7−4 屋上
埃とカビのにおい。
清掃が入らなくなった病院の床はなんだかザラザラしている。
スマホのライトが足元を照らす。
舞い上がる埃の粒がゆらゆらと光を反射する。
二人の足音だけが、廊下に響いている。
花火の音も別の世界のようだ。
暗い廊下をまっすぐすすむと、左手に階段が見えた。
僕と大和は迷わず階段を駆け上がった。
それが、屋上につながっているかはわからないけど、確かにここを雨宮が登った気がしたからだ。
三階から四階へ。
階段は行き止まり、鉄製の扉が閉まっている。
いつもは施錠してあるのだろう。
大和と目を合わせて、扉に手をかけた。
ノブを回す。
鍵はかかっていなかった。
軋むような音をたてて、扉が開いた。
熱帯夜の風が病院の中に吹き込んできた。
明滅する光の束が、僕たちの視界を焼いた。
音楽と花火の音が、一気に押し寄せてきた。
まばゆい光の中、十メートルぐらい向こう、屋上の縁。
輝く花火を背景に、二人の影が浮かび上がった。
浴衣の女性、もう一人は背の高い男。
高く振り上げた手には、細長い何かを持っている。
——刃物
花火の音が響く。
認識するよりも速く、筋肉を収縮させることができる。
「やめろ!」
叫ぶと同時に、僕は屋上のアスファルトを蹴った。
10メートル。
助走なら十分な距離。
一、二、三、四、五!
スタートダッシュ。
肩からぶつかった。
衝撃が骨まで響く。
男の体がぐらりと崩れた。
男の手から、何かが離れる。
浴衣の袖が揺れる。
ばらばらと弾ける花火の音。
その余韻に混じって、甲高い金属音が屋上に響き渡った。
すかさず、浴衣の女性を抱えこんだ。
雨宮春風だった。
髪が揺れた。
大きな瞳に花火が映り込んでいる。
「てめえ!」
振り返った瞬間、拳が飛んできた。
左の頬に衝撃が走る。
「いってぇ!」
ぐらりと体勢が崩れる。
右足を踏ん張る。
そのまま、男の腰にしがみついた。
「遼!がんばれ!」
大和の声が飛んできた。
男が抵抗する。
組みつかれた僕の背中に肘打ちをいれる。
鈍い痛みが、体の奥まで響いていく。
刃物はもうないはずだ。
「うおおおお!」
そのまま、男を押し倒した。
馬乗りになる。
男のシャツの襟首を掴んで、地面に押し付けた。
花火に照らされた男の顔がはっきり見えた。
村松だった。
嫉妬と妄執に取り憑かれている男の顔。
別人みたいだった。
殴られた左の頬がズキズキと痛む。
甲高い音が響く。
一瞬、昼間のように明るくなった。
ひときわ大きな花火。
ズドンという、腹の底に響く花火の炸裂音。
同時に、僕の腹に衝撃が叩き込まれた。
息が詰まる。
その瞬間に、村松は僕の足の間から抜け出した。
「あっ、くそっ!」
転がるように離れてすぐ立ち上がり、距離をとった。
僕は雨宮の前でかばうように両手を広げた。
村松は両手の拳を握り、構える。
「お前ら、本当になんなんだよ…」
「はあ?それはこっちのセリフだ」
村松が大きく息を吐く。
「邪魔なんだよ…。お前ら」
ごくりと唾を飲み込んだ。
殴られた頬が切れて鉄の味がする。
「俺と…春風の世界…」
「…ずっと、いっしょ…」
花火の音でかき消されて、ところどころ聞き取れない。
「ほら、俺は、……持っている。お前らとは…違う」
「ジャージ…、……お前の飲みかけのボトル…」
「全部……宝物なんだ……」
「ほら…」
村松はポケットからスマホを取り出して操作して、画面を見せた。
「春風に送った……写真……よく、撮れてるだろう」
逆光の中、口角が歪んだようにみえた。
スワイプして写真を見せる。
一枚目、登校中。
二枚目、何気ない日常。
三枚目、ユニフォーム姿。
さらに、写真を開く。
着替え。
水着姿。
思わず、目を逸らす。
スポーツドリンクに口をつけている姿。
試合中、やけに胸や下半身がなどが強調されている姿。
そして——
ジャージ。
体操服…。
「やっぱり、村松、お前だったんだな!」
頭に血が上る。
喉の奥がひりつく。
吐き気が込み上げる。
「ああ…、そこで眺めてるバカが、……都合よく犯人になってくれて助かったよ」
大和の方を顎でしゃくりあげる。
「ちょっと、ネットに流したら、大騒ぎさ」
再び花火の轟音が言葉を遮る。
大和の顔が花火に照らされる。
「俺、もう決めたんだ…」
村松が、大きく息を吸い込んだ。
「春風と一緒になれないんなら……」
「この、写真を全部…」
ゆっくり、大和の方を指差す。
「お前の名前で……」
「ばら撒いてやる!」
そう言った瞬間、屋上の扉の前にいた大和の方に走り出した。
「え?僕…?」
大和を思い切り、突き飛ばした。
不意をつかれた大和は後ろに弾かれた。。
「大丈夫か?」
大和に駆け寄った。
その隙に村松は扉を開けて、病院の中に滑り込んだ。
扉が閉まる。すぐに鍵の音。
「あ、あいつ!」
僕は、ノブをガチャガチャと回す。
鍵がかかっている。
「くそっ、逃げやがった」
屋上から降りられるところを探さなければ。
その間にも花火の音と光は激しさを増していく。
「三笠くん、あれ!」
雨宮が屋上の手すりから指差す。
病院から走っていく、村松の背中が照らされている。
花火会場とは逆、南側へ走っていく。
甲府盆地の南縁、山が迫っている方角だ。
「くそっ、ここから降りる」
屋上の柵を乗り越えて、配管のパイプに手をかける。
古い建物だからだろうか、配管が剥き出しになっている。
予想以上にしっかりしている。
パイプをつたっていけば、屋上から二階の屋根に降りられる。
それでも三階建ての屋上からみた地面は、とてつもなく遠い。
「遼…、気をつけて」
屋上のパイプにしがみついた僕に、大和が柵の向こうから声をかける。
「ああ、雨宮を頼む」
「うん」
畳みかけるように花火が上がり続けている。
グランドフィナーレは、近い。
「大和…、僕な…」
小さく息を吐く。
「イムコプ星人だったわ」
逆光で大和の表情は見えない。
だけど、笑ったような気がした。
「タルサス星の発音だと、イプコムなんだ」
絶対にあのときの笑顔をしているはず。
「イムコプ星人の能力って…」
「うん!」
「絶対に諦めない能力なんだって!」
「うん!」
僕はパイプを一気に滑って降りた。
ひときわ大きな花火が打ち上がった。




