞬黙った。


 それから、声を立てて笑った。


「そこが最初に気になるのか!」


「大切なことですから」


 エリアスは真面目に答えた。


 カイルは笑いをこらえながら頷いた。


「もちろん、連れていける宿を探すよ。人の多い場所では気をつける必要があるけどな」


「ありがとうございます」


「まだ少し先だし、急いで決めなくていいぜ」


 カイルは紅茶を飲んだ。


「それまでに、こっちの調査もひと段落するといいな」


 エリアスは頷いた。


「そうですね」


 古い結界については、まだ確かめたいことがある。


 けれど、それを理由に旅行を諦める必要はないはずだった。


 今は宮廷の勤務時間に縛られていない。


 予定を自分で決められる。


 そのことを、エリアスは改めて実感した。


「……旅行の準備は、何から始めればよいのでしょう」


 尋ねると、カイルは少し目を瞬かせた。


「何からって……まず宿じゃないか?」


「宿、ですか」


「あと、馬車の時間と荷物だな」


「なるほど」


 エリアスは手帳を取り出した。


 カイルが身を乗り出す。


「おいおい、今から書くのか?」


「忘れてしまうと困りますので」


「まだ行く日も決まってないぞ」


「では、日付は空けておきます」


 エリアスが真剣に答えると、カイルは額を押さえて笑った。


「……ほんと、お前と一緒に旅したら退屈しなさそうだ」


 エリアスは首を傾げた。


 旅行の予定を記録することの、どこがおかしいのだろう。


 結局、理由はわからなかった。


     ◇


 午後、エリアスはクロイス古書店へ向かった。


 レオンハルトには、テレサが見つけた古い地盤調査の記録について相談する約束があった。


 店へ入ると、レオンハルトは奥で古い帳簿を読んでいた。


「こんにちは」


「……来たか」


 彼は帳簿を閉じた。


「ちょうど、こちらも見せたいものがある」


「何でしょう?」


「以前話していた、ヴェルナーの改修記録だ」


 エリアスは椅子へ腰を下ろした。


 レオンハルトは一枚の紙を取り出した。


「古い資料を整理していたら、当時の工事に使われた石材の記録が出てきた」


「石材、ですか?」


「ああ。直接魔法に関係するものではないが、妙な数字が残っている」


 彼は紙の一行を指差した。


『補助流路整備用石材 三十二基』


 エリアスはその文字を読んだ。


「……三十二基?」


「そうだ」


 レオンハルトは頷いた。


「観測施設は三か所しか確認されていない。水路の補修用だとしても、少し数が多い」


「途中に点検用の設備があったのかもしれませんね」


「俺もそう考えた」


 レオンハルトは別の紙を広げた。


 そこには、古い石材の形が描かれていた。


 四角い石枠。


 中央には、小さな丸い穴。


 そして、側面には溝が刻まれている。


 エリアスは思わず身を乗り出した。


「……これ」


「見覚えがあるか?」


「はい。私の家の庭に、似た構造物があるかもしれないんです」


 レオンハルトが顔を上げた。


「庭に?」


「ええ。以前の住人が、石の蓋を見つけていたそうで」


 エリアスはテレサの調査について説明した。


 石塀の下に続く硬い層。


 雨の日に聞こえる音。


 そして、古い蓋が埋まっている可能性。


 レオンハルトは黙って聞いていた。


「……なるほどな」


 彼は図面をもう一度見た。


「それなら、三十二基というのは観測施設ではなく、流路の点検口だったのかもしれない」


「点検口……」


「ああ。地下の状態を調べたり、詰まりを確かめたりするためのものだ」


 エリアスは考え込んだ。


 それなら、ルーヴェルが庭の地下を気にしていた理由にも説明がつく。


 彼は魔法の仕組みを知らなくても、古い点検口の存在には気づいていたのかもしれない。


「……ルーヴェルさんへ、手紙を出しました」


 エリアスが言うと、レオンハルトは頷いた。


「それがいい。昔の住人なら、何か知っているかもしれない」


「はい。お返事を待ってみます」


 レオンハルトは帳簿を閉じた。


「それまでは、勝手に触らない方がいいな」


「ええ。テレサさんにも、そう約束しています」


「なら安心だ」


 レオンハルトは少し笑った。


 それから、ふと思い出したように尋ねた。


「そういえば、さっきカイルが来ていたぞ」


「カイルが?」


「ああ。セレーネの話をしていた」


 エリアスは頷いた。


「実は、旅行に誘っていただいたんです」


「ほう」


 レオンハルトは少し意外そうな顔をした。


「行くのか?」


「まだ決めていませんが、ぜひ行ってみたいと思っています」


「それはいい」


 彼は静かに頷いた。


「セレーネなら、古書店も多い。昔、研究資料を探しに何度か行ったことがある」


「そうなのですね」


「ただし、珍しい本を見つけたからといって、荷物を増やしすぎるなよ」


 エリアスは少し考えた。


「……本は、何冊くらいまでならよいのでしょう」


 レオンハルトは一瞬黙った。


 それから、珍しく声を立てて笑った。


「そういう意味で言ったんじゃない」


 エリアスはますます不思議そうな顔になった。


     ◇


 夕方、エリアスが家へ戻ると、庭の椅子の上にリュカが丸くなっていた。


 軒下へ移しておいたはずの椅子を、いつの間にか自分の寝床にしてしまったらしい。


「……そこは、私の椅子なのですが」


 声をかけると、リュカは片目だけ開けた。


 しかし、動く気配はない。


 エリアスはしばらく見つめたあと、小さく笑った。


「……今日は、貸しておきます」


 居間へ入り、夕食の支度をする。


 残っていたスープは、ノアに教わったとおり、小分けにして保存してある。


 今夜はそれを温め、パンと一緒に食べることにした。


 食事を終える頃には、外がすっかり暗くなっていた。


 エリアスは書斎へ向かった。


 机の上には、古い水路の記録と、今日レオンハルトから見せてもらった石材の図面が並んでいる。


 三十二基の石枠。


 そのうちいくつが残っているのかはわからない。


 ただ、庭の下にあるものが点検口だとすれば、流路を調べるための新しい手がかりになる。


 エリアスは手帳へ書き留めた。


『ルーヴェル夫妻からの返事を待つ。石枠の図面はテレサへ共有。』


 それから、ページをめくった。


 今日、カイルに誘われた旅行の予定が書かれている。


『セレーネ湖灯祭。日程確認。宿泊先。リュカ同行可否。』


 エリアスはその文字を見つめた。


 研究の記録と、旅行の予定。


 同じ手帳の中に、まったく違うことが並んでいる。


 以前なら、少し落ち着かなかったかもしれない。


 けれど、今は不思議と嬉しかった。


 自分の時間を、自分で使っている。


 その実感があった。


「……セレーネですか」


 エリアスは窓の外へ目を向けた。


 夜のフィオーレは穏やかだった。


 この街へ来てから、まだそれほど長い時間が経ったわけではない。


 それでも、帰る家があり、親しい人がいて、毎日の暮らしがある。


 そこから少し離れた場所へ旅をする。


 そして、また戻ってくる。


 そういう暮らし方も、悪くないと思った。


 リュカが書斎へ入ってきた。


「……あなたも、旅行に行きたいですか?」


 エリアスが尋ねると、リュカは首を傾げた。


「湖のある、大きな街だそうですよ」


 リュカは小さく鳴いた。


「おいしいものも、たくさんあるそうです」


 その言葉に、リュカの耳がぴんと立った。


 エリアスは思わず笑った。


「……やはり、そこが気になるのですね」


 彼は手帳を閉じ、リュカを抱き上げた。


 庭の下に残された古い仕組み。


 七十年前の研究。


 そして、まだ行ったことのない街への旅行。


 どれも、今のエリアスにとって大切なことだった。


 ただ、そのすべてを急ぐ必要はない。


 まずは、目の前の暮らしを楽しもう。


 そう思いながら、エリアスは書斎の明かりを落とした。


     ◇


 一方、王都の王宮では、オスカーが古い書類を調べていた。


 王立魔導院から移された記録の中に、七十年前の改修計画に関する書類がいくつか残っていたのだ。


 その多くは、予算や工事の進捗を記したものだった。


 だが、一枚だけ、ほかとは少し違う書類があった。


『北方境界術式改修計画に関する再審査申請』


 オスカーはその題名を読み直した。


 日付は、改修計画が延期された翌月になっている。


 つまり、最初の計画が止められたあと、改めて審査を求めた人物がいたということだ。


 申請者の欄には、アルノルト・ヴェルナーの名前が記されていた。


 オスカーは書類をめくった。


 内容は簡潔だった。


『現地設備の再起動を目的とするものではなく、既存の観測網の安全性を確認するための調査を求める。』


 オスカーは手を止めた。


 再起動ではなく、安全性の確認。


 七十年前、ヴェルナーは何かを動かそうとしていたのではない。


 むしろ、動かす前に確かめるべきことがあると考えていたらしい。


 書類の末尾には、審査結果が記されていた。


『保留。追加資料提出を求む。』


 その先の記録はなかった。


 オスカーはしばらく考えた。


 計画は延期され、その後の安全確認も保留となっている。


 ヴェルナーは必要な資料を提出できなかったのだろうか。


 それとも、別の理由があったのか。


 彼は申請書を丁寧に戻した。


 今のところ、何かが隠されていたと決めつける理由はない。


 ただ、研究が途中で止まった経緯には、まだわからないことが多すぎた。


 オスカーは別紙に、確認事項を記した。


『再審査申請に対する追加資料の所在。』


 そして、書類を閉じた。


 窓の外では、王都の灯りが静かに広がっていた。


 明日、記録管理の担当者へ確認してみよう。


 必要なことを、ひとつずつ確かめるしかない。


 オスカーは机の上を片づけ、執務室をあとにした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。