第11話 初めての冒険者ギルド
鈴蘭亭の食堂には、朝から焼きたてのパンの香りが漂っていた。
窓際の席で朝食を取っていたエリアスは、膝の上から伸びてきた小さな前脚に気づき、手を止めた。
「リュカ、それは私のパンですよ」
白い獣は、皿の端に置かれたパンをじっと見つめている。
「あなたの分は、先ほど食べたでしょう?」
耳が一度動いた。
エリアスは皿を少し遠ざけた。
すると、リュカは彼の腕を伝って卓上へ登ろうとした。
「こら」
珍しく少し強い口調で注意すると、リュカは動きを止めた。
しかし諦めたわけではないらしい。今度はエリアスの顔を見上げ、小さく鳴いた。
「……そういう顔をしても駄目です」
「何やってるんですか、エリアスさん」
料理を運んできたノアが、笑いながら声をかけた。
「パンを狙われています」
「あはは、リュカって食いしん坊ですよね」
「ええ。昨日も夕食のあとに、ルミナの実を三つ食べたんですよ」
「元気になった証拠じゃないですか」
「それは嬉しいのですが、食べすぎが心配で」
ノアはリュカの前にしゃがみ込んだ。
「リュカ、そんなに食べたいのか?」
白い獣はノアを見つめたあと、彼の手元にある盆へ視線を移した。
「……ああ、こっちか」
盆には、朝食用の焼き菓子が載っていた。
ノアが苦笑する。
「あとで食べられるものを持ってきてあげるから、ちょっと待っててな」
するとリュカは、おとなしくエリアスの膝へ戻った。
「……私の話は聞いてくれなかったのですが」
「食べ物を持ってる人の方が強いんですよ、きっと」
「なるほど」
エリアスは妙に納得した。
確かに、今のリュカにとっては食事を用意してくれる人が重要なのだろう。
今後は、自分も食事の管理についてもう少し勉強した方がいいかもしれない。
そんなことを考えていると、食堂の扉が勢いよく開いた。
「おーい、ノア!」
聞き覚えのある大きな声。
カイルだった。
「カイルさん、おはようございます!」
「おう! エリアスもいるか?」
「こちらですよ」
エリアスが声をかけると、カイルはすぐに気づいた。
「お、いたいた!」
近づいてきたカイルは、エリアスの膝にいる白い獣を見て笑った。
「なんだ、すっかり元気になったみたいだな」
「ええ。おかげさまで」
「よかったじゃないか」
カイルはリュカへ手を伸ばした。
ところが、白い獣はするりとエリアスの腕の陰へ隠れてしまった。
「……おい」
カイルの手が宙に残る。
「森じゃ俺も一緒に助けただろ?」
返事はない。
「ルミナの実だって採ってやったのに」
リュカは顔を出さなかった。
ノアが笑いをこらえながら言った。
「カイルさん、嫌われてます?」
「いや、そんなはずは……」
そのとき、リュカがエリアスの腕の陰から顔を出した。
カイルを一度だけ見て、再び顔を隠す。
「……完全に嫌われてるじゃないですか」
「うるさいな!」
食堂に笑い声が広がった。
◇
「それで、カイル。今日はどうされたのですか?」
朝食を終えたエリアスが尋ねると、カイルは向かいの席に腰を下ろした。
「そうそう。それを言いに来たんだった」
彼は腰の革袋から一枚の紙を取り出した。
「今日、ギルドへ行くんだけどさ。よかったら一緒に来ないか?」
「冒険者ギルドですか?」
「ああ。前に興味あるって言ってただろ?」
「ええ。ぜひ見学してみたいと思っていました」
「なら決まりだな!」
カイルは嬉しそうに笑った。
「ちょうど依頼の報告もあるし、ギルドの中を案内してやるよ」
「ありがとうございます」
エリアスは目を細めた。
冒険者ギルドについては、王都にいた頃にも何度か資料を読んだことがある。
各地に支部を持ち、魔物討伐や採取、護衛などの依頼を管理する組織。
王国の騎士団や魔導院とは異なり、一般の人々が依頼を持ち込むこともできる。
ただし、実際に訪れたことはなかった。
「ところで、カイル」
「ん?」
「ギルドへ入るには、何か資格が必要でしょうか?」
「いや、見学だけなら必要ないぞ」
「そうなのですね」
「冒険者登録するなら手続きがあるけどな」
「登録……」
エリアスは少し考えた。
「それも面白そうですね」
カイルが顔を上げた。
「お前、冒険者になるつもりなのか?」
「いえ、まだ決めていません。ただ、仕事の内容には興味があります」
「なるほどな」
カイルは顎に手を当てた。
「まあ、登録するだけなら難しくないけど、依頼を受けるとなるといろいろ決まりがあるぞ」
「そうでしょうね」
「その辺も案内しながら教えてやるよ」
「助かります」
二人が出かける相談をしていると、ノアが厨房から顔を出した。
「あ、ギルド行くんですか?」
「おう」
「じゃあ、帰りに西通りのパン屋さん寄ってきてもらえません?」
「何でだよ」
「母さんが頼んでた小麦粉、今日届くんですって」
「それ、パン屋に頼む仕事じゃないだろ」
「カイルさん、力持ちですから」
「都合のいいときだけ褒めるな!」
ノアは笑いながら手を合わせた。
「お願いします!」
カイルはため息をついた。
「……わかったよ」
「ありがとうございます!」
エリアスはその様子を眺めていた。
冒険者の仕事には、荷物の運搬も含まれる。
以前、カイルからそう聞いている。
「では、私もお手伝いしましょうか」
「いやいや、エリアスさんはいいんですよ!」
ノアが慌てて首を振った。
「せっかくギルドに行くんですから、楽しんできてください」
「そうですか?」
「はい!」
エリアスは素直に頷いた。
もっとも、荷物を運ぶだけなら重量軽減魔法を使えば簡単だと思ったのだが、それを口にする前に話が終わってしまった。
◇
冒険者ギルドは、中央広場から西へ伸びる大通りにあった。
二階建ての大きな石造りの建物で、入口の上には剣と盾を組み合わせた紋章が掲げられている。
扉の脇には掲示板があり、街道の注意情報や周辺の魔物の目撃情報が貼り出されていた。
「ここがフィオーレ支部だ」
カイルが入口を指差す。
「王都のギルドに比べたら小さいけど、仕事は結構あるんだぜ」
「立派な建物ですね」
「そうか? まあ、昔からあるからな」
エリアスは建物を見上げた。
古い石壁には補修された跡があり、入口の階段も長年使われてきたことがわかる。
人々が頻繁に出入りしているらしく、扉の取っ手はよく磨かれていた。
「入るぞ」
「はい」
カイルが扉を開ける。
その瞬間、賑やかな声が耳に飛び込んできた。
「だから、その依頼は昨日終わったって!」
「報告書を出してないだろ!」
「誰か薬草採取に行かないか?」
「護衛依頼、あと一人足りないぞ!」
広い室内には、さまざまな装備を身につけた冒険者たちが集まっていた。
剣士、弓使い、槍を背負った青年。
魔導師らしい杖を持つ女性もいる。
壁には大きな依頼掲示板が設置され、何十枚もの紙が貼られていた。
奥には受付窓口が並び、その隣には買い取った素材を確認するための台がある。
「……なるほど」
エリアスは興味深そうに辺りを見回した。
「思っていたより、活気がありますね」
「朝は特にな。みんな依頼を探しに来るから」
カイルが笑った。
「まずは俺の報告を済ませるか」
二人は受付へ向かった。
◇
「カイルさん、おはようございます」
受付にいた女性が顔を上げた。
栗色の髪をきっちりとまとめ、紺色の制服を身につけている。
「おう、エマ。昨日の依頼、終わったぞ」
「お疲れさまでした。討伐証明はお持ちですか?」
「もちろん」
カイルは革袋から小さな魔石を三つ取り出した。
「森狼が三頭。指定された場所の周辺も確認してきた」
「ありがとうございます」
エマは魔石を受け取り、ひとつずつ確認していく。
「……はい。問題ありません。報酬を用意しますので、少々お待ちください」
その間、彼女はカイルの隣に立つエリアスへ目を向けた。
「あら、初めてお見かけする方ですね」
「こんにちは」
エリアスは丁寧に頭を下げた。
「エリアス・レインフォードと申します」
「エマ・ローレンスです。こちらのギルドで受付を担当しています」
エマは柔らかく微笑んだ。
「冒険者の方ですか?」
「いえ。今日はカイルに案内していただいています」
「そうでしたか」
エマはカイルを見た。
「珍しいですね。カイルさんが誰かを案内してくるなんて」
「なんだよ、その言い方」
「普段はご自分の依頼だけ済ませて、すぐ帰ってしまうでしょう?」
「仕事があるんだから仕方ないだろ」
エマは慣れた様子で笑った。
「今日は時間があるんですか?」
「ああ。こいつ、王都から来た魔導師なんだけど、ギルドに興味があるらしくてさ」
「魔導師の方なんですね」
エマは少し驚いた。
「フィオーレでは珍しいです」
「そうなのですか?」
「ええ。登録している魔導師の方も、それほど多くありませんから」
エリアスは頷いた。
王都では魔導師が集まる環境にいたため、魔法を扱えること自体を特別だと感じる機会は少なかった。
けれど、地方では事情が異なるらしい。
「よろしければ、ギルドの仕組みをご説明しましょうか?」
「ぜひお願いします」
エマは受付の下から一冊の薄い冊子を取り出した。
「こちらが登録案内です。依頼の種類や報酬についても書いてありますので、参考にしてください」
「ありがとうございます」
エリアスは冊子を受け取った。
カイルが隣から覗き込む。
「お、懐かしいな。それ、俺が登録したときももらったぞ」
「その頃から内容は何度か変わっていますよ」
「そうなのか?」
「はい。特に採取依頼の規定は厳しくなりました」
エマは冊子の一角を指差した。
「希少植物の乱獲を防ぐため、採取できる量が制限されているんです」
「それは大切ですね」
エリアスが言った。
「植物によっては、採りすぎると土地の魔力循環にも影響しますから」
エマが顔を上げる。
「そうなんですか?」
「ええ。特に魔力を蓄える性質のある植物は、周囲の環境にも影響を与えます」
「へえ……」
エマは感心したように頷いた。
「だから最近、薬草の採取場所を順番に変えてるんですね」
「おそらく、そういう理由もあるのでしょう」
エリアスは冊子を眺めた。
そこには、冒険者たちが守るべき規則が細かく記されていた。
依頼主との約束。
採取物の取り扱い。
危険区域への立ち入り。
仲間同士の協力。
王立魔導院とは異なる規則だったが、そのひとつひとつには意味がある。
「……よく考えられていますね」
エリアスは小さく呟いた。
「そう言っていただけると嬉しいです」
エマは微笑んだ。
「実際には、守っていただけない方もいるんですけどね」
その視線が、ちらりとカイルへ向けられる。
「……何だよ」
「いえ、何でもありません」
「絶対何かあるだろ!」
エマはにこりと笑った。
「報告書の提出期限は、守ってくださいね」
「……はい」
カイルは渋々頷いた。
エリアスは二人のやり取りを聞きながら、手元の冊子に目を落とした。
どうやら、どこの組織にも書類仕事はあるらしい。
◇
受付での手続きを終えたあと、カイルはエリアスを依頼掲示板の前へ連れていった。
「ここに貼ってあるのが、今受けられる依頼だ」
大きな板には、さまざまな内容の紙が並んでいる。
『南街道の護衛募集』
『月露草の採取』
『農地周辺の小型魔物討伐』
『行方不明の家畜捜索』
エリアスは一枚ずつ目を通していった。
「……本当に、いろいろあるのですね」
「だろ? 冒険者って名前だけ聞くと魔物と戦う仕事だと思われがちだけど、実際はそうでもないんだ」
カイルは掲示板の端を指差した。
「ほら、あれなんか家の屋根の修理だぞ」
「屋根の修理も依頼になるのですか?」
「ああ。高いところで作業できる奴が必要なんだと」
「なるほど」
エリアスは興味深そうに依頼書を読んだ。
屋根の一部が強風で破損したため、修理できる人を募集しているらしい。
依頼主は、街の外れに住む老夫婦だった。
「こういう仕事もあるのですね」
「まあ、専門の職人に頼むことも多いけど、急ぎだったり人手が足りなかったりするとギルドに来るんだ」
「便利な仕組みですね」
「そうだな。俺たちも仕事が見つかるし、依頼する側も助かる」
エリアスは頷いた。
王都では、大きな仕事ほど国や貴族が関わることが多かった。
けれど、ここでは人々の暮らしに直接結びついた仕事が並んでいる。
その違いが面白かった。
ふと、掲示板の下の方に貼られた一枚の紙が目に入った。
『北の薬草畑にて、生育不良の原因調査』
エリアスは足を止めた。
「……こちらは?」
カイルが覗き込む。
「ああ、それか。確か、街の薬師が出した依頼だな」
「植物が育たなくなっているのですか?」
「そうらしい。土は悪くないはずなんだけど、最近急に元気がなくなったんだと」
「なるほど……」
エリアスは依頼書を読んだ。
原因不明の生育不良。
水や肥料を変えても改善しない。
魔力を含む薬草ほど影響が大きい。
そこまで読んだところで、少し気になることがあった。
「……土地の魔力が変化している可能性もありますね」
「魔力?」
「ええ。植物の成長には土や水だけでなく、周囲の魔力も関わる場合がありますから」
カイルは腕を組んだ。
「へえ。じゃあ、エリアスなら原因がわかるかもな」
「実際に見てみないと何とも言えませんが、興味はあります」
「……受けてみるか?」
エリアスは顔を上げた。
「私でも受けられるのですか?」
「登録すればな。まあ、こういう調査なら魔導師がいると助かるだろうし」
「そうですか……」
エリアスは少し考えた。
冒険者として依頼を受ける。
それは、王都にいた頃には考えたこともなかった経験だった。
「……面白そうですね」
その言葉に、カイルはにっと笑った。
「だろ?」
「はい。少し詳しく聞いてみたいです」
「よし。じゃあ、受付に戻ろうぜ」
◇
「冒険者登録、ですか?」
エマは少し驚いた様子で顔を上げた。
「はい。もし可能でしたら、登録してみたいと思いまして」
エリアスが答える。
「もちろん可能ですよ。ただし、登録には簡単な確認があります」
「確認?」
「はい。身分証明と、基本的な能力の確認です」
エマは書類を取り出した。
「魔導師の方でしたら、魔法の適性を確認させていただくことになります」
「なるほど」
エリアスは素直に頷いた。
「どの程度の魔法を使えばよろしいでしょうか?」
「簡単な生活魔法で構いませんよ」
「生活魔法、ですか」
「はい。小さな灯りを作ったり、水を出したりする程度で十分です」
エリアスは少し考えた。
生活魔法なら、普段から使っている。
特に難しいことはない。
「わかりました」
エマは安心したように微笑んだ。
「それでは、奥の確認室へご案内しますね」
カイルが隣で笑った。
「まあ、エリアスなら余裕だろ」
「そうでしょうか」
「お前、魔道具をあっという間に直してたじゃないか」
「修理と魔法の実技は少し違いますから」
「いや、そういう問題じゃないと思うぞ」
カイルは苦笑した。
二人はエマの後に続き、ギルドの奥へ向かった。
◇
確認室は、ギルドの裏手にある小さな訓練場だった。
地面はきれいに整えられ、周囲には簡単な防護結界が張られている。
エリアスはその結界を見上げた。
ごく一般的な防御術式だ。
ただし、一部に魔力の偏りがある。
長く使われているせいだろうか。
「……少し、気になりますね」
「何が?」
カイルが尋ねる。
「いえ、結界の一部が不安定なようなので」
「え?」
エマが振り返った。
「結界、ですか?」
「はい。南側の支柱付近で、魔力の流れが少し乱れています」
エマは驚いたように支柱を見た。
「……そんなことまでわかるんですか?」
「ええ。よく見ると、少し揺らいでいますので」
カイルも支柱を見た。
しかし、何もわからない。
「……俺には普通に見えるけど」
「目ではなく、魔力を感知するとわかりやすいですよ」
「……なるほどな」
カイルは頷いたが、あまり理解できていない様子だった。
エマは少し困ったように笑った。
「実は、その結界、最近調子が悪いんです」
「そうなのですか」
「はい。修理をお願いしているんですが、まだ順番が回ってこなくて」
エリアスは支柱を見つめた。
「でしたら、先に整えておきましょうか?」
「……え?」
「このまま実技試験を行うと、少し危険かもしれませんので」
エマとカイルは顔を見合わせた。
「……直せるんですか?」
「おそらく」
エリアスは穏やかに答えた。
「少し調整するだけですから」
その言葉に、カイルは嫌な予感を覚えた。
エリアスの言う『少し』が、普通の人間にとっての『少し』ではないことを、すでに何度か経験していたからだ。
「……なあ、エリアス」
「はい?」
「一応聞くけど、どれくらいかかるんだ?」
「そうですね……」
エリアスは支柱へ目を向けた。
「一分ほどでしょうか」
「……一分?」
「はい」
カイルは黙った。
エマも黙った。
エリアスは二人の反応を見て、少し考えた。
「……もう少し、時間をかけた方がよろしいでしょうか?」
「いや、そういうことじゃない!」
カイルが思わず声を上げる。
エリアスは不思議そうに首を傾げた。
どうやら、また何か説明が足りなかったらしい。
そんなことを考えながら、彼は南側の支柱へ歩み寄った。
指先を軽くかざす。
淡い青色の光が、結界の表面を静かに走った。
乱れていた魔力が整い、支柱に刻まれた術式が滑らかにつながっていく。
数秒後。
エリアスは手を下ろした。
「……できました」
エマは目を丸くした。
「……え?」
「これで問題ないと思います」
カイルは頭を抱えた。
「……お前さあ」
「はい?」
「ほんとに何者なんだよ」
エリアスは少し考えた。
「……魔導師ですが」
「それは知ってる!」
カイルの声が訓練場に響いた。
エリアスは一度瞬きをしたあと、少し困ったように笑った。
「……そうでしたね」
その穏やかな表情を見ながら、カイルは深いため息をついた。
この青年と一緒にいると、退屈する暇がなさそうだ。
そんな予感がしていた。




