6-5 イケメン
「うーんと、一瞬だけあれって思っただけだったからな」
アップルパイを頬張りながら大和が喋る。
「だから、口に入れたまましゃべるなって」
「え、、ああ…」
大和は慌ててアイスコーヒーのストローを啜り、口の中のアップルパイを飲み込んだ。
雨宮は僕たち二人をみて、表情がやわらかくなった。
「えっと、雨宮さんの体操服がなくなったって噂になった日。碧陽祭の準備の後、雨が強くなってたから、僕、家に電車で帰ったんだ。常永から電車が走り出してすぐのところ、外を見てたんだ。ほら、乗ってる人、みんなスマホいじってるでしょ。だけど、僕は、外の景色見てる方が好きなんだよね。なんか、土の匂いとか、雨の雰囲気とか」
「おい、そんなのはいいから、早く状況を教えてくれよ」
「ああ、ごめんごめん。そう、外を見てたら、デイリーの前の小屋の前に自転車が停まってたんだ。こんな雨の日に自転車も大変だなって思ったんだけど、農作業する人が自転車でくるもんかなって」
「そうか、確かに。農作業する人だったら車で来るか。農業用具取りに来るとしても車じゃないとね」
僕が言うと、
「そう、だから『あれ?』って思ったの」
と大和が言った。
「で、小屋の陰で何かやってる人が見えて。電車が加速しちゃったから一瞬だけだったけど、ウチの制服に見えたんだ」
「…制服?」
雨宮が聞き返す。グラスを握る手に力が入ったように見えた。
「うん、多分。男子の制服に見えた。そのときは変だなって思っただけだったけど、そういう噂のあったあとだったからさ…次の日、探してみようって話になった後に、そこを探してみたんだ」
「そしたら、やっぱりそこに泥だらけの雨宮の体操服袋があって…。返そうって思ってたんだけど、俺ら、犯人にされちゃうよねって…。で、返すタイミングなくて、大和のロッカーに入れたままになってたんだ…」
返せなかった理由は僕が説明した。大和が説明するとなんだか言い訳のように聞こえてしまいそうだったから。
「そうなんだ…」
雨宮は両手で握ったグラスを見つめながら言った。
僕が大和と目を合わせると、彼は少し困惑した表情を作った。雨宮の表情の中に何かの匂いを感じ取ったのかもしれない。
「だから、俺たち、考えたんだ」
雨宮は僕の声を聞いて顔を上げた。
「絶対に大和が犯人じゃないし、盗んだ犯人を見つけ出してやるって。そうすれば、大和も学校辞めなくて済む。それと——」
そこまで言って僕は少し言葉に詰まった。
「雨宮だって、怖い思いしなくなるだろ」
「え…?どうして…?」
“意外“と“困惑“が同居した表情で雨宮は二人の顔を見る。
「だって、緑ヶ丘のときから、雨宮、なんか不安そうだったじゃん。それと最近、視線を感じるんでしょ。その視線って、やっぱり、体操服盗んだやつなんじゃないかっていう結論」
僕は少しでも目の前の女の子を安心させてあげようと、なんとか頑張って笑顔を作り出した。
「…うん。ありがとう。三笠くんって、やっぱり友達思いだね」
もう一度顔を上げて僕の顔を見た雨宮の大きな目には涙が溢れそうになっていた。
その顔を見て僕の胸の奥が変に熱くなった。
だけど、なぜか、
「まあね」
と、いつも通り愛想笑いをしてみた。
自分の話すパートが終わったと感じたのか、いつのまにか大和はアップルパイを頬張っている。
「ここの、アップルパイは少し焦げたところがいいんだよね」
「また、口に入れたまま喋る」
僕が突っ込むと、雨宮も口に手を当てて涙を流しながら笑ってくれた。
少し、良かったな、と思った。
そのあと、僕たちは今の状況を確認した。
まずは、大和の状況だ。
大和は体操服盗難の犯人に仕立て上げられてしまった。
SNSで大和が犯人だということが拡散されている。
そして、大和のあることないことが面白半分に書き込まれ、祭りのように炎が広がっている。
「誰かが薪をくべているようだな」
僕が言うと、
「僕、燃えやすいからね」
と、大和が苦笑した。
退学届はもう提出してある。
あと一週間くらいは待ってもらえるとのことだが、八月十日のお盆前には受理されてしまうだろう。
次に、雨宮の状況だ。
四月のはじめ、ジャージ。
六月、体操服。
この七月から何者かの視線を感じている。
「どこから見られてるの?」
大和が静かに聞いた。
「うん、それがわからないんだけど。遠くの方から見られてるって感じるの…。なんか、おかしいでしょ?」
雨宮の不安な顔は僕から見ても気の毒になる。
そんなの、思い過ごしだよと言ってしまいたくなるような感覚なのかもしれない。だけど、本人は確実に刺すような冷たい視線を感じている、そんな表情だった。
「雨宮を執拗に狙っていることから、ジャージや体操服と同じ犯人が雨宮をどこかから監視している可能性が高いよな…」
僕が、つぶやくと二人はうなずいた。
「それでさ、昨日、俺と大和で話し合って、雨宮を、狙っていそうな人をリストアップしてきたんだ」
僕が昨日の紙をテーブルに広げると、雨宮は驚いた顔をしながらそこに書いてある文字を興味深く見つめた。
「まあ、噂で狙っているとか言われてる人だけどね」
「これ、『女子、名取』って…?」
「え、いや、狙ってるとかそういうのじゃなくて、仲良いから…」
僕は取り繕いながら、大和の顔を見た。
大和はいつもと変わらない顔だ。おそらく、雨宮から不安などの匂いはしないのだろう。
ピロン
僕のスマホからLINEの通知音がなった。
ポケットからスマホを取り出して開いてみた。
「遼、どこにいる?午後の講義出ないの?」
古屋からだった。
「あ、古屋か」
僕はつぶやいて、
「うん、共通試験対策はいいや」
と送った。
すぐに既読になって、「了解」というバレーボールのアニメキャラのスタンプが返信されてきた。
「あ…。古屋くん。ここにも書いてあるけど…」
雨宮が『男子、古屋』を指差した。大和の表情が明らかに曇った。不安を感じ取っているかもしれない。
「ああ、古屋も狙ってるのかなーって。なんとなくね、なんとなくだよ」
ここでも、なんとか言い繕おうとすると、雨宮が口を開いた。
「わたし、古屋くんから今度の八月七日の神明の花火大会、一緒に行かないかって…誘われているの…」
僕と大和は顔を見合わせた。
横にいる大和に視線を向けた、そのときだった。白樺のイラストが入った窓の向こう、よっちゃばれ広場を走っていくリュックを背負った男の姿を視界の端にとらえた。
背が高く、リュックには何かのキーホルダーが揺れている。
後ろ姿にどこか見覚えがある。
古屋だ。
——いや、でも。
古屋は午後の講習に出ているはずじゃなかったのか。
僕の見間違いか。
大和が声を落としてつぶやいた。
「不安のにおいがどんどん強くなっている。そして怒りの匂い…」
リストを見る雨宮の顔には明らかに不安の色が濃くなっていた。
雨宮が手を口に当てたままつぶやく。
「この中に、いない人…」
雨宮の声が掠れた。
その言葉の意味を考える前に背筋が冷えた。
そのときだった。
「ちょっと、春風!何やってんのよ」
聞き覚えのある声だ。
「おい、田中大和!なんでお前が、ここにいるんだよ!」
強烈な悪意を持って名取が近づいてくる。
反射的に僕はテーブルの上にあった紙を掴み、ポケットに押し込んだ。
「お前、退学になったんじゃないの?これ以上、春風につきまとってんじゃねーよ。まじ、ストーカーかよ」
雨宮の後ろで仁王立ちになった名取はうつむいた大和を般若のような形相で見下ろす。さいわいさっきの紙のことは気づいていないようだ。
「だいたい、遼もインハイ五位だかなんだか知らないけど、酷すぎるよね。なんなの?春風を、ストーカーに会わせるなんて、無神経にも程があるわ!」
怒りの矛先が僕にも向いていることは明らかだった。
「紗奈、違うの。三笠くんと、田中くんはね…」
名取は雨宮の手を握った。
「行こう、春風、こんなやつらと話すことなんてないよ」
そういうと名取は雨宮の手を引っぱった。
それでも雨宮は
「聞いて、紗奈、田中くんじゃないよ」
とかばった。
「おい、やめろよ。だいたいお前だって、何なんだよ。大和ばっかり目の敵にしやがって」
他のお客さんの視線が気になるけど、もう止まらない。
「SNSで炎上させてんのもお前なんじゃないのかよ」
言ってしまった…と、少し後悔した。
完全に勢いだった。
あれほど怒りゲージに満ち溢れていた名取の顔からすっと色が消えた。
名取は黙ったまま目を細めて僕の顔を見る。
こういうところが、苦手だ。
今まで怒っていたはずなのに急に熱が冷める。
名取は小さく息をついて、
「…なんか、証拠あんの?」
低い声で聞き返す。
僕は名取の圧の強さに、少したじろぐが負けてもいられない。
言い返そうと口を開きかけたところで、
「まあ、まあ。紗奈。三笠くんも、落ち着いて…」
雨宮が椅子から立ち上がって、僕ら二人の間に割って入った。
困惑の色が隠せない。
「三笠くん、ごめんね。ちょっと紗奈と外で話してくる」
「あ、ああ」
雨宮は、名取の手を引いて一緒に階段の下に行ってしまった。
大和はずっと下を向いて、かじりかけのアップルパイを見つめていた。
「……怒りの匂い。それだけ。名取さんからは、それしか感じなかった」
ぼそりとつぶやくと、テーブルに落ちたアップルパイのかけらを拾い集めた。
「じゃあ、名取は違うってこと?!
「うん。少なくとも、量の言葉に図星をつかれて焦った匂いはしなかったよ」
「そうか、まあ、名取が体操服に関わっているとも思えないしな。だけど、あの怒り方は異常だよ」
「だよね」
そんなことを話しながら、先ほど咄嗟に隠した雨宮を取り巻く関係図を広げて二人で眺めていた。窓の外のよっちゃばれ広場では相変わらず午後の日差しに照らされて人が行き交っている。
「名取さんは、僕をストーカーだと思っているけど、ただ、雨宮さんを守りたいだけって気がするな…怒りの匂い、僕を嫌いな匂い、そんな感じ。」
「そうか。何でそんなに大和を毛嫌いするのかはわからないけど、少なくとも雨宮を困らせてやろうというのではないよな」
僕は名取の名前にバツをつけた。
「じゃあ、そうなると…」
「確かに、古屋くんは、怪しいよね」
「ああ、花火に誘ったり、さっきのLINEのタイミングといい。でもな、古屋ってあんまりそんな感じはしないんだよね。なんか、もっと単純っていうか、わかりやすいっていうか。本当のところはわからないけど」
僕は古屋の名前にぐるぐると丸をつけた。
「でも、さっき、雨宮さん、この中にいない人って…」
「あれはどういうことなんだろう。雨宮も心当たりがあるんだろうか」
ふと、昨日の大和の部屋のやりとりを思い出した。
一人、この中に入っていないひとがいる。
名前を挙げたけど、なんとなくはずしたやつ。
—村松
サッカー部のイケメン。
4月に雨宮に告白して少し付き合ったけどすぐに別れた。
そのあとは別の女の子と仲良くしているという噂があった。
だから僕たちは、勝手に”もう違うだろう”と思ってリストから外していた。
「大和、昨日、村松の話出たよな…」
「うん、もう、別の女子と仲良しだからね」
「なあ、村松って可能性…」
大和も、顔をあげて目を見開き僕の顔をじっとみつめた。
僕はリストに村松の名前を書き入れる。
村松の周りにぐるぐると丸を描くと、村松の姿がなんだか目の奥に浮き上がってくるように思えた。
「…緑ヶ丘」
大和がつぶやく。
緑ヶ丘のスプリント記録会。
インターハイ前の調整で、僕が出場した。
雨宮も出場していた。
大和は僕の焦げた匂いが心配で見にきていた。
あの日、となりの公園でジャージ姿でリフティングをしていた。
村松だった。
「大和も、いたの気づいてた?」
「…うん。遼と駄菓子屋行ったときにちらっと。なんでここにいるんだろうって思った」
「ああ、ジャージでリフティングしてたよな。あのときは雨宮と付き合ってると思ってたし、ただ練習してただけなのかと…」
「今考えると、変…。あのときの雨宮さんの匂い。焦げた匂いだった。不安を感じてたのかも。視線を感じて」
背中にひやりと冷たさを感じた。
こういう視線、不安感。
ずっと雨宮は感じていたのだろう。
「怪しい…。けど…。それだけじゃ証拠がない」
「うん。ストーカーしてる?って聞いても否定されるに決まってるしね」
「雨宮が帰ってきたら、聞いてみよう。そのときの匂いを頼む」
「うん。それでやっぱり心当たりがあるなら直接本人と対決だ。タルサス星人の鼻の能力で追い詰めよう」
大和は顔をあげて、真ん中にある団子のような鼻をつついた。そして顔をほころばせた。
僕はそんな笑顔になった大和を絶対に退学させるわけにはいかないと決意した。
村松武蔵——
確かそんな名前だった気がする。
紙に書いた名前から雨宮春風に向かって矢印を何度も書きつける。
証拠はないけど、彼から突きつけられた何重もの矢印が雨宮を苦しめている。
そして、大和を追い詰めている。
紙に目を落とせば落とすほど、その疑念は確信に変わっていった。
そのあと、雨宮はカフェに帰ってこなかった。
僕のスマホにLINEが入った。名取から戻らないように言われて引き止められたらしい。あの名取の勢いに押し切られてしまったのだろう。
「村松ってどう思う?」
と送ってみた。
既読にはなったが、それ以上返信はなかった。
僕らは返ってこないスマホの画面を見つめていた。
その沈黙が何よりの答えだった。
僕と大和は村松を探ってみることを約束してカフェを後にした。
その夜、雨宮からは僕のLINEにかなり長文のメッセージがはいった。
画面を何回もスクロールしなければ読み終えることができなかった。
村松から告白されて一週間だけ付き合ったこと。
すぐに合わないと感じて、別れたこと。
そのあとからジャージや体操服の盗難が起きたこと。
何者かの視線を感じるようになったこと。
だけど、そのどれにも村松が関わっている証拠がないこと。
雨宮も疑念を持ってはいたが、確証がなかったので誰にも言えなかったこと。
そんな曖昧な態度でいたから大和が追い込まれていることをとても申し訳なく思っている。
などが書かれていた。
画面を閉じても、雨宮がつらく、悩んでいたことが頭の中で残り続けていた。
雨宮の不安、苦悩、後悔。
何ひとつ気づくことができなかった。
目の前にいたのに。
あれだけ、なんでもできると思っていた。
友達もいっぱいいて、みんなのことわかっていると思っていたのに。
なのに、一緒に頑張っていたはずの雨宮のことさえ、何もわかっていなかった。
サッカー部の友達に連絡して村松の動向を探る。
なんで?と聞かれたがこの際どうでもよかった。
それよりも、村松のことを知りたいだけだ。
一人の村松と特に仲がいいやつが教えてくれた。
八月七日まで家族で旅行に行っているらしい。
退学届けが受理されるのは十日ぐらいになるということだ。
だったら間に合う。
帰ってきたら、そのことを突きつけてボロを出させてやる。
この時ほど大和の匂いの能力を頼もしく思えたことはなかった。
もう、疑いじゃ終わらせない。




