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7−3 花火

 家を飛び出して、まっすぐに西へ。

 花火が、建物の影から見え隠れする。

 東花輪駅の踏切を越えると、市川大門線という県道に出た。

 笛吹川を南に渡る。

 橋の上には多くの人が立ち止まっている。

 5キロ先の川の上に咲き誇る花火に、そのシルエットがくっきりと浮かびがる。


 笛吹川の堤防が右手に続いている。

 川の南の国道を走る。


 できるだけ、強くペダルを踏みこむ。

 湿度と温度が高い。

 濃密な夜風が僕の身体を押し戻す。

 吹き出した汗は、風と一緒に空気に溶けていく。

 こんなの、陸上の練習にくらべたら、なんてことはない。


 ノロノロ運転の車列の横をすり抜けるように走る。

 ハンドルを握る手に汗が滲む。


 心臓の鼓動が、花火の音とリンクする。

 進む視線の先は、昼と夜の明滅を繰り返す。


 イプコム星人の諦めない能力を思い出していた。

 いや、イムコプ星人か。

 この際どちらでもいい。


 止まらなければいい。

 脚を止めなければいい。


 沿道を歩く人たちが増えてきた。会場が近い。

 花火の音がどんどん大きくなる。

 呼吸をするたびに、火薬の匂いが鼻をくすぐる。


 交通規制が始まるところを曲がって、国道から離れると、大和と待ち合わせたコンビニが見えてきた。

 コンビニは意外と花火客は少なかった。

 自転車を駐車場の端に停めた。

 その間も、背中の上で花火の共演が続いている。


「あ、遼ー」

 花火と音楽の中、聴き慣れた声がした。

「おう、大和。ありがとう」


「それで?雨宮さん、連絡取れた?」

「いや、電話には出ないし、既読にもならない」

「名取さんは?」

「おお、会場にいると思うんだけどな。さっき探しに行くって連絡してそのままだな。お、連絡きてる」

 僕はスマホを操作する。

 名取も花火の音と、雑踏の音で電話をするより、メッセージの方がわかると思ったのだろう。

 状況をまとめて送ってくれていた。


 駅に着いて、人の波に沿って待ち合わせ場所を目指した。

 僕を騙るやつと会場入り口で待ち合わせだったので、名取は雨宮と離れて遠くで見守ることにした。

 しばらく会場入り口で雨宮一人で待っていたのだが、名取が目を離したときに雨宮はいなくなっていた。

 それから連絡をしようにもできなくなってしまった。

 ということらしい。


 浴衣を着てるので走ったりできないから、遠くにはいけないと思う。

 着いたら連絡くださいということだった。


「今、コンビニ着いた」

 すぐに既読になる。

 電話より、こちらの方が早い。


「俺たち考えたんだけど。俺のアカウント騙っているやつは多分、村松。行動がエスカレートしてる。こっちから探していく。名取も頼む」


 そう送って、スマホをポケットに押し込んだ。汗ばんだ手がべとべとする。大きく息を吐いて、大和と目を合わせた。

 二人同時にうなずいた。

「行こう」


 コンビニから会場までは300メートルほどだ。

 僕たちは会場の入り口まで行ってみる。当然、雨宮の姿は見えない。会場に入りきらなかった人たちが、沿道で花火を見ている。

 会場入り口から公園の中に入ると、運動場にたくさんの出店が出ている。焼きそばやらたこ焼き、かき氷、お面や綿菓子、りんご飴。

 それを越えて堤防に上がると、そこから河川敷の観覧エリアが広がっている。こんなにたくさんの人達が狭い山梨県のどこにいたんだと思えるほど、ひしめき合っていた。

 カップルたちは堤防の階段席に座って、家族づれや、会社の同僚は、観覧エリアでテーブルを囲み、お酒や食事を楽しみながら。


 川の向こうで色とりどりの花火が上がる。音楽に合わせて上がる花火は、人々の顔を色とりどりに染めては消える。

 打ち上がる甲高い音、破裂音、バラバラと弾ける音。そのどれもが音楽や光と一体になって、会場にいる人たちの心を捉えて離さない。

 みんな夜空を見上げている。僕たちなんか目に入らない。


「なあ、遼」

 大和が言った。

「すごくうるさいのに、雑音の中でも知っている人の声なら聞き分けられるってあるじゃん?」

「ああ、なんだよ。唐突に」

「うん。この会場、匂いもいっぱい。焼きそば、たこ焼き、ジュース、お酒、それに、たくさんの人の匂い」

「そりゃあ、そうだよ。この中じゃあ、流石のタルサス星人の鼻も効かないか…」

「だけど、楽しいという匂いの中に、ひときわ、強い、恐怖の匂い。なんとなく感じるんだ。さっきの雑音の中でも、知っている人の声がわかるみたいに…」


 僕は、驚いて大和の顔を見た。少し不安と確信が入り混じっている顔。嘘をついている顔ではない。僕になら、そんなこと言っても信じてもらえるだろうという顔。


「僕も、こんなこと信じられないけど…」

「いや、大和の鼻を信じるよ」


 大和の両肩に手をおいて、その真ん中にある低くて丸い鼻を見つめた。


「うん。なんとなくだけど。会場から離れていっているような気がするんだ」

「離れている?」

「うん、恐怖は強くなっているのに、匂いの方向は遠くに向かっているような…」


 わからないとは思いながらも、僕も大きく息を吸い込んでみた。

 夏の匂いに、出店から漂う甘い匂い、ソースの匂い、花火の匂い、あとはたくさんの人の匂いなのか。

 混ざり合って、それはよく知っている花火大会の匂いでしかない。


「方向は?」

 大和は不安そうな顔をして、鼻をひくひくさせて、周りを見回す。

 花火の音の洪水の中、少しの沈黙。

 僕が見つめる大和の頭の上で大きな花火が炸裂した。


 一瞬だけ、世界が昼間のように明るくなる。

 その光の中で大和の顔がはっきり見えた。


 そして、あたりは夏の夜に包まれる。


 会場入り口の反対側、駅の方向を指差した。


「こっち…」

「よし。いくぞ」

「うん…」


 花火会場に入り切らずに沿道から見ている人たちの波に逆らうように、駅のある方に農道を進んでいく。最寄駅は市川大門駅だ。駅といっても、とても小さい駅だったことを覚えている。

 会場から離れるにつれて花火客も減ってきて人影もまばらになった。寂しい農道を歩くと会場から漏れ聞こえてくる音楽やアナウンスの声。

 少し、花火のプログラムは休止しているようだ。


 鼻をひくひくさせながら先導する大和に続いて駅の近くにある身延線の踏切を渡った。

 ここまでくると、花火客ももういない。交通規制区間なので、車も走っていなかった。

 また、数発の花火が上がる。

 打ち上がるたびに、アナウンスで協賛の名前や、メッセージが読み上げられている。

 個人でお金を出してメッセージつきの花火を打ち上げることができる。


「これからも、地域の発展のために、努力していきます。甲府市のタカハシ建設さんからです。」

 また、数発の花火が上がる。

「あかりちゃん、6月10日、元気に産まれてきてくれてありがとう。甲斐市のヤマモトマサシ、ミズホさんからでした。おめでとうございます」


「かすみへ。結婚10周年、これからもよろしくお願いします。南アルプス市のツチヤカズヤさんでした」


 みんな、それぞれの人生を花火に載せて彩っている。


 花火が上がった。

 弾けると笑顔のマークになった。


「はるか。

 これで、ずっと一緒だね。ムサシ」


 笑顔は風で煽られて歪んで崩れて消えていった。


「市川三郷町のムラマツムサシさんからでした。」


 思わず、二人で顔を見合わせた。

 胸の奥が、ざわつく。

 喉が渇く。


 ——村松武蔵。


 これで、ずっと一緒?

 どういうことだ。


「恐怖の匂いが、強くなった…」


 大和がつぶやいた。


 踏切を超えて、自然に早足になった僕たちの目の前には病院の駐車場があった。


 町立病院。

 いや、もう閉まっているはずの場所だ。


 老朽化と病院の統廃合が進んで、二年前に閉院になっている。

 鉄筋コンクリート三階建ての病院は、花火の光に照らされては、そのひび割れた壁が白く光る。外壁に剥き出しになった配管が陰影を作る。

 そして、すぐに暗くなった。


 広い駐車場の入り口にはチェーンが張られている。


 大和はためらうことなく、チェーンをまたいで駐車場に入った。

 僕も遅れて駐車場に立った。


 ここまで離れてしまうと、さっきまでの人だかりが嘘のようだ。


 静かだった。

 遠くのアナウンスが聞こえる。

 花火の音が風に乗って遅れて届いた。


 駐車場から見上げると花火は建物に遮られてその一部が欠けている。


「見えないな」

「うん。でも、匂いはこのへん」

「さっきの花火が見えるところ…」


 周りを見回す。

 建物の端、通用口に「救急入口」の看板が浮かんで見えた。

 僕は駆け寄って、その扉のノブに手をかけた。

 少しだけ手に力を入れる。


 扉が開いた。


 その向こうは真っ暗だった。


 奥につづく廊下の先は、どこまでも深い闇の中に沈んでいた。

 花火が炸裂する低い音が響いている。

 ドン、ドンと僕の胸を叩く。


 その闇の中へ、僕と大和は足を踏み入れた。

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