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平穏を望む宮廷魔導師は、自由気ままに暮らしたい  作者: nene
第2章 花咲く家と、森の古い約束

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第46話 庭の下に残された手がかり


 テレサがエリアスの家を訪ねたのは、雨が上がってから二日後のことだった。


 門の前で待っていた彼女は、庭に目を向けるなり足を止めた。


「……あら、素敵な家じゃない」


「ありがとうございます。どうぞお入りください」


「庭もきれいね。まだ住み始めたばかりなんでしょう?」


「はい。花壇は最近作ったばかりです」


 テレサは小さな芽が並ぶ花壇を覗き込んだ。


「ずいぶん丁寧に植えてあるわね」


「マルタさんに教えていただきました」


「隣のマルタさん?」


「ええ。いろいろとお世話になっています」


「あの人なら、植物のことは詳しいものね」


 テレサは笑った。


 その足元へ、リュカがゆっくり近づいてきた。


「あら」


 テレサはしゃがみ込んだ。


「この子が、噂のリュカ?」


「はい」


「本当に真っ白なのね」


 テレサが手を差し出すと、リュカは少し匂いを嗅いだ。


 それから、何事もなかったようにエリアスの後ろへ回る。


「……警戒されたかしら」


「初めての方には、少し慎重なんです」


「いいのよ。知らない相手には、それくらい用心した方がいいわ」


 テレサは立ち上がり、肩に掛けた道具鞄を持ち直した。


「それで、問題の場所は?」


「こちらです」


 エリアスは庭の北側へ案内した。


 古い石塀の前には、雨で湿った跡がまだわずかに残っている。


「音が聞こえたのは、この辺りです」


 テレサは塀を見上げた。


「……なるほど」


 彼女はすぐに調査を始めず、まず周囲を歩いて確かめた。


 家の壁。


 雨樋。


 庭の傾斜。


 そして、塀の根元に残る細いひび。


「この塀、いつ頃直したものか知ってる?」


「正確にはわかりません。以前の住人が、何度か補修したと聞いています」


「そうでしょうね」


 テレサは石の継ぎ目へ指を当てた。


「下の方だけ、使ってる石が違うもの」


 エリアスもしゃがみ込んだ。


 確かに、塀の下部には少し色の濃い石が使われている。


 上側の石より、表面が滑らかだった。


「……古い水路の石でしょうか」


「可能性はあるけど、それだけじゃわからないわ」


 テレサは道具鞄から小さな金属棒を取り出した。


「まずは地面の状態を見ましょう。掘らなくても、ある程度は調べられるから」


 エリアスは頷いた。


 テレサが測定を始める間、彼は少し離れた場所へ観測器を置いた。


 二人は、それぞれの道具で同じ場所を調べ始めた。


     ◇


「……おかしいわね」


 測定を始めてしばらくすると、テレサが首を傾げた。


「何かありましたか?」


「ここ、地面の硬さが左右で違うのよ」


 彼女は石塀に沿って歩き、二か所へ印をつけた。


「こっちは普通の土。でも、少し離れると急に硬くなる」


 エリアスは地面を見つめた。


「石が埋まっているのでしょうか」


「そう考えるのが自然ね。ただ、形が妙なの」


 テレサは測定結果を記した紙を広げた。


「硬い部分が細長く続いてるのよ。まるで、壁が地面の下まで伸びてるみたい」


 エリアスは地図を取り出した。


 古い水路の位置を示したものだった。


 そこには、家の北側を通る細い線が描かれている。


「……この線と、近いですね」


「ええ。私もそれが気になったの」


 テレサは地図へ目を落とした。


「でも、もう少し調べないと断定はできないわね」


 エリアスは頷いた。


 そのとき、隣家からマルタが顔を出した。


「あら、何をしてるの?」


「おはようございます、マルタさん」


 エリアスが答えると、テレサも顔を上げた。


「地盤を調べてるところなの」


「ああ、あなたがテレサさんね」


「ご存じでしたか?」


「エリアスさんから聞いてるわ」


 マルタは庭へ入ってきた。


「何か見つかった?」


「古い石造りの構造物が、地下に残っているかもしれないの」


 テレサは説明した。


 マルタは石塀を見つめ、少し考えた。


「……そういえば」


「何か思い出されましたか?」


 エリアスが尋ねると、マルタは塀の端を指差した。


「昔、あそこに小さな蓋があったのよ」


「蓋、ですか?」


「ええ。石でできた四角い蓋。庭の隅に埋まっていたの」


 テレサが顔を上げた。


「今はないの?」


「見えなくなっちゃったわね。塀を直したときに、土をかぶせたんじゃないかしら」


 エリアスは示された場所へ目を向けた。


 そこは、テレサの測定で地面が硬くなっていた位置と、ほぼ重なっていた。


「……蓋の下には、何があったのでしょう」


「さあねえ。開けたところは見たことがないわ」


 マルタは少し笑った。


「ルーヴェルさんなら知ってたかもしれないけど」


 テレサはしゃがみ込み、地面を確かめた。


「……確かに、ここだけ石が近いわね」


 彼女は顔を上げた。


「でも、今日は開けない方がいいわ。状態がわからないもの」


「はい。私もそう思います」


 エリアスは頷いた。


 古い蓋があるのなら、その下には点検用の空間がある可能性もある。


 しかし、無理に開ければ地盤が崩れるかもしれない。


「……まずは、以前の家主の方に確認できればいいのですが」


 エリアスが呟くと、マルタが言った。


「それなら、手紙を書いてみたらどう?」


「手紙、ですか?」


「ええ。ルーヴェルさんたち、今は息子さんの家にいるでしょう。住所なら、たしか不動産屋さんが知ってるはずよ」


 エリアスは少し考えた。


 以前の住人に尋ねれば、庭の構造について何かわかるかもしれない。


「……そうですね」


 エリアスは頷いた。


「管理をお願いしている方へ、確認してみます」


 マルタは満足そうに笑った。


「それがいいわ。あの人、昔のことを話すのが好きだったから、きっと喜ぶわよ」


     ◇


 調査を終える頃には、昼を少し過ぎていた。


 テレサは道具を片づけ、最後にもう一度石塀を見た。


「今日わかったのは、地下に細長い石の構造物がありそうだってことだけね」


「それだけでも、十分です」


 エリアスは答えた。


「庭の下に何があるのか、少し見えてきました」


「そう言ってもらえると助かるわ」


 テレサは笑った。


「ただし、地面を掘るなら、必ず声をかけて。古い空洞があるなら、慎重に調べないと危ないから」


「はい。勝手には触りません」


「約束よ」


 彼女は指を立てた。


 エリアスは真面目に頷いた。


「お約束します」


 その様子を見て、テレサは少し笑った。


「……あなた、本当に素直ね」


「そうでしょうか?」


「ええ。もっと難しい顔をしてる研究者かと思ってた」


 エリアスは少し首を傾げた。


「難しい顔は、あまり得意ではありません」


 テレサは吹き出した。


「そういう意味じゃないんだけど」


 エリアスは不思議そうに彼女を見た。


 テレサは笑いながら道具鞄を持ち上げた。


「まあ、いいわ。また何かわかったら知らせて」


「ありがとうございます」


 エリアスは門まで見送った。


 テレサが帰ると、庭には再び静けさが戻った。


 リュカが椅子の下から出てきて、エリアスの足元へ寄る。


「……お疲れさまでした」


 エリアスは頭を撫でた。


「今日は、見ているだけでしたね」


 リュカは短く鳴いた。


 どうやら、それで十分だったらしい。


     ◇


 午後、エリアスは家の管理を任されている不動産屋を訪ねた。


 店は中央広場から少し離れた通りにあり、窓には貸家や土地の案内が貼られている。


 受付にいた女性が、エリアスの姿を見て微笑んだ。


「あら、レインフォード様。こんにちは」


「こんにちは。少しお伺いしたいことがありまして」


「はい。お家のことでしょうか?」


「ええ。以前住まわれていたルーヴェル夫妻についてなのですが」


 女性は少し考えた。


「ルーヴェル様でしたら、今は息子さんのお宅にいらっしゃいますね」


「お手紙をお送りしたいのですが、連絡を取っていただくことはできますか?」


「もちろんです。ご本人に確認してから、こちらでお届けすることもできますよ」


「それでしたら、お願いできますでしょうか」


 女性は頷いた。


「かしこまりました」


 エリアスは事情を簡単に説明した。


 庭の古い石塀。


 雨の日に聞こえる音。


 そして、地下に残っているかもしれない石造りの構造物。


 女性は興味深そうに聞いていた。


「……そんなものがあるのですね」


「まだ確かなことはわからないのですが、以前の住人の方なら何かご存じかもしれないと思いまして」


「ルーヴェル様は、昔の街のことをよく調べていらっしゃいましたからね」


 女性は頷いた。


「きっと、何かお話を聞けると思いますよ」


 エリアスは礼を述べ、店をあとにした。


 帰り道、文房具屋へ立ち寄り、便箋と封筒を購入した。


 今夜、ルーヴェル夫妻へ手紙を書こう。


 庭を大切に使わせてもらっていることも、伝えたかった。


     ◇


 その日の夕方、王都の王立魔導院では、オスカーが古い研究記録の保管状況について説明を受けていた。


 案内したのは、資料管理を担当する年配の職員だった。


「……こちらが、七十年前の研究部門の移管記録でございます」


 職員は大きな帳簿を机へ置いた。


 オスカーはページをめくった。


 研究部門の統合。


 資料の移動。


 保管庫の変更。


 どれも、当時の行政手続きを記したものだった。


「……ヴェルナーの最終報告書については?」


 オスカーが尋ねると、職員は首を横に振った。


「現在の目録にはございません」


「移管前の記録には?」


「そちらも確認しておりますが、最終報告書という名称では登録されておりません」


 オスカーは考え込んだ。


 書類が存在しないのか。


 それとも、別の名前で保管されているのか。


 今の段階では、どちらとも言えない。


「……研究が中止されたときの記録は残っていますか?」


「はい。ただし、詳しい理由については記載がございません」


 職員は別の書類を差し出した。


 そこには、短い文章が残されていた。


『北方境界術式改修計画、当面延期。現地施設の再起動は認めず。』


 オスカーはその一文を読み直した。


「……中止ではなく、延期なのですね」


「記録上は、そのようになっております」


「その後、再開された形跡は?」


「確認できておりません」


 オスカーは黙って頷いた。


 七十年前、何らかの理由で研究が止められた。


 しかし、それは正式な終了ではなかったらしい。


 何を待っていたのか。


 あるいは、何が解決できなかったのか。


 オスカーは記録を閉じた。


「……もうひとつ、お願いがあります」


「何でございましょう」


「当時の改修計画について、王宮側に提出された書類も確認したいのです」


 職員は少し驚いた。


「王宮側の記録ですか?」


「はい。魔導院の研究が正式に延期されたのなら、何らかの報告が行われているはずです」


 職員は頷いた。


「承知いたしました。確認できる範囲で、移管記録を調べてみます」


「お願いします」


 オスカーは礼を述べた。


 執務室へ戻る途中、彼はふと、エリアスから届いた手紙を思い出した。


 庭仕事や料理を楽しんでいるという、穏やかな近況。


 それとは別に、今自分が調べている七十年前の研究。


 同じ地方に関係する資料ではあるが、現時点で直接のつながりは確認できていない。


 オスカーは歩みを止めなかった。


 まずは、王宮側の記録を確かめよう。


 何か判断するのは、そのあとで十分だった。


     ◇


 夜、フィオーレの新しい家では、エリアスが手紙を書いていた。


 宛先は、以前この家に住んでいたルーヴェル夫妻。


 便箋には、丁寧な文字が並んでいる。


『突然のお便りを失礼いたします。現在、以前お住まいだったお家をお借りしております、エリアス・レインフォードと申します。』


 エリアスは少し考え、続きを書いた。


 庭の木がきれいに花を咲かせていること。


 書斎の本棚が、とても使いやすいこと。


 近所の人々にも親切にしてもらっていること。


 そして、雨の日に庭の下から音が聞こえたこと。


 手紙の後半には、古い石塀や庭の構造について、もし覚えていることがあれば教えてほしいと記した。


 書き終えると、エリアスは便箋を読み返した。


 あまり長くなりすぎていないだろうか。


 知らない相手から突然手紙が届くのだから、驚かせてしまうかもしれない。


 けれど、今の家を大切に使っていることは、きちんと伝えたかった。


「……これでよさそうですね」


 エリアスは便箋を封筒へ入れた。


 明日、不動産屋へ預けよう。


 窓の外では、庭の木が夜風に揺れている。


 白い花が、月明かりを受けて淡く浮かび上がっていた。


 エリアスはしばらく、その景色を眺めていた。


 この家には、以前にも暮らしていた人がいる。


 庭を手入れし、本を読み、同じ窓から外を眺めていた人たち。


 その時間があったからこそ、今の自分はここで穏やかに暮らせている。


 そう考えると、古い家のひとつひとつが、少し違って見えた。


 リュカが足元へ寄ってきた。


「……もう休みましょうか」


 エリアスは白い獣を抱き上げた。


 机の上には、書き終えた手紙が置かれている。


 明日は、これを届けに行こう。


 それから、花壇の芽を確かめたい。


 リュカのために、庭の日当たりのよい場所へ小さな敷物を置くのもいいかもしれない。


 そんなことを考えながら、エリアスは書斎の明かりを落とした。


 庭の下に何が残されているのか。


 その答えは、まだわからない。


 けれど、この家で過ごした人々の記憶が、思いがけない手がかりになるかもしれなかった。


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