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平穏を望む宮廷魔導師は、自由気ままに暮らしたい  作者: nene
第1章 春風の街、フィオーレ

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第12話 薬草採取と小さな寄り道


 冒険者ギルドの訓練場に、気まずい沈黙が流れていた。


 その原因となったエリアスは、南側の支柱を眺めている。


「……ほかの部分も、確認した方がよろしいでしょうか」


「いや、待て待て」


 カイルが慌てて止めた。


「お前、今ので何したんだ?」


「結界を修復しました」


「それは見てたからわかる!」


 カイルは額を押さえた。


「そうじゃなくて、どうやって直したんだよ」


「魔力の流れを調整して、損傷した術式をつなぎ直しただけですが」


「……だけ、ねえ」


 隣では、受付担当のエマがまだ支柱を見つめていた。


 訓練場の結界は、数週間前から不調が続いていた。


 修理を依頼していた魔導技師からは、術式全体を調べる必要があると言われている。


 それを、この青年は数秒で直してしまった。


「……レインフォードさん」


「はい」


「失礼ですが、魔導師としてはかなり経験を積まれているのでは?」


「そうですね。魔法の勉強は、十歳の頃から続けています」


「十歳から……」


「ええ。十四年ほどになります」


 エマは驚いたように頷いた。


 エリアスの年齢を考えれば、かなり早くから専門的な教育を受けていたことになる。


「それでしたら、実技試験は問題なさそうですね」


 そう言って、エマは訓練場の中央にある台へ向かった。


「ただ、規則ですので、簡単な魔法を見せていただけますか?」


「もちろんです」


「この魔力測定石に、少しだけ魔力を流してください」


 台の上には、透明な水晶のような石が置かれていた。


 表面には細かな目盛りが刻まれ、内部には淡い光が揺れている。


「これは、魔力の出力を測るものですか?」


「はい。一定量の魔力を流すと、目盛りが反応する仕組みになっています」


「なるほど」


 エリアスは興味深そうに石を眺めた。


 王立魔導院でも似たような装置を使っていたが、こちらはずいぶん簡単な構造だった。


 測定できる範囲も狭く、精度はそれほど高くない。


 それでも、初歩的な適性を確認するには十分なのだろう。


「では、お願いします」


 エマに促され、エリアスは石に指先を触れた。


 ほんのわずかに魔力を流す。


 すると、内部の光がゆっくりと広がり、目盛りが上昇した。


 一つ、二つ、三つ。


 光は中央付近で止まった。


「……これくらいでしょうか」


 エリアスが尋ねると、エマは測定石を確認して頷いた。


「はい。十分です」


 カイルが横から覗き込む。


「お、ちょうど真ん中くらいだな」


「ええ。必要以上に流しても、測定できる範囲を超えてしまいますから」


「……そういうもんなのか?」


「測定装置には上限がありますので」


 エリアスは当然のように答えた。


 カイルは何となく納得した。


 少なくとも、目の前の青年が魔法に詳しいことだけは、もう疑いようがなかった。


     ◇


 冒険者登録の手続きは、思っていたより簡単だった。


 身分証を提示し、必要事項を記入する。


 その後、ギルドの規則について説明を受け、最後に登録証が発行された。


「こちらが冒険者証になります」


 エマが差し出したのは、小さな銅色のカードだった。


 表面にはギルドの紋章が刻まれ、名前と登録番号が記されている。


「最初は銅級からの登録となります。実績に応じて昇級できますので、少しずつ依頼をこなしてくださいね」


「わかりました」


 エリアスはカードを受け取った。


 宮廷魔導師の徽章とは違う、素朴な作りだった。


 けれど、不思議と嬉しかった。


 自分で選び、自分で手続きをして手に入れたもの。


 それだけのことが、少し特別に感じられる。


「……いいものですね」


 思わず呟くと、カイルが笑った。


「そんなに嬉しいか?」


「ええ。初めてですから」


「そっか。俺も最初にもらったときは嬉しかったな」


 カイルは自分の冒険者証を取り出した。


 エリアスのものとは色が違い、銀色の縁取りが施されている。


「カイルは上の階級なのですね」


「まあな。それなりに長くやってるから」


「立派ですね」


「よせよ。照れるだろ」


 カイルは笑いながらカードをしまった。


 エリアスも自分の冒険者証を大切に鞄へ入れる。


 その様子を見ていたエマは、少し微笑んだ。


「それでは、依頼をお受けになりますか?」


「はい。先ほど拝見した薬草畑の調査について、詳しく伺いたいのですが」


「北の薬草畑ですね」


 エマは書類を取り出した。


「依頼主は、街の北側で薬草を育てている薬師の方です。最近、一部の薬草が急に育たなくなったそうで」


「なるほど」


「土壌や水質には問題がないようなのですが、原因がわからないとのことです」


 エリアスは頷いた。


「実際に見てみたいですね」


「ただ、少し注意していただきたいことがあります」


「何でしょう?」


「畑の周辺では、最近小型の魔物が増えているという報告もあるんです」


 カイルが眉を上げた。


「魔物?」


「はい。大きな被害は出ていませんが、念のため護衛がいた方が安心かと」


 エリアスはカイルへ目を向けた。


「……カイル、お願いしてもよろしいでしょうか?」


「もちろん!」


 カイルはにっと笑った。


「俺もちょうど暇だったしな。付き合うぜ」


「ありがとうございます」


 エリアスは嬉しそうに頷いた。


 こうして、彼の初めての冒険者としての仕事が決まった。


     ◇


 北の薬草畑は、街から歩いて一時間ほどの場所にあった。


 街道を外れ、小さな森に沿って進むと、緩やかな斜面にいくつもの畑が広がっている。


 木製の柵で囲まれた畑には、さまざまな薬草が植えられていた。


 しかし、その一角だけ、明らかに様子が違っていた。


「……これは」


 エリアスは足を止めた。


 周囲の薬草は青々と茂っているのに、北側の畑だけ葉が黄色く変色している。


 背丈も低く、全体的に元気がない。


「ひどいだろ?」


 声をかけてきたのは、白髪交じりの男性だった。


 年齢は五十代後半ほどだろうか。


 日に焼けた顔に、深い皺が刻まれている。


「ギルドから来てくれたのかい?」


「はい。カイル・ヴァルディスです」


「エリアス・レインフォードと申します」


「おお、ありがとう。私はこの畑を管理している薬師のルドだ」


 ルドは二人を畑へ案内した。


「見てのとおりでね。ここだけ急に育たなくなっちまったんだ」


「いつ頃からですか?」


 エリアスが尋ねる。


「十日ほど前からだな。最初は葉の色が少し悪くなっただけだったんだが」


「徐々に広がったのですね」


「ああ。水も肥料も変えていないし、土も調べたんだが、原因がわからなくてな」


 エリアスはしゃがみ込み、薬草の葉に触れた。


 弱々しい魔力が、内部を巡っている。


 ただし、その流れは不自然だった。


「……なるほど」


「何かわかったかい?」


「少し、魔力の循環が乱れているようです」


「魔力?」


「ええ。土壌から吸収する魔力が、うまく植物へ届いていないのかもしれません」


 ルドは困ったように眉を寄せた。


「そんなこともあるのか?」


「はい。特に魔力を多く必要とする薬草は、周囲の環境に影響されやすいんです」


「そうなのか……」


 エリアスは畑の端へ移動し、地面に手を触れた。


 土の中を流れる魔力を探る。


 やはり、何かがおかしい。


 通常なら均等に広がるはずの魔力が、北側の一か所へ引き寄せられている。


「……少し、気になりますね」


 エリアスは顔を上げた。


「この畑の北側には、何がありますか?」


「北側?」


 ルドは森の方を見た。


「あっちは古い林だよ。昔は人も通ってたらしいが、今はほとんど使われてない道があるくらいだ」


「そうなのですね」


 エリアスは静かに頷いた。


 魔力の流れは、確かにその方向へ続いている。


「一度、見に行ってみましょうか」


「おいおい」


 カイルが横から声をかけた。


「また森か?」


「ええ。原因がそちらにあるようなので」


「……お前、ほんと森が好きだな」


 カイルは苦笑した。


「まあ、俺も行くけどさ」


「ありがとうございます」


 二人はルドに事情を説明し、森の方へ向かうことにした。


     ◇


 畑の北側に広がる林は、思っていたよりも静かだった。


 木々の間には細い道が残っていたが、長い間使われていないらしく、ところどころ草に覆われている。


 カイルは先頭を歩きながら、周囲を警戒していた。


「この辺り、昔は薬草採取の道だったんだけどな」


「そうなのですか?」


「ああ。今はもっと安全な場所があるから、あんまり使われなくなったんだ」


 エリアスは頷き、足元の土へ目を向けた。


 魔力の流れは、森の奥へ続いている。


 しかし、奥へ進むにつれて、少しずつ強くなっていた。


「……何かありますね」


「魔物か?」


「いえ、魔物の気配はありません。ただ、魔力が一か所へ集まっています」


 カイルは剣の柄に手を添えた。


「……気をつけろよ」


「はい」


 二人は慎重に進んだ。


 しばらくすると、木々の間に小さな空き地が現れた。


 その中央には、古びた石柱が立っていた。


 高さは人の腰ほど。


 表面には苔が生え、ところどころ欠けている。


「……何だ、これ」


 カイルが近づいた。


「昔の道標か?」


「そうかもしれませんが……」


 エリアスは石柱を観察した。


 表面には、かすかに魔法文字が刻まれている。


 その文字は、先日森で拾った石の模様とよく似ていた。


「……同じ形式ですね」


「何が?」


「以前、森で拾った石に刻まれていた文字です」


 エリアスは鞄から小さな石を取り出した。


 表面の模様を比べる。


 やはり、同じ系統の術式だった。


「……なるほど」


 カイルが覗き込む。


「何かわかったのか?」


「この石柱は、周囲の魔力を集めるためのもののようです」


「魔力を集める?」


「ええ。本来は土地の魔力を安定させる役割があったのかもしれません」


 エリアスは石柱へ手をかざした。


 内部の術式は、長い年月を経て一部が損傷していた。


 そのため、魔力を集める機能だけが残り、周囲へ還元する働きが失われている。


「……これが原因ですね」


「直せるのか?」


「おそらく。ただ、少し慎重に調べたいです」


 エリアスは石柱の周囲を見回した。


 魔力の流れは、畑の方からだけではない。


 森の奥からも、細い流れが続いていた。


 それらが石柱に集まり、行き場を失っている。


 単純に壊れた部分を修理すれば、魔力は元に戻るだろう。


 しかし、その先に何があるのかは、まだわからない。


「……今日は、ひとまず魔力の流れを整えるだけにしましょう」


「全部直さないのか?」


「ええ。古い術式なので、周囲への影響を確認してからの方が安全です」


 エリアスはそう答え、地面に小さな魔法陣を描いた。


 淡い青色の光が、石柱の周囲へ広がっていく。


 乱れていた魔力の流れを、ゆっくりと分散させる。


 無理に術式を書き換えるのではなく、偏りを和らげるだけの簡単な処置だ。


 しばらくすると、石柱から放たれていた不自然な魔力が落ち着いた。


「……これで、しばらくは大丈夫でしょう」


 エリアスは立ち上がった。


 カイルは石柱を眺めていたが、やがて頷いた。


「よし。じゃあ、畑に戻るか」


「ええ」


 二人は来た道を引き返した。


     ◇


 薬草畑へ戻ると、ルドが心配そうに待っていた。


「どうだった?」


「原因と思われるものが見つかりました」


 エリアスは石柱について説明した。


 土壌の魔力が一か所へ集まっていたこと。


 古い術式が損傷していたこと。


 そして、応急的に魔力の流れを整えたこと。


 ルドは真剣に耳を傾けていた。


「なるほど……。そんなものがあったとはな」


「しばらく様子を見ていただけますか?」


「もちろんだ」


「植物の状態が改善するまでには、少し時間がかかると思います」


 エリアスは弱った薬草を眺めた。


 今すぐ元気になるわけではない。


 土壌の魔力が安定し、植物が再び力を蓄える必要がある。


「……水や肥料は、これまでどおりで大丈夫でしょうか?」


 ルドが尋ねる。


「ええ。ただ、葉が弱っている株には、少し日陰を作ってあげた方がいいかもしれません」


「わかった。やってみるよ」


 ルドは安堵したように息を吐いた。


「ありがとうな。助かった」


「いえ。まだ完全に解決したわけではありませんから」


 エリアスは穏やかに答えた。


「数日後、もう一度確認に来てもよろしいでしょうか?」


「もちろんだとも」


 ルドは笑った。


「その頃には、少し元気になってくれてるといいんだが」


「そうですね」


 エリアスも微笑んだ。


 そのとき、カイルがふと思い出したように言った。


「そうだ、ルドさん。せっかくだから薬草の採取も教えてやってくれないか?」


「採取?」


「ああ。エリアス、冒険者登録したばっかりなんだよ」


「おお、そうだったのか!」


 ルドは驚いたようにエリアスを見た。


「魔導師さんなのに、冒険者もやるのかい?」


「ええ。少し経験してみたくて」


「そりゃいいことだ」


 ルドは嬉しそうに頷いた。


「なら、ちょうどいい。あっちの畑に、採取できる薬草があるから見ていくかい?」


「ぜひお願いします」


 エリアスの声が、少し弾んだ。


     ◇


 それから一時間ほど、エリアスはルドに薬草の採取方法を教わった。


 葉の色や形。


 採取に適した時期。


 根を傷つけずに摘む方法。


 薬として使う部分と、残しておく部分。


 王立魔導院で学んだ知識とは違い、長年の経験に基づいた実践的なものばかりだった。


「この草はね、朝露が残ってるうちに摘むと香りがいいんだよ」


「そうなのですね」


「逆に、こっちは昼過ぎの方がいい。日が当たると成分が強くなるんだ」


「なるほど……」


 エリアスは真剣に頷いた。


 魔力の構造だけを見ていては、気づかないこともある。


 同じ植物でも、時間や季節によって性質が変わる。


 その違いを、ルドは長年の経験で理解しているのだ。


「……勉強になります」


 エリアスが言うと、ルドは照れくさそうに笑った。


「いやあ、こっちは難しい魔法のことなんてわからんからね。こういうことしか教えられないが」


「とんでもありません」


 エリアスは首を横に振った。


「私は、こうした実際の経験が足りませんから」


 ルドは少し驚いたように彼を見た。


 それから、嬉しそうに笑った。


「……そう言ってもらえると、教えがいがあるねえ」


 カイルは二人の様子を眺めながら、満足そうに頷いた。


 どうやら、エリアスはこの街で少しずつ新しい居場所を見つけ始めているらしい。


     ◇


 フィオーレへ戻る頃には、夕方が近づいていた。


 街道を歩きながら、カイルが大きく伸びをする。


「いやあ、今日は結構歩いたな!」


「そうですね」


「疲れてないか?」


「大丈夫ですよ」


 エリアスは微笑んだ。


 鞄の中には、今日採取した薬草が丁寧に収められている。


 ルドから分けてもらった小さな苗もあった。


 宿の窓辺で育てられるか、試してみようと思っている。


「それにしても、エリアス」


「はい?」


「お前、ほんと楽しそうだったな」


「薬草の採取ですか?」


「ああ。ルドさんの話、ずっと聞いてただろ」


「ええ。知らないことが多かったので」


「……魔導師なのに?」


「魔導師だからといって、何でも知っているわけではありませんよ」


 エリアスは穏やかに答えた。


「むしろ、知らないことの方がずっと多いです」


 カイルは少し考えた。


 王都から来た魔導師。


 難しい魔法を使い、古い術式を簡単に読み解く青年。


 けれど、畑の薬草を前にすると、子供のように目を輝かせる。


 なんとも不思議な人物だった。


「……そっか」


 カイルは笑った。


「じゃあ、これからもいろいろ教えてやるよ」


「ありがとうございます」


「その代わり、俺にも魔法を教えてくれよな」


「もちろんです」


 二人は顔を見合わせ、笑った。


 やがて、フィオーレの街並みが見えてきた。


 夕日を受けた赤茶色の屋根。


 鐘楼から響く、時を告げる音。


 石畳の通りを行き交う人々。


 エリアスは、その景色を少し懐かしい気持ちで眺めた。


 まだ滞在して数日しか経っていない。


 それなのに、鈴蘭亭のある街へ戻ることが、どこか嬉しかった。


「……帰りましょうか」


 エリアスが言うと、カイルは頷いた。


「おう。ノアのところで飯でも食っていこうぜ」


「いいですね」


 エリアスは微笑んだ。


 初めての冒険者としての依頼。


 薬草畑の調査。


 古い石柱との出会い。


 そして、地元の薬師から教わった新しい知識。


 どれも、彼にとっては大切な経験だった。


 けれど、今日一日を振り返って、もっとも印象に残っているのは、ルドが嬉しそうに薬草の話をしてくれたことだった。


 知らないことを教えてもらう。


 誰かの役に立つ。


 そして、また新しいことを知る。


 そんな日々が、これからも続いていくのだろう。


 エリアスは鞄の中の小さな苗を思い浮かべながら、静かに笑った。


 明日は、窓辺に鉢を用意しよう。


 それから、ルドに教わった育て方を試してみたい。


 そんなささやかな予定が、今は何より楽しみだった。

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