7-5 グランドフィナーレ
夏の濃密な空気が、肺の中に充満する。
自分の呼吸の音だけが耳に響いている。
村松は山の方に向かって逃げていった。
暗い農道を走る。
まだ花火は終わらない。時々世界は明るく光る。ここまで走ってくると、さっきまでの煌めきは少なくなった。
あいつはこの道を走っているのか。
確証はない。
だけど、追いかけなければ。
大和のために。
雨宮のために。
そして、自分のために。
大きな花火が上がった。
一瞬だけ、世界が再び明るさを取り戻した。
僕が走る道の先、信号の下に人影が見えた。あいつの姿だ。
立ち止まって、スマホをいじっている。
そうはいかない。
逃しはしない。
僕はスピードをあげる。
その瞬間、赤色灯が道を横切った。
警戒中のパトカーが通り過ぎていった。
村松はスマホから顔をあげた。
僕と目が合った。
背を向けて走り出す。
「待て!逃げるな!」
大声で叫んで、地面を蹴った。
五十メートル先を村松は走る。
逃げた方向は山際を走る農道だ。
ここからは暗い上り坂が続く。
スタートダッシュ。
ここまで走ってきたので、いつものダッシュはできない。
だけど、この距離なら追いつけるはずだ。
心臓が暴れる。
汗が噴き出してくる。
村松の背中が近づいてくる。
しかし、暗い坂道は、容赦無く僕の足を削ってくる。
僕の脚はすぐに鉛のように重くなってきた。
これは、陸上の百メートルじゃない。
走りはじめてしばらくすると、村松との距離は縮まらなくなってきた。
あいつもサッカー部だった。
熱を帯びた呼吸が苦しい。
自分のものじゃないように脚が動かない。
あいつを追いつめるために爆発させたエネルギーは、すぐに枯渇してしまったようだ。
あいつの姿が遠くなる。
暗闇の坂道の向こうに消えていく。
スピードが落ちる。
脚がいうことを聞かない。
身体が進むことを拒否している。
脚が止まった。
両膝に手をついて、肩で息をする。
大会でもこんな苦しかったことなんてないのに。
「……くそっ」
真っ黒な地面に汗が落ちる。
遠くから花火の音が聞こえてくる。
もうすぐ終わるだろう。
花火が終われば、暗闇の中、村松はどこかに消える。
雨宮の写真を、大和の名前でばら撒くのかもしれない。
僕らが何かを言っても信じてもらえないかもしれない。
だけど、僕らが何かをしなくても、村松は終わりかもしれない。
ここで、頑張らなくてもいいかもしれない。
それでいいのか。
そんなのでいいのか。
花火の音に混じって、声が聞こえる。
いや、聞こえたような気がしただけだ。
父の声?
自分の声?。
大和の声なのかもしれない。
「僕の、本当の能力は…」
顔を上げて暗闇をみすえる。
「……絶対に諦めない能力なんだ」
大きく息を吸う。熱い空気が肺を満たす。
力を入れる。僕の身体を呼び覚ます。
脚を踏み出す。
まだやれるのか。
自分に聞いてみる。
やれるさ。
やるに決まっている。
暗い坂道へ、もう一度、走り出した。
左手にはグランドフィナーレを迎える花火が遠くに見える。
いつの間にか、花火が低く見える。
それだけ坂を登ったのだろう。
まだ、足りない。
暗闇に逃げる村松は見えない。
坂道を登り切る。視界が広がる。
一度降った先の、登りの途中。
歩いている人影が見えた。
村松だ。
もう一度、何度でも力をこめる。
村松を追う。
下り坂を駆け降りる。
足音に気付いた村松は、驚いた表情をして再び走り出した。
坂を登り返す。
明らかに村松も息が上がっている。
さっきまでの走り方よりも脚が重い。
僕だって苦しい。
そんなこと、あいつだって同じはずだ。
背中が大きくなってくる。
荒い息が聞こえる。
もう少しだ。
数メートル。
「なんで…?」
荒い息の中、村松の呟く声が聞こえる。
「なんで…?」
右手にある公園の駐車場に飛び込む。
そのとき、村松の足がもつれた。
村松が、駐車場のアスファルトに倒れこんだ。
僕は倒れた村松の背中に覆い被さった。
そのまま押さえ込んだ。
その時だった。
甲高い音。
空一面に、巨大な花火が広がった。
煌めく光が空を埋め尽くす。
最後の一発。
ドン。
破裂音が空気を震わせた。
「なんで…、諦めねえんだ…」
身体の下で、村松が呻く。
乱れた呼吸を整えながら、僕は笑った。
「宇宙人…だからかな…」
*
パトカーの赤色灯が眩しい。
村松を押さえ込んだ後、パトカーがやってきて、あたりは騒然となった。
追いかけていた時は気づかなかったが、村松が逃げ込んだ大門碑林公園には、花火を高台からみようと、多くの人が集まっていた。
どうやら大和が警察に通報をしたらしい。
刃物で襲おうとした男が逃走して、それを僕が追いかけた。
山の方に向かって逃げて行ったと、ちゃんと説明していたらしい。
僕はしばらく警官に事情を聞かれ、説明をすると解放された。
村松はパトカーの中で事情を聞かれている。しばらくすると、村松を乗せたパトカーは走り出して公園を出て行った。
人々は興味を無くしてばらばらと帰途についていた。
坂の下の方から、どこかで聞いたことがあるさびたチェーンの音が聞こえてきた。
振り向くと、ひょろひょろの男子が自転車で坂を登ってくるのが見えた。
こんなやつ、大和しかいない。
「おう」
僕は少しだけ手を挙げる。
「やあ」
にこやかに大和は答えた。
まったく、なにが「やあ」だ。
大和が自転車を停めた。
「つかれた」
「だよね」
なんとなく、駐車場の端にあるベンチに座り込んだ。
大和も隣に座る。
目の前には市川大門の町が広がっている。
花火は終わり、眼下の国道は車のライトが長く続いている。
身延線のあかりがゆっくりと遠ざかっていく。
先ほどまでの喧騒が嘘みたいに静まり返っている。
「あのさ、俺、イムコプ星人だったわ」
「うん、さっき聞いた」
「イムコプ星人、諦めない能力なんだって」
「それも、さっき聞いた」
「そうだっけ…?ああ、そうか」
二人で小さく笑いあった。
「これで、大和も学校辞めなくて済むな」
「うん、学校も大騒ぎになるだろうね」
「でも、引っ越すんだっけ?もう、引越しの準備してたじゃん」
「ああ、あれね。あれ、もともと引っ越す予定だったんだ。家が古くなってたし、近くに建て直してたんだ」
「はあ?なんだよ、それ。言ってくれよ」
「ごめんごめん。だって聞かれなかったんだもん」
大和の笑顔に、僕はなんだか力が抜けてしまった。
というか、胸を撫で下ろした。
いつの間にか風が冷たくなっている。
やわらかい風が汗ばんだ身体を静かに冷やしていく。
さっきまでは聞こえなかった虫の声が聞こえる。
「あ、雨宮、大丈夫だった?」
「うん。だいぶショック受けてたけど、名取さんも来てくれたし。大丈夫だと思う」
「そっか、良かった…」
「なぜか、古屋くんも一緒に来てくれたけどね」
「あいつも心配だったんじゃない?」
僕は頭の後ろで手を組み、ベンチにもたれかかった。
なんだか疲れがどっと押し寄せてくる。
「だって、遼が助けに来てくれたんだもん。大丈夫でしょ」
「え?僕が?助けに?そりゃそうでしょ。友達だもん、助けに行くに決まっているじゃん」
僕が言うと、大和は笑った。
「前から雨宮さんから、匂いがするって言ってたでしょ。感情の匂い」
「ああ、不安の匂いだったっけ?」
「うん、前から。不安の匂いと、もうひとつ匂いがしてたんだ」
「不安の匂いは村松がいなくなったからしなくなったのかな。じゃあ、もう一つの匂いって?」
「それはね…」
大和は考えこむ。
「遼からも、同じ匂いがしてる!」
「はあ?」
こいつ、相変わらずよくわからないこと言う。
「なあ、大和…」
さっきまで光で埋め尽くされていた空には、星が戻ってきていた。
星たちは、街の灯りに隠れながら、それでもひっそりと瞬いていた。
「僕たち、どの星から来たんだろう…」
「そうだね…」
大和も星空を見上げる。
「ここじゃない?」
見ると、大和は足元を指さしていた。
「ここ?」
「うん。タルサス星でも、イプコム星でも、イムコプ星でもないんじゃないかな。
この地球で生きている。それだけ」
大和は、少しだけ笑った。




